2011年12月15日木曜日

九地篇・水と油を混ぜる

_行軍をして、敵領内の見通しが悪い場所まで行けば、たいて
いだが、見通しがいい場所でも散開する。
 自国から遠く、国境を越えて人の手本となるのは「絶地」だ。
 すみずみにまで行き届くのは「衢地(くち)」だ。
 他国に入って見通しが悪いのは「重地」だ。
 他国に入って見通しがいいのは「軽地」だ。
 守りを後ろ盾にし、ゆとりがなく進むのは「囲地」だ。
 望みのないのは「死地」だ。
 そこで、
「散地」だったら、私なら目的を一つにしぼる。
「軽地」だったら、私なら仲間にする。
「争地」だったら、私なら遅れてかけつける。
「交地」だったら、私なら守りに用心する。
「衢地」だったら、私なら結束を固くする。
「重地」だったら、私なら食糧でつなぎとめる。
「ヒ地」だったら、私なら厄介なことを引き受ける。
「囲地」だったら、私なら足りないものを補う。
「死地」だったら、私なら生きようとしない姿を見せる。
 だから、戦争が好むのは、囲まれたら対抗しようとするし、や
むを得ない状態になれば闘うし、かなわないとなれば従うことだ。

※敵の領地に入ったら、まず、領民に侵略しに来たのではない
ことを行動で示さなければいけない。だから、集団でどっと押し
かけては拒絶されるので、散開する。
 そして、一人一人が手本になるような行動をする。
 例えば、吸収合併した会社だと、吸収された方はショックだし、
不満がある。そこに吸収した方が集団でやって来て、自分たち
の経営の仕方を無理やり押しつけて従わせようとしても反発す
るだけで、水と油が混ざらないようにうまくいかない。
 まずは、吸収された方の言い分や経営の仕方をよく理解する。
 吸収されることになったのには、どこかに欠陥があるはずで、
その部分を改善するような提案をする。そして、吸収した方が成
功している方法を見せて気づかせる。
 そこで初めて、どちらからも数人の社員を選んで、プロジェクト
などを組織して、お互いの良い部分を活かすような新しい事業
をさせる。
 吸収した方も欠陥がないとはいえないので、教えを乞うような
姿勢を示せば、会社はもっと発展させることができる。
 九変の術というのは、柔道のように相手の力を利用して、さら
に勢いを増す方法ではないだろうか。

 中国は「模倣している」といわれるが、敵が優秀な武器だから
使っているとしたら、その武器を奪って使うのは合理的だろう。
 そもそも「模倣」という漢字は中国の模倣だし、日本の文化は
アジアの文化を模倣したものだ。
 北朝鮮の拉致を批判するが、日本が豊臣秀吉の時代に朝鮮出兵
で、朝鮮人を拉致して、新しい技術や文化を模倣して、今がある。
それを北朝鮮は模倣しているにすぎない。
 そのことをうやむやにしている限り、拉致された人は帰ってこ
ない。
 日本は、つい最近まで模倣していたが、模倣するものがなくなっ
て、経済活動が停滞している。
 他人を批判する前に、自分の身を正すか、お互いに模倣しあっ
て発展すれば、それもいいのではないだろうか。


およそ客たるの道は、深ければすなわち専らに、浅ければすな
わち散ず。
国を去り境を越えて師するものは絶地なり。
四達するものは衢地(くち)なり。
入ること深きものは重地なり。
入ること浅きものは軽地なり。
固を背にし隘(あい)を前にするものは囲地なり。
徃くところなきものは死地なり。
このゆえに、
散地にはわれまさにその志を一にせんとす。
軽地にはわれまさにこれをして属せしめんとす。
争地にはわれまさにその後に趨(おもむ)かんとす。
交地にはわれまさにその守りを謹まんとす。
衢地にはわれまさにその結びを固くせんとす。
重地にはわれまさにその食を継がんとす。
ヒ地にはわれまさにその塗(みち)に進まんとす。
囲地にはわれまさにその闕(けつ)を塞(ふさ)がんとす。
死地にはわれまさにこれに示すに活きざるをもってせんとす。
ゆえに兵の情、囲まるればすなわち禦(ふせ)ぎ、已(や)むを得
ざればすなわち闘い、過(す)ぐればすなわち従う。

凡爲客之道、深則專、淺則散
去國越境而師者、絶地也
四達者衢地也
入深者重地也
入淺者輕地也
背固前隘者圍地也
無所徃者死地也
是故
散地吾將一其志
輕地吾將使之屬
爭地吾將趨其後
交地吾將謹其守
衢地吾將固其結
重地吾將繼其食
ヒ地吾將進其塗
圍地吾將塞其闕
死地吾將示之以不活
故兵之情、圍則禦、不得已則鬪、過則從

九地篇・将軍の役割

_軍隊に将軍がいることは、静かにして隠し、整えることで治ま
り、兵卒にすら愚か者としか見えず、どこにいるか知られない
ようにする。
 行動は常に変えて、考えも変わったものとし、人には理解で
きないようにする。また、居場所も常に変えて、移動するときは
遠回りをし、人には気をつかわせないようにする。
 将軍と出会ったという者がいたら、高い所に梯子で登らせて、
その梯子を取り去るように、跡を追えなくする。
 将軍が敵国の領地に入って、戦闘する時期を宣告すると、船
を焼き、食事を断って死闘する姿勢を示し、羊の群れが突き進
むようにする。
 突き進んで行き、突き進んで戻っても、どこにいるのか分から
ない。
 全軍の多勢が集まって、守りを固くして留まる。
 これが軍隊の将軍の行動というものだ。
 九地の変化、力をためて一気に出すことの効用、人情の心理
をよく考える必要がある。

※この文章で「よく士卒の耳目を愚(ぐ)にし、これをして知るこ
となからしむ」とあるのを一般的には「(味方の)士卒の耳目を
そらして、軍の作戦計画を知らせないようにする」などと解釈し
ている。
 そもそも昔は携帯電話もEメールもないから、伝言ゲームのよ
うにして知らせるしかなく、間違って伝わる可能性が高い。また、
伝える途中で、情報漏えいする可能性も高い。
 兵数が1万人規模になり、言語も違う民族の集まりになると、
ほとんど不可能だろう。だから、旗やカネ、太鼓を使って伝えて
いた。
 文章が全体的に兵士たちを死にもの狂いにさせるような、一
般的な解釈では、役に立たない。それは、第二次世界大戦の
日本軍が証明している。
 戦争では、将軍が死んだら負けてしまう。だから、将軍はでき
るだけ身を隠す必要があり、影武者がいるのもそのためだ。
 だからといって、将軍は逃げ回っているわけではない。
 兵士たちにとって将軍は大切な人だから、隠して守ろうとする
気にさせる必要がある。だから、兵士たちとの接し方を乳飲み
子や愛する我が子のようにするのだ。
 そのために将軍は、率先して死を覚悟した行動をとり、兵士た
ちを常に気遣う。
 将軍が特別待遇で、ふんぞり返り、鼻で支持するようでは、味
方から殺されるのがおちだ。


軍に将たるのことは、静もって幽、正もって治、よく士卒の耳目
を愚(ぐ)にし、これをして知ることなからしむ。
その事を易(か)え、その謀を革(あらた)め、人をして識ること
なからしめ、その居を易え、その途を迂にし、人をして慮(おも
んぱか)ることを得ざらしむ。
帥(ひき)いてこれと期すれば、高きに登りてその梯(てい)を去
るがごとし。
帥いてこれと深く諸侯の地に入りて、その機を発すれば、舟を
焚(や)き釜を破り、群羊を駆(か)るがごとし。
駆られて往き、駆られて来たるも、之(ゆ)くところを知ることな
し。
三軍の衆を聚(あつ)め、これを険に投ず。
これ軍に将たるの事と謂(い)うなり。
九地の変、屈伸の利、人情の理、察せざるべからず。

將軍之事、靜以幽、正以治、能愚士卒之耳目、使之無知
易其事、革其謀、使人無識、易其居、迂其途、使人不得慮
帥與之期、如登高而去其梯
帥與之深入諸侯之地、而發其機、焚舟破釜、若驅羣羊
驅而往驅而來、莫知所之
聚三軍之衆、投之於險
此謂將軍之事也
九地之變、屈伸之利、人情之理、不可不察

九地篇・敵を味方に

_だから、戦争に慣れた者は、例えば、ことごとく対応する「卒
然」のようだ。
 卒然といえば、常山の蛇がそうだ。
 その首を叩くと、尾が反撃してくる。その尾を叩くと、首が反
撃してくる。その胴体を叩けば、首と尾が一斉に反撃してくる。
 あえて質問するが、
 戦争を卒然のようにすることはできるか。
 もちろん、できます。
 それは、呉国の人と越国の人が、お互いに憎んでいても、船
で二人が、たまたま一緒になって行く時に、嵐に遭い、命の危
険にさらされたら、お互いに助け合う姿は、左右の手のように
なった。
 だから、馬車の馬を連ねて、車輪を固定して止めても、それ
だけでは頼りにはならない。
 勇ましさを同じにして一心不乱にするのは、政治のやり方で
ある。
 男と女のすべてを得るのは、地元の理解である。
 そこで、戦争に慣れた者は、手をつながせて、一人を用いて
いるようにする。
 やむを得ない状態にするからだ。

※ここでは、敵の兵卒や民衆を味方につけて、こちらの兵卒
たちと対立せずに、同じ利益のために戦うようにする大切さが
書かれている。
 それは、たとえ領土を奪っても住民すべてを殺すわけにはい
かないし、奪った後の政治が悪ければ、ふたたび戦争になる
だけだからだ。
 たんなる侵略者ではなく、誰もが平和に暮らすことができる
社会を築くために、やむを得ずおこなう戦争にする。
 敵国のすべての者が自分たちの政治を善いとは思っていな
いはずだから、そうした不満のある者たちを助けるという目的
にすれば、地元の地理に詳しい者の助けを得ることができた
り、支援物資も手に入れやすくなる。
 北方領土にしても日本とロシアで奪い合うという発想では解
決しない。
 現実問題としてロシア人が住んでいるのだから、その人たち
を無視することはできない。
 ロシアは日本と共同で開発したいと考えているのだから、日
本は積極的に協力するべきだ。
 日本の元島民は、ロシア国籍を特別に収得できるようにして、
北方領土に住めるようにすれば、呉越同舟のように、お互いに
理解しあえるだろう。(日本が元島民の多重国籍を認めれば、
北方領土を放棄したことにはならない)
 また、沖縄のアメリカ軍基地問題などは、日本政府が誰に味
方しているのか、まったく分からない。
 アメリカにいい顔をし、沖縄にもいい顔をしているから、問題
がこじれてしまう。
 いっそ、「沖縄を日本から独立させる」と言って、アメリカと沖
縄で交渉するようににおわせれば、沖縄はアメリカ軍を追い出
すことができるが、経済的損失をどうするかという問題が大き
くなる。
 アメリカは、基地の移転費用をどうするのか。沖縄を占領す
ることもできないだろう。
 結局は日本政府に頼らざるをえなくなる。仮に頼られなくても
日本政府は厄介な問題をなくすことができる。
 ようは、沖縄を平和な島にするには何をするべきかを真剣に
考える姿勢を示すことが、沖縄県民の支持を得ることにつなが
るだろう。


故に善く兵を用うる者は、譬(たと)えば率然の如し。
率然とは、常山の蛇なり。
其の首を撃てば則(すなわ)ち、尾、至り、其の尾を撃てば、則
ち、首、至り、其の中を撃てば、則ち、首尾、倶(とも)に至る。
あえて問う、
兵は率然のごとくならしむべきか。
曰く、可なり。
それ呉人と越人と相悪(にく)むも、その舟を同じくして済(わた)
り、風に遇うに当たりては、その相救うや左右の手のごとし。
このゆえに馬を方(なら)べ輪を埋(う)むるも、いまだ恃(たの)
むに足らず。
勇を斉(ひと)しくし一のごとくするは政の道なり。
剛柔みな得るは地の理なり。
ゆえに善く兵を用うる者は、手を携うること一人を使うがごとし。
已(や)むを得ざらしむればなり。

故善用兵者、譬如率然
率然者、常山之蛇也
撃其首則尾至、撃其尾、則首至、撃其中、則首尾倶至
敢問、
兵可使如率然乎
曰、可
夫呉人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、
如左右手
是故方馬埋輪、未足恃也
齋勇若一、政之道也
剛柔皆得、地之理也
故善用兵者、攜手若使一人
不得已也

九地篇・領土保全

_行軍をして、敵領内の見通しが悪い場所まで行けば、たい
てい、迎え撃つ側は慌てる。
 食物などが豊富にある場所に潜んで、全軍の兵糧をまかな
い、警戒をおこたらず静養して活動はせず、意思を統一して
力を溜め、戦争の機会をうかがい、敵が謀略をできないよう
に実態を隠す。
 これをもし、敵を行き場のない状態にしてしまうと、死んでも
逃げようとしない。
 どうして死を恐れようか。
 体力のない知識人でも力を発揮する。
 兵士ならなおさら陥れると恐れがなくなる。
 行き場がなくなれば結束し、見通しが悪ければ連係し、どう
しようもなくなれば戦闘する。
 だから、これらがする戦争は、教えなくても警備し、要求しな
くても持ち寄り、約束しなくても信頼し、指導者がいなくても任
せることができる。
 幸運を頼みとせず、疑念をいだかず、死ぬまで退かない。
 男たちが、余裕のある財産を得ようとしないのは、貨幣が卑
しいと思っているからではない。
 命を惜しまないのは、長寿を卑しいと思っているからではな
い。
 死を覚悟した日には、誰でも座った者は涙を襟に落とし、病
に伏せて戦闘に参加できない者は涙があごを流れる。
 こうした者たちを行き場のない状態にすれば、諸ケイの勇ま
しさになる。

※この文章は一般的には、「味方の将兵を窮地に追い込めば
死にもの狂いで闘う」といった解釈をしている。
 味方の将兵を窮地に追い込んでどうするというのか?
 戦争のたびにそんなことをしていたら将兵の信頼を失うだろ
う。
 孫武が将兵を使い捨てのように考えていたとは思えない。
 それに、敵の領地に侵入した者と領地を守ろうとする者のど
ちらが死にもの狂いになるだろうか?
 進入した者は、帰る場所があるのだから、どんなに窮地に追
い込んでも余裕がある。
 守ろうとする者は、その場所しかないのだから死にもの狂い
になるのは当然だ。
 黒澤明監督の映画「七人の侍」でも、野武士集団に追いつめ
られた農民たちが武士を雇ってまで、自分たちの村を守ろうと
死闘する。
 豊臣秀吉の朝鮮出兵でも、朝鮮では兵士ではなく、民衆が義
勇軍を組織して戦った。
 人は土地に執着する。
 どんなに劣悪な場所でも「住めば都」と言って慣れてしまうぐ
らい土地というのは大切なのだろう。
 だからこそ土地を荒らすような戦争は支持を得られない。
 そもそも土地を荒らしたのでは、後が大変になる。
 「自分たちは土地を荒らしに来たのではなく、土地を豊かにす
るために来たのだ」とアピールすることが、敵領民の支持を得
て有利に展開することができる。
 領土問題も「自分たちの領地だ」と言い争っているうちは解決
しない。
 誰が、その領土を豊かにできるかにかかっている。
 ロシアが北方領土を開発し始めたのは、そのことが分かった
からではないだろうか。


およそ客(かく)たるの道は、深く入ればすなわち専にして、主
人、克(か)たず。
饒野(じょうや)に掠(かす)めて三軍、食足り、謹(つつし)み養
いて労するなく、気を併(あわ)せ力を積み、兵を運(めぐ)らし
計謀して測るべからざるをなす。
これを往くところなきに投ずれば、死すもかつ北(に)げず。
死いずくんぞ得ざらん。
士人、力を尽くさん。
兵士、はなはだ陥(おちい)ればすなわち懼(おそ)れず。
往くところなければすなわち固く、深く入ればすなわち拘(こう)
し、己(や)むを得ざればすなわち闘う。
このゆえに、その兵、修めずして戒め、求めずして得、約せず
して親しみ、令せずして信ず。
祥(しょう)を禁じ、疑を去り、死に至るまで之くところなし。
わが士、余財なきは貨を悪(にく)むにあらず。
余命なきは寿を悪むにあらず。
令、発するの日、士卒の坐する者は涕(なみだ)、襟を霑(うる
お)し、堰臥(えんが)する者は涕、頤(あご)に交わる。
これを往くところなきに投ずれば諸ケイの勇なり。

凡爲客之道、深入則專、主人不克
掠於饒野三軍足食、謹養而勿勞、併氣積力、運兵計謀、
爲不可測
投之無所往、死且不北
死焉不得
士人盡力
兵士甚陷則不懼
無所往則固、深入則拘、不得已則鬪
是故其兵不修而戒、不求而得、不約而親、不令而信
禁祥去疑、至死無所之
吾士無餘財、非惡貨也
無餘命、非惡壽也
令發之日、士卒坐者涕霑襟、偃臥者涕交頤
投之無所往者、諸ケイ之勇也

九地篇・受け流す術

_昔の戦争に慣れた者は、敵に対して、速くても遅くてもかなわ
ないようにさせ、多くても少なくても頼りなくさせ、身分が高い人
も低い人も救いのないようにさせ、金持ちも貧乏人も税を収め
させないようにさせ、兵士たちが離反して集まらないようにさせ、
戦争に参加する部隊が整わないようにさせる。
 勝利に見合えば動き、勝利に見合わなければ留まる。

 では質問するが、
 敵が多勢で部隊が整って来たとしたら、これを迎え撃つには
どうしたらよいか。
 それには、
 まず、敵が喜ぶことをして心を魅了する。すると、交渉ができ
るようになる。
 戦争が好むのは、速さを重視することだ。
 敵が交渉に乗ってきたところで、油断するようにして、警戒を
解いた所を攻撃すればよい。

※ここでは、九変の術を極めれば、こんなことができるという紹
介をしている。
 敵といっても所詮は人間であり、心がある。
 かつては味方だったかもしれないし、将来、味方になる可能性
もある。
 いきなりケンカごしで対応するよりも、美人やお酒などで接待し
て、敵の言い分を聞く。
 こちらに非がないと分かれば、それで終わってしまうかもしれな
い。
 それでも交渉が決裂することを考えて、油断させ、敵の中から
味方になる者を増やしたり、攻撃する気をなくさせたりする。
 自然の場合は、例えば、川の氾濫をダムなどで封じようとする
のではなく、大きな貯水池のような所に誘導して時間稼ぎをし、
複数の小さな川に分散して流れるようにしてやれば、その勢い
を弱めることができる。
 大津波にしても高い堤防を築くより、大津波に飲み込まれても
持ちこたえられるような海底居住施設にしたり、 川に架けた橋
の橋脚のような形状の高層ビルを複数建て、大津波をかわして
いる間に最上階に行く時間稼ぎをする。
 高い堤防を築けば、大津波は跳ね返って他国に被害を与え、
乗り越えた海水はなかなかひいていかなくなる。
 後に禍根を残したのでは意味がない。


いわゆる古(いにしえ)の善く兵を用うる者は、よく敵人をして前
後、相及ばず、衆寡(しゅうか)、相恃(たの)まず、貴賤(きせ
ん)、相救わず、上下、相収めず、卒、離れて集まらず、兵、合
して斉(ととの)わざらしむ。
利に合して動き、利に合せずして止む。

あえて問う、
敵、衆(おお)く整いてまさに来たらんとす。これを待つこといか
ん。
曰く、
まずその愛するところを奪え、すなわち聴かん、と。
兵の情は速やかなるを主とす。
人の及ばざるに乗じ、虞(はか)らざるの道により、その戒めざ
るところを攻むるなり。

所謂古之善用兵者、能使敵人前後不相及、衆寡不相恃、
貴賤不相救、上下不相収、卒離而不集、兵合而不齋
合於利而動、不合於利而止

敢問、
敵衆整而將來、待之若何
曰、
先奪其所愛、則聽矣
兵之情主速
乗人之不及、由不虞之道、攻其所不戒也

九地篇・九つの症状

_戦争をする手順は、「散地」「軽地」「争地」「交地」「衢地(く
ち)」「重地」「ヒ地」「囲地」「死地」がある。
 各国の主君が自ら戦闘に参加しなければいけなくなることを
「散地」という。
 他国に入って見通しがいいことを「軽地」という。
 誰もが奪えば利益になると錯覚することを「争地」という。
 誰もがそこに行かざるおえないことを「交地」という。
 各国が都にするため、まずやって来て民衆の信頼を得ようと
することを「衢地」という。
 他国に入って見通しが悪く、住人が味方しないことを「重地」
という。
 山林、険しい山、狙われやすい湿地帯など、行くのが困難な
場所をあえて行くようなことを「ヒ地」という。
 誘われて入るとゆとりがなく、あとについて戻ろうとすると遠
回りをさせられ、相手は少数でも、こちらの多数を攻撃できる
状態におちいることを「囲地」という。
 早急に戦闘すれば生き残ることができ、早急に戦わないと
助かる望みのないことを「死地」という。
 だから、
「散地」になったら、戦闘をさけ、防御、退却にてっする。
「軽地」になったら、留まってはいけない。
「争地」になったら、攻撃してはいけない。
「交地」になったら、交流を断ってはいけない。
「衢地」になったら、民衆と交わり、心を一つにする。
「重地」になったら、住人を手懐けるか、その地域を奪い取る。
「ヒ地」になったら、あえて突き進む。
「囲地」になったら、考えをめぐらせて裏をかく。
「死地」になったら、戦闘するしかない。

※ここでは、前の九変篇にあった九変の利や九変の術に関
する説明をしているのだと思われる。
 「地」というのは病気の症状のようなものと解釈すれば、分
かりやすいかもしれない。
 病気にはならないにこしたことはないが、それでも避けるこ
とはできない。
 病気を知り、その対処方法を知っていれば、最悪の事態を
避けることができるかもしれない。
 かるい病気ならあえてなって、免疫をつけることもできる。
 毒をもって毒を制するということもある。
 それには症状を的確に判断して、適切な対処方法を選択す
ることだ。


孫子曰く、兵を用いるの法は、散地あり、軽地あり、争地あり、
交地あり、衢地(くち)あり、重地あり、ヒ地あり、囲地あり、死
地あり。
諸侯みずからその地に戦うを散地となす。
人の地に入りて深からざるものを軽地となす。
われ得れば利あり、かれ得るもまた利あるものを争地となす。
われもって往くべく、かれもって来たるべきものを交地となす。
諸侯の地、三属し、先に至れば天下の衆を得べきものを衢地
となす。
人の地に入ること深くして、城邑(じょうゆう)を背にすること多
きものを重地となす。
山林、険阻、狙沢(そたく)、およそ行き難きの道を行くものを
ヒ地となす。
由(よ)りて入るところのもの隘(せま)く、従(よ)りて帰るところ
のもの迂(う)にして、かれ寡(か)にしてもってわれの衆を撃つ
べきものを囲地となす。
疾(と)く戦えば存し、疾く戦わざれば亡ぶるものを死地となす。
このゆえに散地にはすなわち戦うことなかれ。
軽地にはすなわち止まることなかれ。
争地にはすなわち攻むることなかれ。
交地にはすなわち絶つことなかれ。
衢地にはすなわち交わりを合す。
重地にはすなわち掠(かす)む。
ヒ地にはすなわち行く。
囲地にはすなわち謀る。
死地にはすなわち戦う。

孫子曰、用兵之法、有散地、有輕地、有爭地、有交地、
有衢地、有重地、有ヒ地、有圍地、有死地
諸侯自戰其地、爲散地
入人之地而不深者、爲輕地
我得則利、彼得亦利者、爲爭地
我可以往、彼可以來者、爲交地
諸侯之地三屬、先至而得天下之衆者、爲衢地
入人之地深、背城邑多者、爲重地
行山林、險阻、沮澤、凡難行之道者、爲ヒ地
所由入者隘、所從歸者迂、彼寡可以撃吾之衆者、
爲圍地
疾戰則存、不疾戰則亡者、爲死地
是故散地則無戰
輕地則無止
爭地則無攻
交地則無絶
衢地則合交
重地則掠
ヒ地則行
圍地則謀
死地則戰

地形篇・教育方法

_兵士たちとの接し方を乳飲み子のようにする。すると一緒
に深い谷にも向かうことができるようになる。
 兵士たちとの接し方を愛する我が子のようにする。すると
一緒に死んでもかまわないと思うようになる。
 厚遇しても役に立てることができず、愛しても指示すること
ができず、反抗を抑えることができなければ、例えば、なつ
いていない子のようなもので、扱うことができない。
 
 自分の兵士たちが攻撃する時を知っていても、敵を攻撃す
る時ではないことを知らなければ、勝てる可能性は半分しか
ない。
 敵を攻撃する時を知っていても、自分の兵士たちが攻撃す
る時ではないことを知らなければ、勝てる可能性は半分しか
ない。
 敵を攻撃する時を知っていて、自分の兵士たちが攻撃する
時を知っていても、地形が戦うことができないことを知らなけ
れば、勝てる可能性は半分しかない。
 だから、戦争を理解している者は、動く時には迷いがなく、
攻めても行き詰ることがない。
 ようするに、相手を知り、自分を知れば勝利する。だから、
危険にさらされることがない。
 自然を知り、地形を知れば勝利する。だから、行き詰らな
い。

※乳飲み子は、泣くことだけですべてを表現する。それを親
は察して、乳を与えたり、おしめを替えたり、病気ではないか
と調べたりする。その親の苦労に対して、乳飲み子は笑顔で
応える。
 ただ泣いているだけとしか感じない親では、まともに育つわ
けがない。
 子供は親の愛情を試す。
 何度も質問したり、反抗したり、逃げたりする。それを受け
入れる寛容さが親にあれば、子供は親に従い、しがみつい
て離れない。
 最近の親は、ただなつかないといって殺してしまう。
 その親も義務教育を受けて育ったはずだ。
 これらは、義務教育の名のもとに子供を親から引き離し、
知識を詰め込むだけの洗脳をして、人を育てるということを
身につける機会を奪っているからだ。
 義務教育をした結果、世の中が良くなったのか?
 今では、義務教育どころか大学を卒業した人も増えている。
それでこの程度の世の中にしかできないのは、欠陥教育とし
か言えない。
 親も自分が義務教育を受けて、その程度の親にしかならな
かったのに、子供に義務教育を薦めるというのは理解できな
い。
 義務教育はやめて、親に教育費を支給し、多様な教育機会
を増やすほうが世の中のためになる。
 ところで、私は子どもの頃、犬に噛まれたらしいのだが、そ
の記憶はまったくない。だが、母親が犬の話になると必ず「お
前は犬に噛まれたことがある」と何度も繰り返し言っていた。
 その結果、私はトラウマになり、噛まれた感覚もないのに犬
嫌いになった。
 どうせなら「お前は、子供の頃から賢かった」とか「お前は、
子供の頃は、よく本を読んでいた」といったことを繰り返し言っ
てくれていたら、もっとましな人間になっていただろう。
 人の言葉には、これだけの力があることを忘れてはならな
い。


卒を視ること嬰児(えいじ)のごとし、ゆえにこれと深谿(しん
けい)に赴くべし。
卒を視ること愛子のごとし、ゆえにこれと倶(とも)に死すべし。
厚くして使うことあたわず、愛して令することあたわず、乱れ
て治むることあたわざれば、譬(たと)えば驕子(きょうし)の
ごとく、用うべからざるなり。

わが卒のもって撃つべきを知るも、敵の撃つべからざるを知
らざるは、勝の半(なか)ばなり。
敵の撃つべきを知るも、わが卒のもって撃つべからざるを知
らざるは、勝の半ばなり。
敵の撃つべきを知り、わが卒のもって撃つべきを知るも、地
形のもって戦うべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。
ゆえに兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。
ゆえに曰く、彼を知り己を知れば、勝、すなわち殆(あや)うか
らず。
天を知り地を知れば、勝、すなわち窮(きわ)まらず。

視卒如嬰兒、故可與之赴深谿
視卒如愛子、故可與之倶死
厚而不能使、愛而不能令、亂而不能治、譬若驕子、
不可用也

知吾卒之可以撃、而不知敵之不可撃、勝之半也
知敵之可撃、而不知吾卒之不可以撃、勝之半也
知敵之可撃、知吾卒之可以撃、而不知地形之不可以戰、
勝之半也
故知兵者、動而不迷、舉而不窮
故曰、知彼知己、勝乃不殆
知天知地、勝乃不窮

地形篇・領土に価値はない

_地形は戦争を助長する。
 敵の行動の頃合いをみることで勝利の条件を整え、険し
い山、狭い道、遠くの場所、近い場所などのどこで戦うかを
的確に計画できる者が、優れた将軍になれるのだ。
 このことが分かって戦闘の指揮をとる者が必勝し、分から
ずに戦闘の指揮をとる者は必敗する。
 だから戦闘をするしかない状態で、必勝する条件が整って
いるなら、主君に戦闘をするなと命じられても、必ず戦闘を
するべきだ。
 戦闘をするしかない状態でも、勝つみこみがないのなら、
主君が必ず戦闘するようにと命じても、戦闘する必要はな
い。
 そのため、あえて名誉は求めず、恐れて罪から逃げようと
せず、すべては民衆の意にそった決断で、主君に信頼が集
まるように助けるのが、国家のかけがえの者である。

※領土の奪い合いは醜いだけで、なんの利益にもならない。
 ユダヤ人は過去には、領土のない流浪の民だったが、ナ
チスでも絶滅させることはできなかった。それどころか、世
界の経済はユダヤ人を抜きには成り立たないほどの影響
力を獲得した。
 今はイスラエルを建国したことで、戦争の火種が耐えない
状態が続いている。国民は常に死の危険にさらされ、世界
の支持も失いかけている。
 日本も北方領土や尖閣諸島などの領有権をめぐって各国
と対立している。
 本当に必要な領土なのか?
 今は実効支配していないが、別になんの影響もない。
 仮に日本に戻ったとしても領土保全で、余計な出費が増え
るだけだ。資源が手に入ると考えるのは、醜くせこい考えだ。
 それよりも各国にプレゼントして、友好関係を強固にすれ
ば、そこから得られる利益ははかりしれない。
 日本が占領されると思っている臆病な人もいるが、地震は
多く、放射能汚染するような領土を奪って、周りは海に囲ま
れて逃げることができず、核ミサイルの総攻撃されたら全滅
するような領土を欲しがるような者はいない。
 核武装を公言する都知事もいるが、英雄にでもなれると
思っているのだろうか?
 戦争する者に英雄はいない。ただの人殺しだけだ。
 日本の領土には、なんの価値もない。価値があるのは日
本人そのものだということが分かっていないのだろう。


それ地形は兵の助けなり。
敵を料(はか)りて勝ちを制し、険阨(けんあい)・遠近を計る
は、上将の道なり。
これを知りて戦いを用うる者は必ず勝ち、これを知らずして
戦いを用うる者は必ず敗る。
ゆえに戦道、必ず勝たば、主は戦うなかれというとも、必ず
戦いて可なり。
戦道、勝たずんば、主は必ず戦えというとも、戦うなくして可
なり。
ゆえに進んで名を求めず、退いて罪を避けず、ただ民をこ
れ保ちて利の主に合うは、国の宝なり。

夫地形者、兵之助也
料敵制勝、計險阨遠近、上將之道也
知此而用戰者必勝、不知此而用戰者必敗
故戰道必勝、主曰無戰、必戰可也
戰道不勝、主曰必戰、無戰可也
故進不求名、退不避罪、唯人是保、而利合於主、國之寳也

地形篇・指導者の限界

_戦争には、「走」「弛(し)」「陥(かん)」「崩」「乱」「北」という
ものがある。
 だいたいこの六つは、自然の災いではなく、将軍の過失で
ある。
 勢力が拮抗している時に、一割で全体を攻撃するのを
「走」という。
 兵士たちが強くて、部隊長が弱いのを「弛」という。
 部隊長が強くて、兵士たちが弱いのを「陥」という。
 軍団長が怒りにまかせて命令にそむき、敵に遭遇すると
恨みで自分が率先して戦い、将軍がそうした性格を知らな
いのを「崩」という。
 将軍が弱くて厳しさがなく、教え導くことが下手で、隊長以
下が落ち着かず、戦争をする時もバラバラに散らばるのを
「乱」という。
 将軍が敵の計略を見破れず、少数部隊が大軍に遭遇し
たり、弱い部隊で強い部隊を攻撃したり、戦争で精鋭にな
る者を選び出すことができないのを「北」という。
 この六つは敗北をたどることになる。
 将軍の当たり前の務めだから、検討するべきことだ。

※そもそもこんな者を将軍に選んだのが間違いだろう。
 どんなに優秀な将軍でも、一人の能力には限界がある。
それを任せっきりにすることがやがて腐敗をまねく。
 ここにある六つのことは「水のような軍隊」なら悪いことで
はなくむしろ良いことだ。
 それには農耕民族と遊牧民族の違いを理解しないといけ
ない。
 農耕民族のコミュニケーションは、一人の指導者が意見
を言い、その他大勢はその意見に従うだけだ。
 遊牧民族のコミュニケーションは、誰もが意見をもち、そ
の意見を持ちよって議論をして結論を導く。
 この違いは言語でもよく分かる。
 日本語では、誰という主語がない文章が多いが、英語で
は、誰という主語がやたらと出てくる。
 日本語は一対一の会話か、誰か一人が喋り、その他大
勢は聞くだけで、英語は大勢が一斉に喋るという文化の違
いだろう。
 この2つのコミュニケーションには、どちらも一つの考えに
まとめようとする欠点がある。
 一つの考えにまとめると、その考えが間違っていたら次が
ないお役所仕事のようになる。また、多様性がなく未知のこ
とに対応できない。
 一つの考えにまとめる必要はなく、大勢が提案をして、そ
の提案の優先順位を決めて、すべての提案を生かせば、
遠回りのようだが、必ず良い結果を導き出すことができる。
 「水のような軍隊」も誰かに命令されるのではなく、一人一
人が意見をもちより、その優先順位を決めて、目標を目指
して、多様な行動をすれば、将軍や隊長などは必要なく実
現でき、未知のことにも対応できる。
 大津波でも逃げるという発想だけではなく、その場に留ま
るとう発想もすることで、生き残る可能性は高くなる。実際、
東日本大震災では、自宅に留まったことで助かった人たち
もいる。
 ところで、なぜこんなことが地形篇に書かれているのか疑
問だ。


ゆえに兵には、走なるものあり、弛(し)なるものあり、陥(か
ん)なるものあり、崩なるものあり、乱なるものあり、北なる
ものあり。
およそこの六者は、天地の災いにあらず、将の過ちなり。
それ勢い均しきとき、一をもって十を撃つを走という。
卒、強くして吏(り)、弱きを弛という。
吏、強くして卒、弱きを陥という。
大吏(だいり)、怒りて服さず、敵に遇えばウラミてみずか
ら戦い、将はその能を知らざるを崩という。
将、弱くして厳ならず、教道も明かならずして、吏卒(りそつ)
常なく、兵を陳(つら)ぬること縦横なるを乱という。
将、敵を料(はか)ることあたわず、小をもって衆に合い、弱
をもって強を撃ち、兵に選鋒(せんぽう)なきを北という。
およそこの六者は敗の道なり。
将の至任にして、察せざるべからず。

故兵有走者、有弛者、有陷者、有崩者、有亂者、有北者
凡此六者、非天之災、將之過也
夫勢均、以一撃十曰走
吏強吏弱曰弛
吏強吏弱曰陷
大吏怒而不服、遇敵ウラミ而自戰、将不知其能、曰崩
將弱不嚴、教道不明、吏卒無常、陳兵縱横、曰亂
將不能料敵、以少合衆、以弱撃強、兵無選鋒、曰北
凡此六者、敗之道也
將之至任、不可不察也

地形篇・地形と六曜

_地形には「通」「挂(かい)」「支」「隘(あい)」「険」「遠」とい
うものがある。
 我々が行くことができ、相手も来ることができる隠れるこ
とができない場所を「通」という。
 「通」では、その地域の支持を得ることにつとめ、軍資金
や武器、兵糧などをすべて確保して、相手が補給をできな
くして戦えば、勝利できる。
 行くことができるが、後退が難しい場所を「挂」という。
 「挂」では、敵の備えが整っていない時に、この場所から
出て攻撃すれば勝てるが、敵の備えが整っている時には、
出て攻撃しても勝つことはできない。
 その上、後退ができないので不利だ。
 我々が出て行って不利で、相手も出て行けば不利になる
場所を「支」という。
 「支」では、敵に勝利できると分かっても、出て行ってはい
けない。
 この場所からは退却して、敵が追撃してくるようなら、反
撃すれば勝利できる。
 「隘」では、我々がこの場所に布陣していたら、必ず隙を
見せず守備を固めて敵を待つ。
 もし、敵がこの場所に布陣して、守備を固めていたら誘
いにのってはいけない。
 守備に隙があれば、誘いにのったフリをしてうらをかけ。
 「険」では、我々がこの場所に布陣していたら、必ず、そ
の地域の支持を得ることにつとめて敵を待て。
 もし、敵がこの場所に布陣していたら、退却して誘いに
のってはいけない。
 「遠」では、勢力が拮抗していれば、戦うことは難しく、
戦えば不利になる。
 この六つのものは地形から分かることだ。
 将軍の当たり前の務めとして検討するべきことだ。

※これは六曜をあてはめてみると面白い。
「通」は先勝で、文字通り先手必勝のことで、午前中は吉、
   午後は凶。
「挂」は先負で、先勝とは逆で、先走ってはいけない。午前
   中は凶、午後は吉。
「支」は友引で、勝負がつかず、誘いにのると死ぬ。午前は
   勝負なしで午後は吉。
「隘」は大安で、何事にも良い。一日中吉。
「険」は赤口で、刃物を持つのは注意。午の刻だけ吉であと
   は大凶。
「遠」は仏滅で、何事にも悪い。一日中凶。
 占いはあくまでも指針であり、参考にはなるが、絶対では
ない。
 地形も同じで、障害物や堀を設けることで、変化させるこ
とができる。


孫子曰く、地形には、通なる者あり、挂(かい)なる者あり、
支なる者あり、隘(あい)なる者あり、険なる者あり、遠なる
者あり。
われもって往くべく、彼もって来たるべきを通という。
通なる形には、まず高陽に居り、糧道を利してもって戦わ
ば、すなわち利あり。
もって往くべく、もって返り難きを挂という。
挂なる形には、敵に備えなければ出でてこれに勝ち、敵も
し備えあらば出でて勝たず。
もって返り難くして、不利なり。
われ出でて不利、彼も出でて不利なるを支という。
支なる形には、敵、われを利すといえども、われ出ずること
なかれ。
引きてこれを去り、敵をして半(なか)ば出でしめてこれを撃
つは利なり。
隘なる形には、われまずこれに居らば、必ずこれを盈(み)
たしてもって敵を待つ。
もし敵まずこれに居り、盈つればすなわち従うことなかれ、
盈たざればすなわちこれに従え。
険なる形には、われまずこれに居らば、必ず高陽に居りて
もって敵を待つ。
もし敵まずこれに居らば、引きてこれを去りて従うことなか
れ。
遠なる形には、勢い均(ひと)しければもって戦いを挑み難
く、戦えばすなわち不利なり。
およそこの六者は地の道なり。
将の至任、察せざるべからず。

孫子曰、地形、有通者、有挂者、有支者、有隘者、有險者、
有遠者
我可以往、彼可以來、曰通
通形者、先居高陽、利糧道以戰則利
可以往、難以返、曰挂
挂形者、敵無備、出而勝之、敵若有備、出而不勝
難以返不利
我出而不利、彼出而不利、曰支
支形者、敵雖利我、我無出也
引而去之、令敵半出而撃之利
隘形者、我先居之、必盈之以待敵
若敵先居之、盈而勿從、不盈而從之
險形者、我先居之、必居高陽以待敵
若敵先居之、引而去之勿從也
遠形者、勢均難以挑戰、戰而不利
凡此六者、地之道也
將之至任、不可不察也

行軍篇・人心掌握術

_戦争は多いことが優れているのではない。
 ただ勇ましく攻撃するのではなく、力を集中して敵のもとに
なるもの(指導者や隊長)に対応できるなら、兵士は精鋭だ
けにすればいい。
 ただし、深く考えもせずに、敵を占っただけのような者は、
必ず敵の兵士に生け捕られる。
 兵士たちがまだ信頼していないのに罰を与えれば、従うは
ずがない。
 従わないのだから役に立てることは難しい。
 兵士たちがすでに信頼しているのに罰を与えなければ、こ
れも役に立てることができない。
 だから、命令する時は書状にして、公正を保つには武功に
むくいることだ。
 これで必ず掌握したと言える。
 命令が、地位の高い者にまで徹底されて、それを民衆の手
本にすれば、民衆は従うようになる。
 命令が、地位の高い者には徹底されていないのに、それが
民衆の手本となれば、民衆が従うわけがない。
 命令を地位の高い者にも徹底させる者は、民衆の信頼を
得ることができる。

※織田信長には、うつけ者といった粗暴なイメージがある一
方で、家臣に慕われるカリスマのイメージもある。
 以前にも触れたが、信長自信が命令を聞くタイプではない
ので、家臣を命令に従わせるというのは矛盾がある。
 信長がまず最初にしたのが、豊臣秀吉のような身分の低い
者を家臣にして、手柄をたてれば差別なく褒美を与え出世さ
せることだ。
 身分制度を根底からくつがえしたことで、民衆は支持し、期
待をする。
 身分に関係なく優秀な人材も集まってくる。
 その反面、明智光秀のような身分が高く優秀な者でも失敗
すれば容赦なく罰した。
 光秀のような者でも罰せられるとなれば、末端の兵卒や民
衆は気持ちをひきしめざるおえない。
 その上で、「天下布武」という目標をかかげたことで、命令
をしなくても、全体が目標に向かって集中する。
 信長が本能寺で、光秀に討ち取られることになったのも、
家臣が命令にしばられることがなく、自分で判断し、行動す
ることができたからだろう。
 通説では光秀は、信長の理不尽な叱責に怒りをまして、本
能寺の変を起こしたといわれているが、光秀はあまんじて怒
られ役を引き受けていたのではないだろうか。
 優秀な光秀なら自分が怒られることで、信長の統率に役立
つことは分かるはずだし、怒られている間は、信長を独り占
めしたような優越感もあったのではないかと思う。
 秀吉もよく怒られるようなことをやって信長の注目を集めよ
うとしていたふしがあるからだ。
 光秀は通説とは違う、何かの理由で発作的に信長を殺害
して、その後に光秀の部隊が動いたのではないだろうか。
 少なくとも信長の人心掌握術が間違っていたとは思えない。


兵は多きを益とするにあらざるなり。
ただ武進することなく、もって力を併(あわ)せて敵を料(はか)
るに足らば、人を取らんのみ。
それただ慮(おもんぱか)りなくして敵を易(あなど)る者は、
必ず人に擒(とりこ)にせらる。
卒、いまだ親附せざるにしかもこれを罰すれば、すなわち服
せず。
服せざればすなわち用い難きなり。
卒、すでに親附せるにしかも罰行なわれざれば、すなわち用
うべからざるなり。
ゆえにこれに令するに文をもってし、これを斉(ととの)うるに
武をもってす。
これを必取と謂う。
令、素(もと)より行なわれて、もってその民を教うれば、すな
わち民、服す。
令、素より行なわれずして、もってその民を教うれば、すなわ
ち民、服せず。
令、素より行なわるる者は、衆と相得るなり。

兵非益多也
惟無武進、足以併力料敵、取人而已
夫惟無慮而易敵者、必擒於人
卒未親附而罰之、則不服
不服則難用也
卒已親附而罰不行、則不可用也
故令之以文、齊之以武
是謂必取
令素行以教其民、則民服
令不素行以教其民、則民不服
令素行者、與衆相得也

行軍篇・政治腐敗

_杖をついて立っているのは、ひもじくて病になっている可能
性がある。
 汲んだ水を確認もせずに飲むのは、水不足になっている
可能性がある。
 有利になっているのに攻撃してこないのは、労作している
可能性がある。
 鳥が降りて群れていると、そこにはいない可能性がある。
 夜に呼びあっているのは、不安で反乱する可能性がある。
 軍に騒ぎがあるのは、将軍に何かあった可能性がある。
 旗があわただしく移動いているのは、計略に変更があった
可能性がある。
 隊長が怒っているのは、疲れている可能性がある。
 馬を殺して肉以外に食べ物がないのは、兵糧がない可能
性がある。
 器やかめをかかげて気勢を上げ、宿営地に戻ろうとしない
のは、決死の覚悟を決めた可能性がある。
 何度も集まって、しずかに相談するのは、民衆の支持を失っ
ている可能性がある。
 ひんぱんに賞を与えると行き詰まる。
 ひんぱんに罰を与えると乱れる。
 勝手に実行しておいて、後で民衆の評判を気にするのは、
怠慢のさいたるものだ。
 来ても任されたことを辞退するのは、責任逃れをしたいか
らだ。
 戦争で怒りをみせて対峙したまま、しばらく戦闘はせず、お
互いに退却できない状態になったら、みずから反省して、必
ず自分たちのおちどをあきらかにすること。

※そもそもこんな状態になったら戦争どころではない。
 自国の場合はすぐに分かるが、敵国については、こんなに
細かく分かるのか疑問。もし分かるとしたら戦うまでもないは
ず。
 政治を一部の者に任せていると、こういった政治腐敗にな
る。
 政治が悪くなるのは国民が政治を知らないからで、その知
らない者が代表を選ぶのは、野球を知らない者が選手のポ
ジションを決めるようなものだ。
 選挙で投票するというのは、立候補した者の連帯保証人に
なるということだが、どれだけの人がそんなことを考えて投票
しているのだろうか?
 ドイツのナチスも今の日本の選挙制度と同じように「民主的
な選挙」によって誕生した。
 自民党がだめで民主党もだめ。今度は橋下(大阪市長)新
党や石原(都知事)新党を選ぶのか?
 この人たちは「核武装論者」なのだが。
 それよりも議員や公務員には辞めてもらい、国民全員がボ
ランティアで政治参加して、政治を学ぶべきだ。
 そうすれば無駄な税金を使う必要がなくなり、税金の徴収
ではなく寄付で運営することもできる。また、無駄な議論をす
る必要もない。
 私は電気製品の修理の仕事をしていたが、故障の原因が
分からない時は、すべての部品を優先順位を決めて、交換し
てみる。
 無駄があるように思われるが、必ず修理できるし、経験を
つむと故障箇所が予測でき、優先順位の早い段階で修理で
きる。
 これを応用すれば、国民全員であらゆる提案をだし、優先
順位を決めて実行して、その結果をもとに修正していけば、
必ず正解にたどりつく。


杖つきて立つは、飢うるなり。
汲(く)みてまず飲むは、渇(かつ)するなり。
利を見て進まざるは、労(つか)るるなり。
鳥の集まるは、虚しきなり。
夜呼ぶは、恐るるなり。
軍の擾(みだ)るるは、将の重からざるなり。
旌旗(せいき)の動くは、乱るるなり。
吏(り)の怒るは、倦(う)みたるなり。
馬を粟(ぞく)して肉食するは、軍に糧なきなり。
缶(ふ)を懸けてその舎に返らざるは、窮寇なり。
諄諄翕翕(じゅんじゅんきゅうきゅう)として、徐(おもむろ)に
人と言うは、衆を失うなり。
しばしば賞するは、窘(くる)しむなり。
しばしば罰するは、困(くる)しむなり。
先に暴にして後にその衆を畏(おそ)るるは、不精の至りなり。
来たりて委謝するは、休息を欲するなり。
兵怒りて相迎え、久しくして合せず、また相去らざるは、必ず
謹みてこれを察せよ。

杖而立者、飢也
汲而先飮者、渇也
見利而不進者、勞也
鳥集者、虚也
夜呼者、恐也
軍擾者、將不重也
旌旗動者、亂也
吏怒者、倦也
粟馬肉食、軍無糧也
懸缶不返其舍者、窮寇也
諄諄翕翕、徐與人言者、失衆也
數賞者、窘也
數罰者、困也
先暴而後畏其衆者、不精之至也
來委謝者、欲休息也
兵怒而相迎、久而不合、又不相去、必謹察之

行軍篇・ささいな兆候

_敵が近くにいて静観しているのは、守りの固いことに自信
があるからだ。
 遠くにいて戦いの挑発をするのは、主導権を握ろうとする
ためだ。
 布陣した場所で余裕があるのは、有利だからだ。
 木々が不自然に動くのは、生き物の存在がある。
 草木が放置され、行く手を妨げられるのは、疑ったほうが
いい。
 鳥が突然、逃げるように飛び立つのは、待ち伏せかもしれ
ない。
 獣が逃げまどっているのは、退き帰らせようとしているのか
もしれない。
 土煙が、
 高く勢いがあるのは、馬車が移動しているかもしれない。
 低くて広範囲なのは、歩いているものが移動しているかも
しれない。
 散らばって四方にのびているのは、雑木を集めているかも
しれない。
 少ないが行き来しているようなのは、布陣をしようとしてい
るかもしれない。

 交渉をはぐらかして守備に専念していると言うのは、進軍
してくる可能性がある。
 交渉が強引で、進軍をほのめかすのは、退却する可能性
がある。
 貨物車を前面に配置して警戒しているのは、布陣をしてい
る可能性がある。
 不意に使者がやって来て、和平交渉を申し出るのは、計
略の可能性がある。
 忙しく走り回り、戦車を配置しているのは、覚悟を決めた
可能性がある。
 攻撃して来たり、退却したりを繰り返すのは、誘導しようと
している可能性がある。

※これらはあくまでも憶測で、疑えばきりがない。
 こうしたささいな事にも気をくばり、最終的には自分で調べ
て確かめる。
 戦争すると決めたからには、自分たちが主導権を握って
行動する。
 仮に罠があったとしても、あえてそれにひっかかることで、
有利に展開するように備えておく。


敵近くして静かなるはその険を恃(たの)めばなり。
遠くして戦いを挑むは、人の進むを欲するなり。
その居る所の易なるは、利なればなり。
衆樹の動くは、来たるなり。
衆草の障多きは、疑なり。
鳥の起(た)つは、伏なり。
獣の駭(おどろ)くは、覆なり。
塵高くして鋭きは、車の来たるなり。
卑くして広きは、徒の来たるなり。
散じて条達(じょうたつ)するは、樵採(しょうさい)するなり。
少なくして往来するは、軍を営(いとな)むなり。

辞(ことば)卑くして備えを益すは、進むなり。
辞(ことば)疆(つよ)くして進駆(しんく)するは、退くなり。
軽車まず出(い)でてその側に居るは、陳するなり。
約なくして和を請うは、謀るなり。
奔走して兵車を陳(つら)ぬるは、期するなり。
半進半退するは、誘うなり。

敵近而靜者、恃其險也
遠而挑戰者、欲人之進也
其所居易者、利也
衆樹動者、來也
衆草多障者、疑也
鳥起者、伏也
獸駭者、覆也
塵高而鋭者、車來也
卑而廣者、徒來也
散而條達者、樵採也
少而往來者、營軍也

辭卑而益備者、進也
辭疆而進驅者、退也
輕車先出居其側者、陳也
無約而請和者、謀也
奔走而陳兵車者、期也
半進半退者、誘也

行軍篇・軍の習性

_たいていの軍は高い場所に行こうとし、低い場所は避け、
活動しやすい状態にして勇ましく見せ、身を潜めるのを卑
怯だと考え嫌がる。
 生きることを考えて目先の利益に行き、軍はどんな病に
もならない。
 これで必勝と言っている。
 丘陵や堤防では、必ず活動しやすい場所に行き、それを
守りとする。
 これが戦争で有利になり、地の助けを得られる。
 上流で雨が降って、川の様子が変わっている所を渡りた
い時は、それが穏やかになるのを待つこと。

 向かう場所に、絶壁、くぼんだ地、閉じ込められる地、歩
行困難な地、陥没する地、空き地があれば、必ずすぐに立
ち去って近づかないこと。
 自分たちは遠ざかって、敵をこれらを背後にするように誘
導する。
 軍の行く手に険しく見通しの悪い場所、溝やくぼ地、背の
高い草が生い茂った場所、山林、モヤや霧などで目がかす
むような場所では、必ず用心して探索すること。
 こうした所に伏兵が潜んでいる。

※上記は正法で、奇法では避けるのではなく積極的に利用
する。
 水は高い場所から低い場所に流れるので、必ず高い場所
に行かなければならない。しかし、高い場所にいつまでも留
まることはできない。常に低い場所に行こうとする。
 人もトップを目指すのはいいが、それには敗者を思いやる
必要がある。それは、もともと自分も同じ立場からトップになっ
たのだし、いずれは敗者に戻るからだ。
 利益をもたらすのは大多数の敗者だ。
 利益を貯めこんでいたのでは、いずれ利益を得ることがで
きなくなる。死ねば利益は失われる。
 少しは小病にはなったほうが、大病に気づきやすい。
 地形は人工的に造りかえることができるので、危険な場所
を安全にすることも、安全な場所を危険にすることもできる。
 どちらにしても無関心でいることが問題だ。


およそ軍は高きを好みて下(ひく)きを悪(にく)み、陽を貴
(たっと)びて陰を賎(いや)しむ。
生を養いて実に処(お)り、軍に百疾(ひゃくしつ)なし。
これを必勝と謂う。
丘陵、堤防には必ずその陽に処りてこれを右背にす。
これ兵の利、地の助けなり。
上に雨ふりて水沫(すいまつ)至らば、渉(わた)らんと欲す
る者は、その定まるを待て。

およそ地に絶澗(ぜっかん)、天井、天牢、天羅、天陥(てん
かん)、天隙(てんげき)あらば、必ず亟(すみや)かにこれ
を去りて近づくことなかれ。
われはこれに遠ざかり、敵はこれに近づかせ、われはこれ
を迎え、敵はこれに背(うしろ)にせしめよ。
軍行に険阻、溝井(こうせい)、葭葦(かい)、山林、翳薈(え
いわい)あらば、必ず謹んでこれを覆索(ふくさく)せよ。
これ伏姦(ふくかん)の処る所なり。

凡軍好高而惡下、貴陽而賤陰
養生而處實、軍無百疾
是謂必勝
丘陵堤防、必處其陽而右背之
此兵之利、地之助也
上雨水沫至、欲渉者、待其定也

凡地有絶澗、天井、天牢、天羅、天陷、天隙、必亟去之、
勿近也
吾遠之敵近之、吾迎之敵背之
軍行有險阻、溝井、葭葦、山林、翳薈者、必謹覆索之
此伏姦之所處也

行軍篇・山川沢地

_軍を行かせて敵と対峙する時、
 敵が山を越えたら、こちらは谷に身をよせ、敵の消息を
確認して高い場所に行く。登る時に戦ってはいけない。
 これが山を行く軍だ。
 敵が川を渡れば、こちらは必ず川から遠ざかり、たとえ
親しい者でも川を渡って来たからといって、川の側で迎え
てはいけない。敵が川を渡って向こに行こうとしている途
中を攻撃すれば有利になる。
 戦いを望んでいる者は、川の中で親しい者を迎えるよう
なことはしない。
 敵の消息を確認して、敵より上流に行く。下流で待ちか
まえてはいけない。
 これが川を行く軍だ。
 敵がひらけた沢を行けば、こちらはすぐに去って留まっ
てはいけない。
 もし、こちらの軍がひらけた沢の中にいて、敵が向かっ
てきたら、必ず水草に身をひそめて樹のある場所を背に
すること。
 これがひらけた沢を行く軍だ。
 平地では余裕をもって行き、守りにおもきをおいて、前方
で戦い易い状態にして、後ろは逃げ道を確保しておく。
 これが平地を行く軍だ。
 この四つの行軍が有利となって、黄帝が四帝に勝利した
のだ。

※風水では前を玄武、後ろを朱雀、右を青龍、左を白虎
とし、中でも青龍と白虎が重要で、青龍のほうが守りに有
利とされている。(四神は方角で固定されているわけでは
ない)
 玄武は川上で朱雀が川下なので、川の流れを見れば、
青龍と白虎は分かり易い。
 沢や平地では分かりにくいので、青龍が守りを意味する
ことから、守りを重要と考えるのだろう。
 戦う場合は、反時計回りに移動するような戦い方がよい。


孫子曰く、およそ軍を処(お)き敵を相(み)るに、
山を越ゆれば谷に依(よ)り、生を視(み)て高きに処り、
隆(たか)きに戦うに登ることなかれ。
これ山に処るの軍なり。
水を絶(わた)れば必ず水に遠ざかり、客、水を絶りて来た
らば、これを水の内に迎うるなく、半(なか)ば済(わた)らし
めてこれを撃つは利あり。
戦わんと欲する者は、水に附きて客を迎うることなかれ。
生を視て高きに処り、水流を迎うることなかれ。
これ水上に処るの軍なり。
斥沢(せきたく)を絶(こ)ゆれば、ただ亟(すみや)かに去っ
て留まることなかれ。
もし軍を斥沢の中に交うれば、必ず水草に依りて衆樹を背
にせよ。
これ斥沢に処るの軍なり。
平陸には易きに処りて高きを右背にし、死を前にして生を
後にせよ。
これ平陸に処るの軍なり。
およそこの四軍の利は、黄帝の四帝に勝ちしゆえんなり。

孫子曰、凡處軍相敵、絶山依谷、視生處高、戰隆無登
此處山之軍也
絶水必遠水、客絶水而來、勿迎之於水内、
令半濟而撃之利
欲戰者、無附於水而迎客
視生處高、無迎水流
此處水上之軍也
絶斥澤、惟亟去無留
若交軍於斥澤之中、必依水草、而背衆樹
此處斥澤之軍也
平陸處易、而右背高、前死後生
此處平陸之軍也
凡此四軍之利、黄帝之所以勝四帝也

九変篇・将軍の心得

_なお、将軍には五つの危うさがある。
 敵を必死にさせると殺される。
 敵を必ず生かすようでは、生け捕られる。
 敵の怒りを招くと、軽く見られる。
 敵の心を正しく清いままにしておくと、恥をかかされる。
 敵が民衆を愛しんだままにしておくと、わずらわされる。
 この五つは将軍の過失によるもので、戦争をする時の
障害になる。
 軍勢が敵のほうにいき、将軍が殺されるのは、必ず五
つの危うさがあるからだ。
 よく注意しておくことだ。

※一般的には将軍の性格と解釈されているが、それでは
意味が分からなくなる。
 戦争をする時には、
 自分たちが死を覚悟して必死になるのはあたりまえで、
敵を必死にすれば、簡単には勝てなくなる。
 自分たちが生きようとすれば、戦いに敗れて殺されるだ
ろう。敵を生かせば、その恩義から生け捕りにされる可能
性がある。(国にとっては情報が漏れたり、敵を有利にして
しまう)
 自分たちの怒りは力となるが、敵を怒らせるようでは、勢
いづかせてしまう。
 自分たちの心が正しく清ければ、敵は攻撃しずらいが、
敵の心が正しく清いのに攻撃すれば、物笑いになるだろう。
 自分たちが民衆を愛しんでいれば、国が一丸となって戦え
るが、敵が民衆を愛しんでいると、勝って占領したとしても民
衆は言うことを聞かない。
 将軍は、戦争をする前にこういったことに対処しておき、戦
争中も心をくばる必要がある。


ゆえに将に五危あり。
必死は殺さるべきなり、
必生は虜(とりこ)にさるべきなり、
忿速(ふんそく)は侮(あなど)らるべきなり、
廉潔は辱(はずかし)めらるべきなり、
愛民は煩(わずら)わさるべきなり。
およそこの五者は将の過ちなり、兵を用うるの災いなり。
軍を覆(くつがえ)し将を殺すは必ず五危をもってす。
察せざるべからざるなり。

故將有五危
必死可殺也、
必生可虜也、
忿速可侮也、
廉潔可辱也、
愛民可煩也
凡此五者、將之過也、用兵之災也
覆軍殺將、必以五危
不可不察也

九変篇・利害は一体

_そこで、知恵のある者は深く考えて、必ず利害を集める。
 利益になる考えを集めて、その欠点をあかす。
 損害になる考えを集めて、その心配な点の解決策をしめ
す。
 だから、人々を勢いよく立ち上がらせるのには損害を話
し、人々に役割をあたえるのには報いることを話し、人々
をうながすのには利益を話す。

 このことから、戦争をする手順は、向こうから来ないこと
を期待するのではなく、こちらの持てる力で待機しているこ
とに期待する。
 向こうから攻めてこないことを期待するのではなく、こちら
の攻めてきても無駄になることに期待をする。

※どんなに知恵のある者でも利益だけを得て、損害をなく
すということはできない。それは、利益と損害、成功と失敗
はコインの裏表の関係にあるからだ。
 損害や失敗を恐れていては利益や成功を得ることはでき
ない。
 利益や成功に喜んでいては、必ず損害や失敗をする。
 そこで、知恵のない者はどうすればいいか?
 ありとあらゆる案をしぼりだし、その優先順位を決めて、
すべてやってみる。
 優先順位の決め方によっては、利益や成功は最後になる
かもしれないが、確実にたどりつくことができる。
 実行した結果によって、新しい案が出たり、優先順位を見
直せば、より早く利益や成功に近づく。
 利益や成功を得ても、そこで終わりではなく、利益が増え
すぎたら、成功しすぎたら周りにどんな悪影響があるかを考
える。
 利益だけを追求すれば公害になるし、刃物で料理ができ
るが人殺しもできる。
 自然現象(人為的なことも)はどんなことが起きるか分から
ない。すべてのことに対応はできないが、なにも起こらないと
考えるお役所仕事では命がいくつあってもたりない。
 過去の歴史や他国で起きたことなどの情報を集め、それを
シミュレーションしてゲームのように体験して対応方法を考え
ておくことはできる。
 これが九変の術といえなくもない。


このゆえに智者の慮は必ず利害に雑(まじ)う。
利に雑えて務め信ぶべきなり。
害に雑えて患(うれ)い解くべきなり。
このゆえに諸侯を屈するものは害をもってし、諸侯を役す
るものは業をもってし、諸侯を趨(はし)らすものは利をもっ
てす。

ゆえに兵を用うるの法は、その来たらざるを恃(たの)むな
く、われのもって待つあるを恃むなり。
その攻めざるを恃むなく、われの攻むべからざるところある
を恃むなり。

是故智者之慮、必雜於利害
雜於利、而務可信也
雜於害、而患可解也
是故屈諸侯者以害、役諸侯者以業、趨諸侯者以利

故用兵之法、無恃其不來、恃吾有以待也
無恃其不攻、恃吾有所不可攻也

九変篇・行動パターン

_戦争をする手順は、将軍が君主から命令を受け、軍に
よる合議をして、民衆の賛同を集め、
 破壊しなければいけない地に、居つかず、
 交差点のような地では、交わりを結び、
 中央から遠く離れた地には、とどまらず、
 囲まれた地では、考えをめぐらせ、
 助かる望みのない地では、戦う。
 泥道に頼らない。
 軍隊は攻撃しない。
 城は攻めない。
 領地を奪い合わない。
 君主の命令は受けない。

 そこで、将軍が九変の利に精通していれば、戦争の兆し
が分かる。
 将軍が九変の利に精通していなければ、地形を理解で
きても、地の利を得ることができない。
 戦争を治めたのに九変の術を知らなければ、上記の五
つの利害を知っていても人を活用できない。

※この文章は人の行動パターンを五つにしぼって言ってい
るのではないだろうか。
 開墾しなければいけないような土地には、なかなか人は
集まらない。だから、泥道のままで頼りにならない。
 ゴールドラッシュは金が発見されて人が集まるのであっ
て、道路を整備しても、その場所に魅力がなければ人は集
まらない。
 人々が行き交うような場所では、交易がおこなわれる。
だから、軍隊は攻撃しずらい。
 仮に占領しても大勢の人が行きかうようになり、元と同じ
ことになる。
 遠隔地では、人の入れ替わりがひんぱんになる。だから、
こんな場所にある城は攻める必要はない。
 仮に城を奪っても守ることができず、保守管理の損失が
増える。
 隔離されて見えない場所では、人はよからぬことを考え
る。だから、こんな領地は奪い合わない。
 政治家が料亭で話し合っても腐敗政治になり、刑務所で
は更正できない。
 悪事が芽生えるので、内部崩壊のもとになる。
 失望すれば、人は争う。だから、君主の命令は受けない。
 死ぬとなれば、法律などかまってられない。

 これらを九変の術を使ってうまく利用すれば、人を思いの
ままに活用することができる。
 なお、九変の利や九変の術に関しては、ここに説明はな
く、後にある九地篇で説明されていると思われる。


孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、将、命を君に受け、
軍を合し衆を聚(あつ)め、
ヒ地(ひち)には舍(やど)ることなく、
衢地(くち)には交わり合し、
絶地には留まることなく、
囲地にはすなわち謀(はか)り、
死地にはすなわち戦う。
塗(みち)に由(よ)らざる所あり。
軍に撃たざる所あり。
城に攻めざる所あり。
地に争わざる所あり。
君命に受けざる所あり。

ゆえに将、九変の利に通ずれば、兵を用うることを知る。
将、九変の利に通ぜざれば、地形を知るといえども、地の
利を得ることあたわず。
兵を治めて九変の術を知らざれば、五利を知るといえども、
人の用を得ることあたわず。

孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、
ヒ地無舍、
衢地交合、
絶地無留、
圍地則謀、
死地則戰、
塗有所不由、
軍有所不撃、
城有所不攻、
地有所不爭、
君命有所不受

故將通於九變之利者、知用兵矣
將不通於九變之利者、雖知地形、不能得地之利矣
治兵不知九變之術、雖知五利、不能得人之用矣

2011年12月10日土曜日

軍争篇・戦争手順

_戦争をする手順では、
 高い丘に向かってはならない。
 丘を背にするには、逆らってはならない。
 偽って逃げるには、従ってはならない。
 優れた兵士をとがめてはならない。
 おとりの兵士に食べさせてはならない。
 帰ろうとする者を引き止めてはならない。
 囲まれた者は必ず突破しようとする。
 苦しんで他国に侵入する時は、後から追いかけては
ならない。
 これが戦争をする手順だ。

※一般的には、敵の状態によりどう対処するかといっ
た解釈をされているが、敵の利益になるとしか思えな
い。
 高い丘にいる敵を攻めてはならないのではなく、囲
んで兵糧攻めすればいいから向かって行かない。逆
に自分たちが高い丘に行くと兵糧攻めされる。
 人間関係でいえば、自分より地位が高い者には、は
むかわず、落ちぶれるのを待つ。
 丘を背にする敵を攻撃してはならないのではなく、い
ずれ攻撃してくるので、あえて攻撃する必要はなく、正
面に布陣しない。または、丘を越えて背後から攻撃す
る。
 自分たちが丘を背にしたい場合は、敵を追いかけ回
すのではなく、自分たちが背にした丘の前に敵をおび
きよせる。
 人間関係でいえば、相手に後ろ盾がいる場合は、後
ろ盾になっている者を引き離す。自分たちの後ろ盾は、
相手ともっとも対立している者にする。
 偽って逃げる敵というのは、偽っているのか、本当に
逃げているのか分からない。
 本当に逃げているようにみせるには、誰の命令にも
従わず、四方八方に逃げることだ。
 人間関係でいえば、約束してやぶれば、友達はいな
くなっていく。(悪友とは縁が切れる)
 優れた兵士を攻撃してはならないのではなく、優れた
兵士が多少の失敗をしてもとがめてはならない。ただし、
怒られ役には優れた兵士のほうがいい。
 人間関係でいえば、短所には目をつむり、長所を伸
ばす。善悪の両方を評価する。
 おとりの兵士というのは、おとりなのか分からない。
 本当のおとりにするには、食べさせず、敵に寝返って
不平不満を訴えに行くようにする。そうすれば、敵の兵
数は増えるが、兵糧は減る。
 人間関係でいえば、役に立たない者は相手に押しつ
ける。
 帰国途上の敵を攻撃してはならないのではなく、大義
名分があるのなら、禍根を残さないために全滅させる。
 味方の中で、故郷に帰ろうと臆病になっている者がい
たら勢いがなくなるので、引き止めず、帰らせる。
 人間関係にも同じことがいえる。
 敵を包囲したら逃げ道を開ける必要はない。ただし、
無謀な攻撃を仕掛けてくるので、こちらから攻撃する必
要はなく、守りを固めて弱っていくのを待つ。
 自分たちが包囲されたら、弱い部分をみつけ、一点
に集中して攻撃をし、突破する。
 人間関係でいえば、どんな困難にも必ず逃げ道はあ
る。なにも行動しないのがいちばんダメ。
 窮地に追いこんだ敵を攻撃してはならないのではなく、
いずれ疲れて勢いがなくなるので追い回さずに待つ。
 自分たちが苦しい状態で他国に侵入する場合は、後
から追いかけて行くと背後を攻撃されるので、先頭に立っ
て向かって行く。
 人間関係でいえば、行動するのなら率先してやるほう
が、多くの利益を得ることができる。


ゆえに兵を用うるの法は、
高陵には向かうことなかれ、
丘を背にするには逆(むか)うことなかれ、
佯(いつわ)り北(に)ぐるには従うことなかれ、
鋭卒には攻むることなかれ、
餌兵(じへい)には食らうことなかれ、
帰師には遏(とど)むることなかれ、
囲師には必ず闕(か)き、
窮寇(きゅうこう)には追ることなかれ。
これ兵を用うるの法なり。

故用兵之法、
高陵勿向、
背丘勿逆、
佯北勿從、
鋭卒勿攻、
餌兵勿食、
歸師勿遏、
圍師必闕、
窮寇勿迫
此用兵之法也

2011年12月3日土曜日

軍争篇・大衆操作

_そこで軍隊で気勢を奪い、将軍は意思を奪うようにす
る。
 そもそも朝の気は鋭く、昼の気は怠惰で、夕暮れの気
は帰順する
 だから戦争に慣れた者は、鋭い気を避けて、怠惰や
帰順の時に攻撃する。
 これが気を治める者のやり方だ。
 治まった姿を見せることで、乱れたものが治まるのを
待ち、静まった姿を見せることで、やかましいものが静
かになるのを待つ。
 これが意思を治める者のやり方だ。
 近いと思わせて遠回りをするのを待ち、なまけている
ようにみせて労作するのを待ち、満足できると思わせ飢
えるのを待つ。
 これが力を治める者のやり方だ。
 整然と旗を掲げた軍隊を待つことはなく、勇ましい隊
列を攻撃することはない。
 これが変を治めるやり方だ。

※ナチスのヒトラーは、夕暮れ時に演説会を開き、大量
の旗を持った軍隊の行進や勇ましい軍歌を流すことで、
民衆の気勢を高めた。
 そして、ヒトラーが演説する時は、集まった聴衆が騒い
でいる時は、黙って静まるのを待った。
 そこで最初は落ち着いた口調で話し、次第に荒々しい
口調で勇ましい言葉を並べたてる。
 人は真似をしたくなる生き物だから、聴衆は共感して
いく。
 そして、自分たちを常に被害者の立場におき、本当と
は逆の情報をうえつける。
 正々堂々としているので、誰も疑いを持たなくなる。
 現在でも詐欺師がよく使う手口だ。
 恐ろしいのは、騙された者に自覚がなく、騙す側の味
方になり、その連鎖でもっと多くの者が騙されていく。
 事件として明るみになっても騙された者は被害者だと
いうことを認めないか、被害者意識だけで加害者意識
がない。
 詐欺事件は、騙された者を逮捕しない限り、詐欺師の
資金源を断つことはできないし、被害の拡大を防ぐこと
はできない。
 戦争で戦った兵士たちを英霊と言って、敗戦の責任を
国民に押し付けている政治も同じだ。
 戦争をしていなければ、この国の外交は優位にたつ
ことができ、アメリカと対等の関係になれた。先祖は本
当に英霊になっただろう。
 かりに諸外国から戦争をせざるおえない状態に追い
込まれていたとしても、それこそ大義名分を得るチャン
スになったはずだ。
 今度は、東日本大震災や原発事故の責任を増税や
値上げというかたちで国民に押し付けている。
 これらは、「該当者なし」が選択できず、公務員に投票
権のある「イカサマ選挙」に何の疑いもなく投票している
国民がいる限り、公認詐欺師に騙され続け、政治は良く
ならない。
 日本人の騙されやすいのは、義務教育の洗脳とあい
さつ運動にみられる。
 学校の教育には、人を育てるという目的はなく、従順に
命令を聞き、公務員に疑問をもたないように洗脳するこ
とにある。
 「あいさつ」というのは、合言葉と同じで、見知らぬ相手
でも、あいさつをしてきたら仲間だと思うようになる。
 だから、詐欺師はあいさつをしながら笑顔でやってくる。


ゆえに三軍には気を奪うべく、将軍には心を奪うべし。
このゆえに朝の気は鋭、昼の気は惰、暮の気は帰。
ゆえに善く兵を用うる者は、その鋭気を避けてその惰
帰(だき)を撃つ。
これ気を治むる者なり。
治をもって乱を待ち、静をもって譁(か)を待つ。
これ心を治むる者なり。
近きをもって遠きを待ち、佚(いつ)をもって労を待ち、
飽(ほう)をもって饑(き)を待つ。
これ力を治むる者なり。
正々の旗を邀(むか)うることなく、堂々の陳(じん)を撃
つことなし。
これ変を治むるものなり。

故三軍可奪氣、將軍可奪心
是故朝氣鋭、晝氣惰、暮氣歸
故善用兵者、避其鋭氣、撃其惰歸
此治氣者也
以治待亂、以靜待譁
此治心者也
以近待遠、以佚待勞、以飽待饑
此治力者也
無邀正正之旗、勿撃堂堂之陳
此治變者也

2011年11月26日土曜日

軍争篇・合図の道具

_他民族間との連合軍では、言葉で言い合っても通じな
いので、カネや太鼓でおこなう。また、しぐさでも、お互い
に気づかないので、旗でおこなう。
 カネや太鼓、旗は人の意思疎通を共通にするものだ。
 人の目標が一つに絞られれば、勇者だけで進むこと
はなくなり、おびえる者だけで退くこともなくなる。
 これが民衆の力を引き出す方法だ。
 だから、夜間の戦いではタイマツや太鼓を多用し、昼間
の戦いでは旗を多用するのは、人の意思を変えようとし
ているのだ。

※中国は多民族国家だから、言葉やしぐさなどが違うの
で、共通の合図としてカネや太鼓、旗を使う。
 問題はこれでどういう合図をするかだ。
 普通は味方の軍隊の行動を指示するとされるが、これ
では暗号のような合図にしても敵に行動が知られてしま
う。逆に、敵が孫子を間違って解釈してくれていれば、簡
単に行動が分かる。
 合図を出すとしたら敵の将軍などの目標の位置を知ら
せるのが有効だろう。だだし、これがバレると合図を出し
ている者が攻撃されてしまう。
 第二次世界大戦時、日本は自分たちの行動を暗号を
使って伝えていた。それはすべて、アメリカに傍受され、
行動が手にとるように把握されていた。
 もし、自分たちの行動ではなく、アメリカ軍の行動を伝
えていたら、アメリカは自分たちの行動が知られているこ
とに、脅威を感じただろう。
 アメリカの映画では兵士が目標物にレーザー光線を当
て、そこを戦闘機で攻撃するといった作戦があるので、
使う物が様変わりしている。
 カネや太鼓、旗の別の使い方としては、兵数を多く感じ
させたり、撤退するように見せかけ、伏兵で攻撃すると
いった、かく乱に使える。
 ナチスは勇ましい軍歌と大量の旗を利用して民衆を煽
動した。
 特に夜間はタイマツ行列をおこない、昼間は大量の旗
を使っての行進をおこなった。これは祭りでも同様だ。
 敵だけではなく、味方もかく乱することができるので、騙
されないように注意する必要がある。


軍政に曰く、言うともあい聞えず、ゆえに金鼓を為(つく)
る。視(しめ)すともあい見えず、ゆえに旌旗(せいき)を
為る、と。
それ金鼓・旌旗は人の耳目を一にするゆえんなり。
人すでに専一なれば、すなわち勇者もひとり進むことを
得ず、怯者(きょうじゃ)もひとり退くことを得ず。
これ衆を用うるの法なり。
ゆえに夜戦に火鼓(かこ)多く、昼戦に旌旗多きは、人
の耳目を変うるゆえんなり。

軍政曰、言不相聞、故爲金鼓、視不相見、故爲旌旗
夫金鼓旌旗者、所以一人之耳目也
人既專一、則勇者不得獨進、怯者不得獨退
此用衆之法也
故夜戰多火鼓、晝戰多旌旗、所以變人之耳目也

2011年11月19日土曜日

軍争篇・郷に入る

_だから共に戦う味方(他国など)の計画を尊重しない
者は、一緒に行動することはできない。
 地形の利用方法を理解できない者は、軍を有利に行
動させることができない。
 土地勘のある者を利用できなければ、地元(民衆)の
理解は得られない。
 そこで、戦争は計画の検討から始まり、有利であれば
行動し、共に戦う味方とつかず離れず変化に対応する
ことだ。
 そうするには、風邪のように流行を伝染させ、林靄
(リンアイ。林にたちこめるもや)のように思想を徐々に
浸透させ、火事のようにいたるところで民衆蜂起させ、
山里のように定住し、陰影のようにでしゃばらず、雷が
振動させるように短期間に実行する。
 民衆の団結が強い領地を懐柔するには、民衆を細
分化し、過疎地を発展させるには、利益を分配し、利
権があることを示して誘えば動く。
 その時々に応じた迂直の計を理解している者が勝
利する。
 これが、軍同士の利権争いのやり方だ。

※たとえ、敵国の領地を奪ったとしてもその領地の民
衆が受け入れなければ、いずれ領地を手放すことにな
る。
 同盟国と領地を分配するにしても良い地域が手に入
るとは限らない。
 それを有利にする方法をこの文章は説明しているの
であって、武田信玄で有名な「風林火山」の軍事行動と
解釈しては間違ってしまう。
 武田信玄は戦上手だったかもしれないが、目的はな
にも達成していない。敵の上杉謙信から塩を送られる
ようでは、無様としかいいようがない。
 間違った孫子の解釈の典型といっていいだろう。
 企業が未開拓の地域に進出する場合、他の地域で
流行していることなどを宣伝して注目させる。そのうえ
で試供品などを配布して、口コミなどを徐々に増やして
理解させる。
 要求が高まったところで、本格的に進出して、一気に
広める。ただし、流行はすぐに去るので、定番になるよ
うに質の低下やトラブルにならないように配慮する。
 まるで昔からそこにあるように馴染み深くする。そして
時々、イベントなどで注目を維持する。
 新しいものは拒否反応が強い、そこで民衆の性格な
どをタイプ別に細分化してターゲットを絞る。また、その
地域にすでにある企業などに製造委託して、自分たち
が直接、乗り込んでいかない。こうすることで、その地
域に利権があることを示せば、スムーズに受け入れら
れる。
 ようするに地産地消で、これを実践しているのがコカ・
コーラだ。
 だからコカ・コーラはどこの国でも、その国の産品にな
る。
 日本人はアメリカで流行っていると言えば、すぐに受
け入れる。また、何とか賞受賞と言えば、それが権威
がなくても良い物だと錯覚する。これほど飼い慣らしや
すい民族は他にはいないだろう。


ゆえに諸候の謀を知らざる者は、予め交わることあた
わず。
山林・険阻・沮沢(そたく)の形を知らざる者は、軍を行
(や)ることあたわず。
郷導を用いざる者は、地の利を得ることあたわず。
ゆえに兵は詐をもって立ち、利をもって動き、分合を
もって変をなすものなり。
ゆえにその疾きこと風のごとく、その徐(しず)かなるこ
と林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動か
ざること山のごとく、知り難きこと陰のごとく、動くこと雷
震のごとし。
郷を掠(かす)むるには衆を分かち、地を廓(ひろ)むる
には利を分かち、権を懸けて動く。
迂直の計を先知(せんち)する者は勝つ。
これ軍争の法なり。

故不知諸侯之謀者、不能豫交
不知山林險阻沮澤之形者、不能行軍
不用郷導者、不能得地利
故兵以詐立、以利動、以分合爲變者也
故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、
難知如陰、動如雷震
掠郷分衆、廓地分利、懸權而動
先知迂直之計者勝
此軍爭之法也

2011年11月12日土曜日

軍争篇・遠征の難しさ

_だから軍同士の利権争いは、利益にもなるが、危険
をともなう。
 軍が目的を忘れて利益を争えば、目的達成はできず、
軍の役割を忘れて利益を争えば、軍需品を載せた荷
車が置き去りにされる。
 だから戦争をそっちのけで進み、昼夜の警戒をおこ
たり、工程を倍の速さで行い、大遠征して利益を争うと、
指導者全員が捕らえられる。
 強い者は先に行き、疲れた者は遅れては、その使え
る手段が十のうち一つしかなくなる。
 中遠征して利益を争うと、重要な指導者が倒される。
その使える手段は半分しかなくなる。
 小遠征して利益を争うと、使える手段は三分の二し
かない。
 そもそも軍に軍需品を載せた荷車がなければ敗れ
るし、兵糧がなければ敗れるし、蓄えがなければ敗れ
る。

※先に「戦争の陣形は水のようにするのが理想で、一
人一人が自由に行動する。ただし、目標(目的)があり、
複数の目標がある場合は優先順位があり、人の行動
をみて自分の行動を変える響応することが大事」と書
いた。
 この文章では、響応がないので、失敗するのであって
規律が大事だと解釈するのは間違いだ。
 他国と連合して敵を攻撃する場合、自分たちは水の
ようにしても、他国は規律を重要と考え、厳しく統率し
ているかもしれない。
 だからといって他国に自分たちの考えを押しつけるの
は無理があるし、できたとしても他国を強くしてしまう可
能性がある。
 こうした場合は、他国の行動に合わせ、他国が目先
の利益に飛びつくようにしむければ、簡単な支援だけ
ですんだり、漁夫の利が得られるかもしれない。
 三国志の「赤壁の戦い」は、魏の軍門に下りそうになっ
た呉に、蜀の諸葛孔明が乗り込み、説得して魏と戦わ
せ、魏に大損害を負わせた。
 勝利した呉にしても、それで勢力が大きくなったわけ
ではなく、弱小の蜀が安泰になるチャンスを得て、三国
が拮抗した。
 モンゴルのチンギス・ハーン(ジンギスカン)は、ユーラ
シア大陸の大半を支配したが、当然、大遠征をすること
になる。
 モンゴル民族は遊牧民族なので、生活そのものが移
動するのに順応していた。そして、他民族との交流も活
発にして、征服した国の風習などは尊重して取り入れた
りもするので、ますます強くなっていった。
 遊牧民族は農耕民族とは違い、基本は単独行動なの
で、規律は必要ない。
 必要なのは、コミュニケーション能力と暗黙のルール
という響応で、常に他の人たちの行動をみて、自分の
行動を決定する。そのため情報収集は欠かせない。
 農耕民族は、支配者の言いなりに行動するので、支
配者が悪ければ(善い支配者は存在しないが)全員が
共倒れとなる。だから遠征するのは難しいのだ。
 現在の日本は農耕民族の集団体制で行き詰まり、政
治腐敗が極まっている。これは当然の成り行きで、家庭
の崩壊、孤立した生活などが弊害のようにいわれてい
るが、ネットなどを活用すれば、個人の意見が発信でき、
協力ではなく響応する遊牧民族的体制にするいいチャ
ンスが訪れていると考えたほうがいい。


ゆえに軍争は利たり、軍争は危たり。
軍を挙げて利を争えばすなわち及ばず、軍を委(す)て
て利を争えばすなわち輜重(しちょう)捐(す)てらる。
このゆえに甲を巻きて趨(はし)り、曰夜処(お)らず、
道を倍して兼行し、百里にして利を争うときは、すなわ
ち三将軍を擒(とりこ)にせらる。
勁(つよ)き者は先だち、疲るる者は後(おく)れ、その
法、十にして一至(いた)る。
五十里にして利を争うときは、すなわち上将軍を蹶(た
お)す。
その法、半(なか)ば至る。
三十里にして利を争うときは、すなわち三分の二至る。
このゆえに軍に輜重なければすなわち亡び、糧食なけ
ればすなわち亡び、委積(いし)なければすなわち亡ぶ。

故軍爭爲利、軍爭爲危
舉軍而爭利、則不及、委軍而爭利、則輜重捐、
是故卷甲而趨、日夜不處、倍道兼行、百里而爭利、
則擒三將軍
勁者先、疲者後、其法十一而至
五十里而爭利、則蹶上將軍
其法半至
三十里而爭利、則三分之二至
是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡

2011年11月5日土曜日

軍争篇・迂直の計

 戦争をする手順は、将軍が君主から命令を受け、軍に
よる合議をして、民衆の賛同を集め、心を一つにして生
きたいと思う心を捨てることで、軍同士の利権争いほど
難しいものはない。
 軍同士の利権争いの難しさは、曲がっているものを真
直ぐだと思わせ、災いを利益にみせかけるようなものだ。
 だから、相手の行く道を曲げて遅らせ、相手を誘うの
に利益にみせかけた災いを使い、人の行動をみて、人
よりも先頭を行く。
 これが迂直の計を会得した者の知恵だ。

※軍争というのは、敵と戦うというより、利権を奪い合う
と解釈したほうが分かりやすい。
 もちろん敵とも利権を奪い合うのだが、味方どうしでも
手柄を奪い合ったり、領地や地位を奪い合ったりする。
 味方が全体として勝利することは大事だが、そのため
に自分が犠牲になったのでは意味がない。
 特攻や自爆テロは愚か者の発想だ。
 例えば、他国と連合して敵を攻撃した場合、勝った後
に、領地などをどちらがどれだけ得るのかで、必ず争い
になる。
 こうしたことを防ぐには、戦う前に、身の安全と主導権
を確保しておかなければならない。
 自分はあえて面倒な仕事を請け負い、相手には手柄
が得られそうな仕事を譲る。そうすれば、自分は後方支
援で、相手は最前線で戦うということもある。
 インドのガンジーは、自分が率先して無抵抗不服従の
行動をすることで、民衆を煽動し、武器を持たない集団
にして、軍隊に立ち向かわせた。
 商人が武器と軍資金を提供するだけで、命拾いしてい
るのも迂直の計といえるだろう。
 迂直の計を一般の解釈では「遠回りをしているように
みせかけて、敵よりも速く目的地に行く」としているが、
敵がそのことを不自然と感じたら失敗に終わる。そもそ
も、目的地までの最短距離は、敵でも調べればすぐに
分かることだ。また、自分たちがすばやく行動する必要
があり、疲労する。
 このことは次回の文章でも警告している。
 それより、敵の通る道をわざと遮断して、迂回させる
ほうが無理がない。
 これと同じ発想が豊臣秀吉の「中国大返し」で、織田
信長を殺した明智光秀は、秀吉が安芸の毛利輝元と
戦っていると安心して、戦う準備をしていなかった。とこ
ろが、秀吉は、すでに戻って来ていて、万全の態勢を整
えていた。
 これは秀吉の行動が異常に速かったのではなく、光秀
の行動を遅らせたと解釈したほうがいい。
 秀吉は最初から本能寺の変が起きることを予測してい
たか、自分で工作していたと考えるほうが自然だ。
 ところで「ウサギと亀」の話は、たんに足の速さと考える
より、寿命と考えたほうがいいのではないだろうか。
 ウサギはいくら足が速くても寿命が短く、寿命が長い亀
がゆっくり歩いても、生涯で比べれば亀のほうが長距離
移動できるのではないだろうか。
 織田信長が武田信玄や上杉謙信とあえて戦わなかっ
たのも寿命を計算していたからだろう。
 これも迂直の計といえる。


孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、将、命を君より受け、
軍を合し衆を聚(あつ)め、和を交えて舎(とど)まるに、
軍争より難(かた)きはなし。
軍争の難きは、迂(う)をもって直となし、患をもって利と
なす。
ゆえにその途(みち)を迂にして、これを誘うに利をもって
し、人に後(おく)れて発し、人に先んじて至る。
これ迂直の計を知る者なり。

孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、
交和而舍、莫難於軍爭
軍爭之難者、以迂爲直、以患爲利
故迂其途、而誘之以利、後人發、先人至
此知迂直之計者也

2011年10月29日土曜日

虚実篇・無形の水

 戦争の陣形をつきつめれば、陣形のない状態となる。
 陣形がなければ、間者が深く侵入しても何も分からな
いし、知恵者が作戦をたてることができない。
 陣形がないので、勝利したとしても、誰もそれを理解
できない。
 一人一人は勝利するために行動していることは知っ
ているが、それで勝利しても全体の陣形がないので、ど
のようにして勝ったのかは分からない。
 だから戦いに勝利しても次も同じやり方をすることは
なく、陣形をなくして対応する。

 ようするに戦争の陣形は水のようにするのだ。
 水は全体として高い所から低い所に向かおうとする。
 戦争の陣形がなければ、敵の全体と戦うのではなく、
目標の少数の人に向かう。
 水は地形によって、その水の流れを変え、戦争は敵
の行動によって勝利のしかたを変える。
 だから戦争は常に同じ態勢でいるということはなく、
水は常に同じ所に留まるということはない。
 いつも敵の行動により変化して勝利する者、これを
軍神というのだ。
 例えば、木火土金水の五行のどれかが常に勝つとい
うことがない、春夏秋冬の四時のどれかが常にとどまっ
ているということはない、日は夏と冬で長くなったり、短
くなったりするし、月には満ち欠けがある。

※ここで注意しなければいけないのは、水のように無形
の状態がいいのであって、氷のように固体になるとまっ
たく意味がない。
 水というのは、分子ひとつひとつが自由に動き回れる
状態で、氷は分子が結合して身動きできなくなった状態。
 氷は木や石と同じように彫刻されたり、人の自由に扱
われてしまう。
 大王製紙のような大会社でも、創業一族が会社を私物
化し、社員が間違いを正すこともできない氷の状態にな
る。
 ただし、水には何のルールもなく分子が好き勝手に動
いているというのではない。高いところから低いところへ
向かおうとする。また、器の形になろうとする目標(目的)
が決まっている。そして、五行、四時、日や月のように複
数の目標があれば、その優先順位によって目標を変え
ていく。
 人にあてはめれば、響応するのが水で、協力するのは
氷の状態だ。
 人の行動をみて自分の行動を変えるのが響応で、協
力しあうのは行動が制限されるため氷のようになる。
 以前に「単独行動」のところで記した織田信長の今川
義元1人を殺す2千人の暗殺者というのが水の状態で、
今川義元の規律の整った軍隊というのが氷の状態だ。
 今川義元を討ち取った武将が軍神ということになる。
 三国志の魏の曹操は、赤壁の戦いで、軍船に船酔い
をする兵士が多いので、軍船同士を鎖でつないで揺れ
をなくした。これは氷の状態で、呉に火攻めされ、あっけ
なく大敗した。
 このことから、曹操がすくなくともこの時点では孫子の
真髄を分かっていなかったのだろう。
 こう考えると、孫子を著した孫武の逸話として残ってい
る、「呉の国王の二人の姫を指揮官にして、女性たちだ
けの軍隊をつくる。ところが、指示をしても命令を聞かな
いので、二人の姫を殺した。すると女性たちは一糸乱
れず命令に従った」という話は疑わしい。
 これでは氷にしたのと同じだし、そもそも国王との間
に禍根が残る。
 水が理想というのなら、孫武はまず、女性たちに宝石
を見せて、「今からこれを放り投げる。それを拾った者
に与える」と言って、宝石を女性たちの中に投げ入れる。
 落ちた宝石の近くにいた一人の女性が拾い、よく見る
と本当に高価な宝石で、周りがどよめく。
 これを何度か繰り返すと、おしとやかにしていた女性
たちが次第に目の色を変えて奪い合うようになった。
 女性たちが熱中したところを見計らって孫武が、「こ
れが最後だ」と言って、周りで笑って見ていた将兵たち
の部隊の中に、残っていた宝石をすべて放り込んだ。
 将兵たちが「あっ」と思った瞬間には、女性たちが突
進して来ている。
 後から次々に来る女性たちが押すので、その力は倍
増する。
 武器を持った屈強な将兵たちが、武器も持たない女
性たちになぎ倒され、踏み潰されていく。
 これを見た国王は笑いだした。その国王に孫武は、
「あの女性たちの中に刺客がいれば、国王のお命はな
くなっていたことでしょう」と言った。
 このほうが孫武の逸話にふさわしいと思うのだが。


ゆえに兵を形(あらわ)すの極は、無形に至る。
無形なれば、すなわち深間も窺(うかが)うことあたわ
ず、智者も謀(はか)ることあたわず。
形に因(よ)りて勝を錯(お)くも、衆は知ることあたわず。
人みなわが勝つゆえんの形を知るも、わが勝を制する
ゆえんの形を知ることなし。
ゆえにその戦い勝つや復(くりかえ)さずして、形に無
窮(むきゅう)に応ず。

それ兵の形は水に象(かたど)る。
水の形は高きを避けて下きに趨(おもむ)く。
兵の形は実を避けて虚を撃つ。
水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝ちを制
す。
ゆえに兵に常勢なく、水に常形なし。
よく敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。
ゆえに五行に常勝なく、四時に常位なく、日に短長あり、
月に死生あり。

故形兵之極、至於無形
無形、則深間不能窺、智者不能謀
因形而錯勝於衆、衆不能知
人皆知我所以勝之形、而莫知吾所以制勝之形
故其戰勝不復、而應形於無窮

夫兵形象水
水之形、避高而趨下
兵之形、避實而撃虚
水因地而制流、兵因敵而制勝
故兵無常勢、水無常形
能因敵變化而取勝者、謂之神
故五行無常勝、四時無常位、日有短長、月有死生

2011年10月22日土曜日

虚実篇・条件を整える

 戦いに適した地で敵を不利な場所に誘える勝利の
可能性が高い地。大義名分が整い、全体の勢いが増
している時、遠方だとしても戦える。
 たんに戦いの地を知っていてもこうした条件が整わ
ず、戦いの勢いがない時、前後左右で収拾のつかな
い状態となる。
 もちろん遠くても近くてもそれは同じことだ。
 そう考えれば、越の兵数が多くても勝敗で有利とは
いえない。
 だから勝利は条件を整えた方にある。
 敵が多いといっても攻撃してくるとはかぎらない。
 そこで、ありとあらゆる策略を考え、それらの利得と
損失を計算し、優先順位を決めておく。行動する時の
大義名分と留まる時の大義名分を考え、それが整うよ
うに工作しておく。戦う地域の地図上や、よく似た場所
で模擬戦闘をおこない、不利な地や有利な地を把握し
ておく。武器商人や食糧業者などに成りすまして、敵と
接触し、軍備の過不足を調べておく。

※この文章で、一般的な解釈の「戦いの地を知り、戦
いの日を知れば、千里を遠征しても会戦できる」を実
行すれば、必ず負ける。
 そもそも攻撃する側は、攻撃目標や攻撃日を知って
いなければ武器や食糧の準備ができず、軍資金も計
算できない。
 知ってて当たり前であり、孫子には単純な解釈をす
ると自滅するような罠が多くみられる。
 おそらく孫武は、敵に孫子が読まれることを前提に
書いていると思われる。(あるいは、あえて読ませて、
敵がこの通りに実行すれば、裏をかいて勝つことがで
きる)
 この文章には、天の時、地の利はあるが人の和が抜
けている。
 現在、普及している孫子は、三国志にある、魏の曹
操が著わした「魏武帝註孫子」が元になっているとい
われている。
 当時の書は、木簡を使っていて、現在のように紙に
印刷して大量に配布するということはなかったが、それ
にしても曹操が敵に知られるようなことをするとは考え
られない。
 曹操が孫子を読んだ時、敵を陥れるのに使えると考
えたのではないだろうか?
 呉の孫権は、孫武の末裔を自称していたので、曹操
の思い通りに利用されている。ところが、蜀の諸葛孔
明は、孫子とは違う、独自の兵法を駆使して挑んでき
たので、曹操は苦戦する。
 結局、三つ巴になって中国統一はどこも果たせなかっ
た。しかし、本当の孫子を知っていた魏の軍師、司馬
仲達は、自分の孫が中国統一をする道筋を作ってい
る。 
 孫子というのは薬にもなれば毒にもなることを知って
おく必要がある。


ゆえに戦いの地を知り、戦いの日を知れば、すなわち
千里にして会戦すべし。
戦いの地を知らず、戦いの日を知らざれば、すなわち
左は右を救うことあたわず、右は左を救うことあたわ
ず、前は後を救うことあたわず、後は前を救うことあた
わず。
しかるをいわんや遠きは数十里、近きは数里なるをや。
われをもってこれを度(はか)るに、越人の兵は多しと
いえども、またなんぞ勝敗に益せんや。
ゆえに曰く、勝はなすべきなり。
敵は衆しといえども、闘うことなからしむべし。
ゆえにこれを策(はか)りて得失の計を知り、これを作
(おこ)して動静の理を知り、これを形(あらわ)して死
生の地を知り、これに角(ふ)れて有余不足のところを
知る。

故知戰之地、知戰之日、則可千里而會戰
不知戰地、不知戰日、則左不能救右、右不能救左、
前不能救後、後不能救前
而況遠者數十里、近者數里乎
以吾度之、越人之兵雖多、亦奚益於勝敗哉
故曰、勝可爲也
敵雖衆、可使無闘
故策之而知得失之計、作之而知動靜之理、
形之而知死生之地、角之而知有餘不足之處

2011年10月15日土曜日

虚実篇・単独行動

 だから敵に形式(規律)があり、こちらは形式(規律)
にとらわれなければ、こちらは単独の行動ができ、敵は
各自の持ち場を離れられない。
 こちらは一つの目標に向かって単独行動し、敵は十の
役割を分担したら、その指揮をする者だけを全員で攻撃
すればいい。
 結果的に、こちらは多勢で敵は無勢になる。
 多様な個性を生かして、孤立した者を攻撃すれば、こ
ちらに味方する者は結束できる。
 こちらの攻め方は、敵には理解できない。
 理解できないから防備する者が多くなる。
 防備する者が多くなると、攻めてくる者は少ない。
 だから前後左右で持ち場を離れることができず、連携
した対処ができない。
 孤立すると人は防備するようになる。
 多様な個性を生かせば、敵に対して個人の判断で防
備できるようになる。

※この文章の中で一般的には「こちらの全兵力が一つ
となり、敵は分散して十の部隊になれば、それは味方が
十倍の兵力で、一つの敵を攻撃することになる」と解釈
されている部分がある。
 敵はなぜ十の部隊に分散するのか?
 それがどうして十倍の兵力で敵を攻撃することになる
のか?
 分散した一つの部隊を攻撃しているだけで、すべてを
攻撃しているわけではない。
 一読すると敵はこちらよりも兵数が多いように感じる
が、仮にこちらの兵数を100人とすると敵の10分の1
は10人。(100人で10人を攻撃するから敵の10倍)
それが10の部隊に分散しているのだから敵の全兵数
は100人でこちらと同じ人数になる。
 敵は二手に分かれて攻撃することはあっても10に分
散するとは考えられない。だから上記のような私の解釈
になる。
 これを実践したのが織田信長の「桶狭間の合戦」だ。
 駿河の今川義元が2万とも5万ともいわれる兵数で尾
張に侵攻してきた。それに対する織田信長の兵数は2
千人。
 今川軍の実際の兵数は定かではないが、誇大に吹聴
していたかもしれない。少なくとも織田軍よりも多勢だっ
たはずで、桶狭間に着く前に小規模の戦闘があり、今
川軍が勝利していることからも余裕があったのかもしれ
ない。
 だからまさか自分たちに攻撃を仕掛けてくるとは思っ
ていなかったのだろう。豪雨になったことで今川軍は足
を止め、雨のやむのを待った。
 雨がやんだと思ったその時、突然、織田軍が今川軍
の本陣になだれ込み、義元は討ち取られた。
 織田信長自身が既存のルールを破壊してきた人物な
ので、家臣にルールを守れとは言わなかっただろう。
 信長の家臣は単独で戦地に赴くことも多く、信長はそ
の力量を試していたふしがあるぐらいだ。
 今川軍のほうは、軍の規律がしっかり守られていて、
義元や部隊長の命令で一糸乱れずに行動するといった
態勢になっていたと思われる。
 軍隊と軍隊の戦いなら今川軍のほうが圧勝するはず
だが、信長は義元1人を殺す2千人の暗殺者という発想
をしていた。
 暗殺者は単独行動するので、規律などない。どう行動
するかも予測はできない。
 今川軍の兵卒は、織田軍に攻撃されているとは分かっ
ても自分が攻撃されているわけではなく、規律により命
令がなければ勝手に持ち場を離れることはできない。
 指示待ちの状態で、あっという間に義元が殺されたら、
後は烏合の衆とかすだけだ。
 現在でもアメリカ軍がパキスタンやイラクで自爆テロに
あい、多くの兵士が無駄死にしている。
 アメリカ軍の兵士は軍の規律に縛られ、国際的なルー
ルにも束縛されているので、兵士の個々が自由に判断
して行動することができない。
 以前にも書いたが、テロリストは大国の作った国際
ルールなど守るはずがない。 
 そもそも戦争はスポーツではないのでルールなど何の
意味もない。


ゆえに人を形せしめてわれに形なければ、すなわちわ
れは専(あつ)まりて敵は分かる。
われは専まりて一となり、敵は分かれて十とならば、こ
れ十をもってその一を攻むるなり。
すなわちわれは衆(おお)くして敵は寡(すくな)し。
よく衆をもって寡を撃たば、すなわちわれのともに戦う
ところの者は約なり。
われのともに戦うところの地は知るべからず。
知るべからざれば、すなわち敵の備うるところの者多し。
敵の備うるところの者多ければ、すなわちわれのともに
戦うところの者は寡し。
ゆえに前に備うればすなわち後、寡く、後に備うればす
なわち前、寡く、左に備うればすなわち右、寡く、右に備
うればすなわち左、寡く、備えざるところなければすなわ
ち寡からざるところなし。
寡きは人に備うるものなり。
衆き者は人をしておのれに備えしむるものなり。

故形人而我無形、則我專而敵分
我專爲一、敵分爲十、是以十攻其一也
則我衆而敵寡
能以衆撃寡者、則吾之所與戰者約矣
吾所與戰之地不可知
不可知、則敵所備者多
敵所備者多、則吾所與戰者寡矣
故備前則後寡、備後則前寡、備左則右寡、
備右則左寡、無所不備、則無所不寡
寡者備人者也
衆者使人備己者也

2011年10月8日土曜日

虚実篇・心理戦

 どうしても防ぐことができないのは、虚栄心をつくから
だ。
 どうしても追い越せないのは、速報性が勝っているか
らだ。
 だから短期戦をしなければいけない時、敵が厳重な
守りを固めて攻撃してこない場合でも、敵の誇りを傷つ
け、大義名分を与えれば、戦わざるおえなくなり、攻め
てくる。
 こちらが守りきりたい時、どんなに無防備でも、敵が
攻撃できないのは、伝染病の発生のような偽情報を流
し、敵が近づけないようにするからだ。

※相手のプライドを傷つければ、普通なら怒るだろう。
心はどんなに訓練しても強くすることはできない。
 独りなら耐えることができたとしても、集団が動揺する
と収拾がつかなくなる。
 特に、相手に考える暇を与えず、噂が広まるような状
況なら効果は絶大だ。
 人間は無意識に拒絶することもある。例えば、道にウ
ンチが落ちている。
 ウンチは何かをするわけではない。でも、人は避けて
通る。どんなに力の強い者でも相手にはしない。
 ウンチには「汚い」という武器がある。それが命を脅か
されるとなると、人は益々、拒絶する。
 毒をもった生き物に体を似せる生き物もいる。これら
は毒をもった生き物が危険だということを他の生き物が
知っていなければ効果がない。
 心理戦というのは、いかに情報をタイミングよく的確に
出すかにかかっている。


進みて禦(ふせ)ぐべからざるは、その虚を衝(つ)けば
なり。
退きて追うべからざるは、速かにして及ぶべからざれば
なり。
ゆえにわれ戦わんと欲すれば、敵、塁を高くし溝を深く
すといえども、われと戦わざるを得ざるは、その必ず救
う所を攻むればなり。
われ戦いを欲せざれば、地を画してこれを守るも、敵、
われと戦うを得ざるは、その之(ゆ)く所に乖(そむ)け
ばなり。

進而不可禦者、衝其虚也
退而不可追者、速而不可及也
故我欲戰、敵雖高壘深溝、不得不與我戰者、
攻其所必救也
我不欲戰、畫地而守之、敵不得與我戰者、
乖其所之也

2011年10月1日土曜日

虚実篇・無形の圧力

 敵の行きそうな場所に先に現れ、敵が味方にしてい
る者の場所にも行ってみる。
 遠征を難なく行うのは、行軍しているとは分からない
ように偽装や散開して人知れず行くからだ。
 攻めて必ず奪えるのは、危険な場所で、敵が攻めて
こないと思い、守っていない所を攻めるからだ。
 守って必ず防ぐのは、攻めると後で反撃があると思
わせるような後ろ盾を用意して守っているからだ。
 だから攻めるのが上手い者には、敵は守りようがな
い。
 守るのが上手い者には、敵は攻めようがない。
 細かく砕いていけば形は無くなる。
 神がかっていけば音も無くなる。
 だから敵の命を左右することができるのだ。

※この文章をそのまま解釈すれば「千里を遠征して苦
労しないのは、敵がいない場所を行軍するからだ。
 攻撃すれば必ず奪うのは、敵が守っていない場所を
攻撃するからだ。
 守って必ず防ぐのは、敵が攻めてこない場所を守る
からだ」と、当たり前すぎて、こんなに都合のいいよう
にできるとは思えない。
 虚実というのは敵に、目には見えないプレッシャーを
与え、戦闘意欲をなくさせること。
 そう解釈すれば、先手をうって行動したり、敵が味方
にしている者に会って交渉したり、敵の固定観念を打
ち破ったり、敵が恐れる相手を後ろ盾にしたりといった、
プレッシャーを細やかに繰り出し、手品のようにありえ
ないことを見せれば、こちらの思いのままになるといっ
た意味に受け取れる。
 石田三成は加藤清正らに暗殺されそうになった時、
暗殺の首謀者かもしれない徳川家康の邸宅に逃げ込
み、難を逃れた。
 幕末の薩長同盟など、本来ならできそうもないことが
できた時、相手に与えるダメージは大きい。
 坂本龍馬は、勝海舟を後ろ盾にしたことで、幕府は
手出しができなくなった。


その必ず趨(おもむ)く所に出で、その意(おも)わざる
所に趨く。
千里を行いて労れざるは、無人の地を行けばなり。
攻めて必ず取るは、その守らざる所を攻むればなり。
守りて必ず固きは、その攻めざる所を守ればなり。
ゆえに善く攻むる者には、敵、その守る所を知らず。
善く守る者には、敵、その攻むる所を知らず。
微なるかな微なるかな、無形に至る。
神なるかな神なるかな、無声に至る。
ゆえによく敵の司命をなす。


出其所不趨、趨其所不意
行千里而不勞者、行於無人之地也
攻而必取者、攻其所不守也
守而必固者、守其所不攻也
故善攻者、敵不知其所守
善守者、敵不知其所攻
微乎微乎、至於無形
神乎神乎、至於無聲
故能爲敵之司命

2011年9月24日土曜日

虚実篇・油断させる

 先に戦場に着いて敵を待つ者は油断し、後から戦場
に着いて戦おうとする者は労作する。
 だから戦争に慣れた者は、自分たちがおもむき、敵
に来させない。
 敵が先に着てしまうのは、そのほうが有利だからだ。
 敵が来ないのは、到着が速過ぎて損害がでるからだ。
 だから敵が油断するよう労作し、敵に余裕ができるよ
うに欲しがり、敵が安心するように動揺してみせる。

※この文章は一般的には「先に戦場に着いて敵を待て
ば余裕があり、後から戦場に着いて戦おうとすれば苦
労する。だから戦争に慣れた者は、自分たちが主導権
を握り、敵の思い通りにさせない……」といった解釈を
している。
 しかし、宮本武蔵は巌流島の決闘で、佐々木小次郎
を待たせて勝った。また、豊臣秀吉が明智光秀と山崎
で戦った時も、長距離を移動してすぐに合戦をして勝っ
たとされている。
 戦闘機の空中戦では、先に戦闘空域に着けば早く燃
料切れになり、負ける可能性のほうが高い。
 「先手必勝」という言葉があるが、速過ぎては負ける
こともある。
 ようはタイミングの問題で、主導権を握るというのは
敵の動きに合わせて行動するタイミングを計るというこ
とだ。


孫子曰く、およそ先に戦地に処(お)りて敵を待つ者は
佚(いっ)し、後(おく)れて戦地に処りて戦いに趨(おも
む)く者は労す。
ゆえに善く戦う者は、人を致して人に致されず。
よく敵人をしてみずから至らしむるは、これを利すれば
なり。
よく敵人をして至るを得ざらしむるは、これを害すれば
なり。
ゆえに敵佚すればよくこれを労し、飽けばよくこれを饑
(う)えしめ、安ければよくこれを動かす。

孫子曰、凡先處戰地、而待敵者佚、
後處戰地、而趨戰者勞
故善戰者、致人而不致於人
能使敵人自至者、利之也
能使敵人不得至者、害之也
故敵佚能勞之、飽能饑之、安能動之

2011年9月17日土曜日

勢篇・勢いを増す

 そこで戦争に慣れた者は、勢いを得るために、人の言
動をとがめない。
 だから最適な人を選んで、勢いを増すように煽動させる。
 煽動する者は、人を戦いに駆り立てるために、動かな
い木や石が転がるのと同じように煽動していく。
 木や石の性質は、安定した場所では静止し、不安定な
場所では動き、地面に接していればいずれ停止し、宙に
浮いていればいつまでも進んで行く。
 だからうまく人を戦いに駆り立てた勢いは、宙に浮いた
石が険しい山でも転がって登るような勢いになる。

 ※弱者が強者に勝つためにはルール無用で挑まなけ
ればならない。そもそもルールは強者に有利なように作
られる。
 戦争でルールを作ってもテロリストなどはそのルールを
無視するし、ルールが必要な戦争などしなければいい。
 戦争とは人殺しが正当化される行為だ。
 ナチスのヒトラーは、攻めようとする国に自国民を住ま
わせ、迫害されているように宣伝した。それを見た国民
は怒りを増し、愛国心に訴えることで、誰もが武器を持っ
て戦うようにしむけた。
 カルト教団は、将来の不安を駆り立て、神を利用して
自分たちには超越した能力があるように錯覚させる。
 一時的に勢いが増したとしても、それが身勝手なもの
なら、必ず自分に災いをもたらす。


ゆえに善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責(もと)め
ず。
ゆえによく人を択(す)てて勢に任ず。
勢に任ずる者は、その人を戦わしむるや、木石を転ずる
がごとし。
木石の性は、安なればすなわち静に、危なればすなわち
動き、方なればすなわち止まり、円なればすなわち行く。
ゆえに善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仞(せんじん)
の山に転ずるがごときは、勢なり。

故善戰者、求之於勢、不責於人
故能擇人而任勢
任勢者、其戰人也、如轉木石
木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行
故善戰人之勢、如轉圓石於千仞之山者、勢也

2011年9月10日土曜日

勢篇・勢いと時期

 激しい水の速さが石を漂わすのは、勢いがあるからだ。
 獲物を狙う鳥が疾風のごとく獲物を捕るのは、時期が
合っているからだ。
 これと同じように戦争に慣れた者は、民衆に危機的な
状況を訴えて勢いとし、時期を見計らって一気に動く。
 勢いは弓をひくように力をためなければならず、時期
は敵の変化をみて兆しを知る必要がある。

 多数が入り乱れ、戦いが混乱しても目的を見失っては
いけない。
 勝敗がつかず、こう着状態となっても気を緩めてはい
けない。

 治まっているものでも乱れ、勇敢なものでも怯えるし、
強いものでも弱い部分がある。
 治まったり乱れたりするのは謀略による。
 勇敢になったり怯えたりするのは勢いの差による。
 強くなったり弱くなるのは外見(体裁)による。

 だから敵を動かすことができる者は、こちらが外見を
変化させることで、敵がそれに合わせて行動するように
し、こちらが予測しやすい行動をすれば敵は必ず隙をつ
いてくる。
 有利だと思わせて動かし、伏兵で待っていればいい。

※ルアーを使った釣りをする場合、魚の種類や季節、天
候などによってルアーを選ぶ。そしてルアーを巧みに動
かして生きた餌のように見せかけて魚を誘い出し、釣針
にかかったタイミングを見て、ラインを一気に巻き上げる。
 釣り上げるまでには、ラインを巻いたり、止めたり、出
したりといった魚との駆け引きがあり、魚を弱らせる。
 目的の魚を釣りたいという根気と集中力がルアーを生
きた餌に見せかけることができ、竿の先やラインからくる
振動を感じてタイミングを知ることができる。
 目的の魚のいる場所を知ることや餌をまいておびき寄
せることも大事だ。


激水の疾(はや)くして石を漂わすに至るは、勢なり。
鷙鳥(しちょう)の疾くして毀折(きせつ)に至るは、節なり。
このゆえに善く戦う者は、その勢は険にしてその節は短
なり。
勢は弩(ど)をひくがごとく、節は機を発するがごとし。

紛紛紜紜(ふんぷんうんうん)として闘い乱れて、乱すべ
からず。
渾渾沌沌(こんこんとんとん)として形、円(まる)くして、
敗るべからず。

乱は治に生じ、怯(きょう)は勇に生じ、弱は彊(きょう)に
生ず。
治乱は数なり。
勇怯(ゆうきょう)は勢なり。
彊弱(きょうじゃく)は形なり。

ゆえに善く敵を動かす者は、これに形すれば敵必ずこれ
に従い、これに予(あた)うれば、敵必ずこれを取る。
利をもってこれを動かし、卒をもってこれを待つ。

激水之疾、至於漂石者、勢也
鷙鳥之疾、至於毀折者、節也
是故善戰者、其勢險、其節短
勢如ヒク弩、節如發機

紛紛紜紜、闘亂而不可亂也
渾渾沌沌、形圓而不可敗也

亂生於治、怯生於勇、弱生於彊
治亂數也
勇怯勢也
彊弱形也

故善動敵者、形之、敵必從之、予之、敵必取之
以利動之、以卒待之

2011年9月3日土曜日

勢篇・奇法と正法

 争う時は、いつもする行動(正法)に見慣れさせて、い
つもはしない行動(奇法)を繰り出すから勝つのだ。
 だから奇法に巧みな者は、天地のようにありふれた
行動を繰り返しているように観えるが、江河のように変
化のある行動を次々に繰り出すこともできる。
 日月は沈んでもまた昇ってくる。
 四季は死をもたらすが、生み出しもする。
 音の種類は有限だけど、その組み合わせによって無
限に新しい音が聴こえるように感じる。
 色の種類は有限だけど、その組み合わせによって無
限に新しい色が観えるように感じる。
 味の種類は有限だけど、その組み合わせによって無
限に新しい味がするように感じる。
 争う態勢は奇法と正法しかないけれど、その組み合
わせによって無限に新しい態勢になったように感じる。
 奇法と正法は元々どちらも同じで、忘れられているか
知られているかの違いだけなので、区別はなく循環して
いるようなものだ。
 だれでもそれを使い尽くすということはない。

※コロンブスが「卵を立てられるか?」と聞くと、誰も立
てることができない。そこでコロンブスが卵をテーブル
に叩きつけ少し割って立てると、皆「なんだ、それなら誰
でもできる」と言う。
 今ではコロンブスの卵と言えば、誰でもすぐに思いつ
く正法になっているが、コロンブスがした時でも、特別な
ことをしたわけではなく、皆の「卵は丸いから立てられな
い」という固定観念を利用しただけで、これが奇法だ。
 エジソンやアインシュタインも新しい発明や発見をした
のではなく、自然界にあったものを利用したり、昔から
ある考え方(理論)を組み合わせただけだ。
 ジャッキーチェンがカンフー映画の中で、身近にある
机や椅子を武器として使う。
 机や椅子を普通に使えば正法だが、武器として作ら
れたものではない物を武器として使えば奇法になる。
 誰もが知ってしまったことが正法で、誰もが忘れたり
気がつかなくなったことが奇法。だから奇法を何度も使っ
ていれば正法になり、忘れられた正法を使えば奇法に
なる。


およそ戦いは、正をもって合し、奇をもって勝つ。
ゆえに善く奇を出だす者は、窮(きわ)まりなきこと天地
のごとく、竭(つ)きざること江河のごとし。
終わりてまた始まるは、日月これなり。
死してまた生ずるは、四時これなり。
声は五に過ぎざるも、五声の変は勝(あ)げて聴くべか
らざるなり。
色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからざ
るなり。
味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗(な)むべか
らざるなり。
戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべか
らざるなり。
奇正のあい生ずることは、循環の端なきがごとし。
たれかよくこれを窮めんや。

凡戰者、以正合、以奇勝
故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河
終而復始、日月是也
死而復生、四時是也
聲不過五、五聲之變、不可勝聽也
色不過五、五色之變、不可勝觀也
味不過五、五味之變、不可勝嘗也
戰勢、不過奇正、奇正之變、不可勝窮也
奇正相生、如循環之無端
孰能窮之

2011年8月27日土曜日

勢篇・勢いを生む

 大衆を治めるのに独りを治めるかのようになるのは、
役割分担をするからだ。
 大衆を闘わせるのに独りが闘うかのようになるのは、
行動が大義名分にもとづいているからだ。
 軍隊が必ず敵を敗退させるのは、いつもはしない行
動(奇法)といつもする行動(正法)を組み合わせてお
こなうからだ。
 戦争をした時、石で卵を打ち砕くように手ごたえがな
くあっけないのは、嘘を見抜き、真実をつくからだ。

※普段は静かな海が大津波になるのは、水の動きが
一つにまとまり、それぞれが影響しあって力を増し、同
じ方向に動くが障害物のない方向にも動いて、弱い部
分を徐々に破壊し、障害物を動かすことでさらに強大
な力となるからだ。
 一つにまとまるというのは皆が同じことをするのでは
なく、適材適所で自分の力がもっとも発揮できる役割
につくことだ。だから中には何もしていないように見え
る者もいる。無駄なことをしているように見える者もい
る。
 それが意外な発見をしたり、思わぬ相乗効果を生ん
で勢いとなる。


孫子曰く、およそ衆を治むること寡(か)を治むるがご
とくなるは、分数これなり。
衆を闘わしむること寡を闘わしむるがごとくなるは、形
名これなり。
三軍の衆、必ず敵を受けて敗なからしむるべきは、奇
正これなり。
兵の加うるところ、タンをもって卵に投ずるがごとくなる
は、虚実これなり。

孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也
闘衆如闘寡、形名是也
三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也
兵之所加、如以タン投卵者、虚實是也

2011年8月20日土曜日

形篇・勝負に集中

 戦争に慣れた者は、民意を反映したルールを作る。
 だから内乱が起きず、勝負に集中できる政治になる。
 兵法では、
 一に度合(ころあい)
 二に量知(おしはかって知る)
 三に計数(計算)
 四に称賛(ほどあい。程度)
 五に勝算(まさる)
 戦場には戦うころあいがあり、それはおしはかって
知る必要がある。おしはかって知るには計算が必要
で、計算してちょうど良い程度を知る。ちょうど良い程
度とは敵に勝る程度ということだ。
 だから勝つのは大きい器で少量を計る(余裕がある
適量)ように、敵に勝る程度を知ることであり、負ける
のは小さい器で多量を計る(あふれる過多)ようにちょ
うど良い程度を知らないからだ。(多すぎても少なすぎ
ても良くない)
 民衆を戦いにかりたてて勝つのは、溜まった水を滝
に落とすように、不満や怒りを増長し、ころあいを見て、
目的を絞って一気に放出させる。それは人数の多少
ではなく意思の統一した姿勢である。

※この文章は一般的には「多数で少数を圧倒する」と
いった解釈がされているが、数の上で劣勢で苦境に立
たされたとしても必ず負けるとは限らない。
 ベトナム戦争でアメリカが負けたのは、メディアの力
だといわれている。
 連日のように戦争の様子がニュースで流れ、それは
アメリカ人が勇敢に戦っている姿ではなく、ベトナム人
が逃げまどい、虐殺され、アメリカ兵は戦争の目的が
何なのかも分からず、ゲリラの恐怖におびえる泥沼化
した様子だった。
 アメリカは日本を大量破壊兵器で敗北させたことが、
ベトナムでも通用すると思い込んでいた。
 それが逆に弱い者いじめのように映り、アメリカ国民
の中でも批判が強くなった。
 ただ、アメリカが敗北を認めたことは、日本とは違い、
状況を冷静に見て計算し、決断する勇気があったから
だ。


善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。
ゆえによく勝敗の政をなす。
兵法は、
一に曰く、度。
二に曰く、量。
三に曰く、数。
四に曰く、称。
五に曰く、勝。
地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称
を生じ、称は勝を生ず。
ゆえに勝兵は鎰(いつ)をもって銖(しゅ)を称(はか)
るがごとく、敗兵は銖をもって鎰を称るがごとし。
勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞(せんじん)の
谿(たに)に決するがごときは、形なり。

善用兵者、修道而保法
故能爲勝敗之政
兵法、
一曰度
二曰量
三曰數
四曰稱
五曰勝
地生度、度生量、量生數、數生稱、稱生勝
故勝兵若以鎰稱銖、敗兵若以銖稱鎰
勝者之戰民也、若決積水於千仞之谿者、形也

2011年8月13日土曜日

形篇・勝って当たり前

 誰でも勝てる相手に戦って勝っても褒められない。
 強い敵と戦って誰もがすごいという勝ち方も善いとは
いえない。
 そもそも毛を持ち上げても力持ちではない。
 日や月が見えても目がよく見えるわけではない。
 雷が鳴るのを聞いても耳がよく聞こえるわけではな
い。
 昔の戦争に慣れた者は、戦わざるおえない敵に無
理をせず勝った。
 だから戦争に慣れた者の戦い方は、有名にならず、
勇猛で称えられることもない。
 勝って当たり前なのだ。
 当たり前のように必ず勝つ。
 それは身内からも見放されたような敵に勝つからだ。
 戦争に慣れた者は、敵の中からも味方につくような
状況を保ち、敵の自滅を助長する。
 戦争に勝つのは大義名分があり、多くを味方につけ
て戦争をするからで、負けるのは大義名分もなく身内
からも理解を得られないのに戦争をするからだ。

※大人が子供に勝っても褒められない。それどころか
非難されるだろう。
 自分より強い相手に勝つと、さらに強い相手が挑戦
してくる。
 三国志で蜀の諸葛孔明は、奇策を用いて次々と苦
戦を乗り切った。しかし、蜀は弱小国のまま消滅した。
 魏の司馬仲達は、これといった戦功は伝わっていな
いし曹操の腰巾着のように思われているが、その孫は
魏を滅ぼして晋を起こし天下統一している。
 この二人が戦った時、孔明は陣中で病没した。それ
を知った仲達は攻撃にうってでた。ところが孔明らしき
人物の姿が見えると、仲達はあわてて撤退した。これ
が「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」という故事になっ
ている。
 もし仲達が孔明の死んだ軍隊を攻撃していたとしたら
世の中の批判を浴びるだろう。
 仲達の目的はすでに達成して戦いに勝利しているの
だから深追いをする必要はない。
 むやみに敵をつくらないから必ず勝つのだ。


勝を見ること衆人の知るところに過ぎざるは、善の善
なる者にあらざるなり。
戦い勝ちて天下善しと曰うは、善の善なる者にあらざ
るなり。
ゆえに秋亳(しゅうごう)を挙(あ)ぐるは多力となさず。
日月を見るは明目となさず。
雷霆(らいてい)を聞くは聡耳(そうじ)となさず。
古のいわゆる善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。
ゆえに善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし。
ゆえにその戦い勝ちてタガわず。
タガわざる者は、その措(お)くところ必ず勝つ。
すでに敗るる者に勝てばなり。
ゆえに善く戦う者は不敗の地に立ち、しかして敵の敗
を失わざるなり。
このゆえに勝兵はまず勝ちてしかるのちに戦いを求
め、敗兵はまず戦いてしかるのちに勝ちを求む。

見勝不過衆人之所知、非善之善者也
戰勝而天下曰善、非善之善者也
故舉秋毫不爲多力、見日月不爲明目
聞雷霆不爲聰耳
古之所謂善戰者、勝於易勝者也
故善戰者之勝也、無智名、無勇功
故其戰勝不タガ
不タガ者、其所措必勝
勝已敗者也
故善戰者、立於不敗之地、而不失敵之敗也
是故勝兵先勝而後求戰、敗兵先戰而後求勝

2011年8月6日土曜日

形篇・勝てそうもない態勢

 昔の戦争に慣れた者は、まずこちらが勝てそうもない
態勢を見せて誘い、敵が勝てると油断するのを待つ。
 こちらが勝てそうもない態勢を見せても勝ちを意識す
るのは敵しだいだ。
 だから戦争に慣れた者が勝てそうもない態勢にして
も、敵は勝てるとは思えなくなる。
 勝つと分かっても攻められない。
 こちらが勝てそうもない態勢(弱そう)にすると守るこ
とができる。
 こちらが勝てそうな態勢(強そう)にすると攻められる。
 守るのは少人数でできるが、攻めるのは大多数でし
なければならない。
 うまく守る者は本性を見せず、うまく攻める者は威嚇
する。
 だから無理をしなくても勝ちを得るのだ。

※この文章は一般的には「こちらが強固な守りの態勢
にして、敵の守りが崩れるのを待つ」と解釈されている
が、敵が攻めてこなければ戦争にならないし、敵の守
りが崩れるのを待っていては長期戦になる。
 第二次世界大戦で、アメリカは日本にハワイの真珠
湾を攻撃をさせて、大義名分を得ると同時に日本のお
ごりを増徴させた。
 赤ちゃんは弱く無防備だが、誰も殺そうとは思わない。
 強いものには敵が多いが弱いものには味方が多い。
 強さを維持するのは大変だが、弱さを維持するのは
普通にしていればいい。
 弱さを見せるほうが勇気がいる。


孫子曰く、昔の善く戦う者はまず勝つべからざるをなし
て、もって敵の勝つべきを待つ。
勝つべからざるは己にあるも、勝つべきは敵にあり。
ゆえに善く戦う者は、よく勝つべからざるをなすも、敵
をして勝つべからしむることあたわず。
ゆえに曰く、勝は知るべくして、なすべからず、と。
勝つべからざる者は守るなり。
勝つべき者は攻むるなり。
守るはすなわち足らざればなり、攻むるはすなわち余
りあればなり。
善く守る者は九地の下に蔵(かく)れ、善く攻むる者は
九天の上に動く。
ゆえによくみずから保ちて勝を全うするなり。

孫子曰、昔之善戰者、先爲不可勝、以待敵之可勝
不可勝在己、可勝在敵
故善戰者、能爲不可勝、不能使敵之可勝
故曰、勝可知、而不可爲
不可勝者、守也
可勝者、攻也
守則不足、攻則有餘
善守者、藏於九地之下、善攻者、動於九天之上
故能自保而全勝也

2011年7月30日土曜日

謀攻篇・勝機を知る

 次の五つのことをもって勝機を知る。
 戦う相手なのか味方につける相手なのかを見分けら
れれば勝機がある。
 多数を相手にする場合と少数を相手にする場合の対
応の仕方が分かれば勝機がある。
 敵味方の政府と国民の欲しがっているものが分かれ
ば勝機がある。
 こちらが楽勝できる状態でも謀略により相手が自滅
するのを待つ余裕があれば勝機がある。
 補佐役が優秀で国民が口出しする必要がなければ
勝機がある。
 この五つが勝機を招いてくれる。
 これで分かるように、相手の言動を尊重した上で、こ
ちらの言動を通すことができれば、争っても禍根はない。
 相手の言動を尊重せず、こちらの言動を押し通せば、
どちらも傷つく。
 相手の言動を尊重せず、こちらも補佐役が民意を無
視して勝手に言動すれば、損害は計り知れない。

※この文章も「彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)
うからず」をそのまま解釈して、戦うことだけの意味と受
け取っては謀攻篇にそぐわない。
 孫子はどうすれば戦いを避けることができるかを解
いている。
 「将の能にして君の御(ぎょ)せざる者は勝つ」を一般
的には「将軍が優秀で君主が余計な干渉をしなければ
勝つ」と解釈されているが、将軍が優秀でも間違った言
動をしないとはかぎらない。
 暴走する危険性があるのだから常にチェックし、言動
を君主と同じにする必要がある。
 ただし、現場の状況は瞬時に変化するので、その時
の判断だけは将軍に任せるしかないだろう。
 将軍は君主の家臣でしかない。同じように補佐役(議
員や公務員)は国民に雇用されていることを忘れては
いけない。


ゆえに勝を知るに五あり。
もって戦うべきともって戦うべからざるとを知る者は勝
つ。
衆寡(しゅうか)の用を識る者は勝つ。
上下の欲を同じくする者は勝つ。
虞(ぐ)をもって不虞(ふぐ)を待つ者は勝つ。
将の能にして君の御(ぎょ)せざる者は勝つ。
この五者は勝を知るの道なり。
ゆえに曰く、彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)
うからず。
彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。
彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。

故知勝有五
知可以戰、與不可以戰者勝
識衆寡之用者勝
上下同欲者勝
以虞待不虞者勝
將能而君不御者勝
此五者知勝之道也
故曰、知彼知己者、百戰不殆
不知彼而知己、一勝一負
不知彼不知己、毎戰必殆

2011年7月23日土曜日

謀攻篇・補佐役

 議員や公務員は国民の補佐役である。
 補佐役が国民と共にあれば、国は強固になる。
 補佐役が国民と隔たりがあれば、国は弱体化する。
 そのため補佐役の能力として注意する点が三つある。
 行動する時ではないのに行動し、行動する必要があ
る時には、何もしない。
 これでは国民の足を引っ張ることになる。
 民意を分かっていないのに政治をすれば、国民は困
惑する。
 国民の権利を無視するが、あやまちの責任をとらな
いでは、国民は疑う。
 国民を困惑させ疑いをもたれるようでは、外交でも信
用されない。
 これでは国を衰退させることに力を注いでいるような
ものだ。

※この文章は一般的には君主と将軍の関係を記したも
のと解釈しているが、戦争ありきでは謀攻篇にはそぐわ
ない。
 現代の将は、議員や公務員と解釈すれば分かりやす
い。
 国民の存在しない国は成り立たない。しかし、議員や
公務員は、国民を無視して勝手に政治をやり、悪政を
しても責任はとらず、国民にすべての責任をなすりつけ
る。
 古代からこうした伝統(?)は続いている。
 それでも国民は議員は選挙で選ばれているのだから
国民の代表で、公務員は試験を受けて合格しているの
だから優秀だと錯覚している。
 公務員に選挙権があり、必ず誰かを選択しなければ
いけない選挙では、公務員に有利な無能な議員しか当
選しない。
 こうした単純な詐欺も見抜けない国民の無知こそが
諸悪の根源だ。
 公務員やその家族に選挙権を与えず、選挙では「該
当者なし」が選択できるようにして、当選者がいなけれ
ば、国民が直接政治をするのが本来の政治のありかた
だ。
 国民全員で政治をやって学ばない限り、どんな補佐
役が必要かは分からない。
 孫子は自分たちのことだけを言っているだけではなく、
敵についても同じだと言っているので、自分たちが注意
することは、敵を弱体化させることに利用できる。


それ将は国の輔(ほ)なり。
輔周(ほしゅう)なればすなわち国必ず強し。
輔隙(ほげき)あればすなわち国必ず弱し。
ゆえに君の軍に患うるゆえんのものには三あり。
軍の進むべからざるを知らずして、これに進めと謂(い)
い、軍の退くべからざるを知らずして、これに退けと謂
う。
これを軍を縻(び)すと謂う。
三軍の事を知らずして三軍の政を同じくすれば、すな
わち軍士は惑う。
三軍の権を知らずして三軍の任を同じくすれば、すな
わち軍士は疑う。
三軍すでに惑いかつ疑うときは、すなわち諸侯の難至
る。
これを軍を乱して勝を引くと謂う。

夫將者國之輔也
輔周則國必強
輔隙則國必弱
故君之所以患於軍者三
不知軍之不可以進、而謂之進、
不知軍之不可以退、而謂之退
是謂縻軍
不知三軍之事、而同三軍之政者、則軍士惑矣
不知三軍之權、而同三軍之任、則軍士疑矣
三軍既惑且疑、則諸侯之難至矣
是謂亂軍引勝

2011年7月16日土曜日

謀攻篇・敵を魅惑する

 だから戦争では、十割近くが味方になりそうなら囲い
込み、五割近くが味方になりそうなら強気で交渉し、敵
中に対立があり、意見がまとまりそうにないときは分断
させ、敵対するようなら武力を使い、こちらが劣勢なら
ば戦いを避けて味方のフリをする。
 このように一本調子の対応をするのではなく、強気に
出たり、下手に出たり、寛大なところを見せたりして敵
を魅惑して虜にする。

※一般的にこの文章は、「味方が十倍であれば敵を包
囲し、五倍であれば敵を攻撃し、倍であれば敵を分裂
させ、等しければ戦い、少なければ逃れ、勝ち目がなけ
れば戦わない」といった解釈がされているが、これでは
戦うことしか考えてないことになり、前記の文章を無視し
ている。(謀攻篇で記すことではない)
 謀略を優先すると言っているのだから、敵の状況によっ
て謀略や外交を駆使して柔軟に対応すると解釈したほ
うがいい。


ゆえに兵を用うるの法は、十なればすなわちこれを囲
み、五なればすなわちこれを攻め、倍すればすなわち
これを分かち、敵すれば、すなわちよくこれと戦い、少
なければすなわちよくこれを逃れ、若(し)かざればす
なわちよくこれを避(さ)く。
ゆえに小敵の堅は大敵の擒(きん)なり。

故用兵之法、十則圍之、五則攻之、倍則分之、
敵則能戰之、少則能逃之、不若則能避之
故小敵之堅、大敵之擒也

2011年7月9日土曜日

謀攻篇・謀略で優位に

 そのために、もっとも優先すべき行動は、謀略で優位
にたつことだ。
 それがだめなら外交で優位にたつことだ。
 それでもだめなら武力で優位にたつことだ。
 どうしてもだめなら城攻めをするしかない。
 城攻めをするのは、敵国民を味方にできないから全
滅させて、恨みを将来に残さないためだ。
 その城攻めには準備に時間がかかる。
 敵国民を全滅させるような攻撃だから、こちらの損害
も多くなる。
 だから戦争に慣れた者は、敵に戦争をしようとする気
を起こさせない。
 城を守ろうとする気を起こさせない。
 敵国の存続を長引かせない。
 自然にこちらの味方になれば得なようにしむける。
 だから損害がなく、得るものが多い。
 これが謀略の効力だ。

※豊臣秀吉は、難攻不落といわれた小田原城を攻めた
とき、大軍で城を包囲したが、攻める気はまったくなく、
天下はすでに掌握しているというパフォーマンスをして、
戦えば逆賊になることを暗に示した。そして内部分裂を
工作して、投降するようにしむけた。
 民衆の支持があったことが秀吉の謀略を有利にした。
 地震にしても、小規模な地震を起こすなどして、エネル
ギーを少しずつ放出させれば、大地震にはならないよう
な対策が将来はできるのではないだろうか。


ゆえに上兵は謀を伐(う)つ。
その次は交を伐つ。
その次は兵を伐つ。
その下は城を攻む。
城を攻むるの法はやむを得ざるがためなり。
櫓(ろ)・フンオンを修め、器械を具うること、三月しての
ちに成る。
キョインまた三月にしてのちに已(お)わる。
将その忿(いきどお)りに勝(た)えずしてこれに蟻附(ぎ
ふ)すれば、士を殺すこと三分の一にして、城の抜けざ
るは、これ攻の災いなり。
ゆえに善く兵を用うる者は、人の兵を屈するも、戦うに
あらざるなり。
人の城を抜くも、攻むるにあらざるなり。
人の国を毀(やぶ)るも、久しきにあらざるなり。
必ず全きをもって天下に争う。
ゆえに兵頓(つか)れずして利全くすべし。
これ謀攻の法なり。

故上兵伐謀
其次伐交
其次伐兵
其下攻城
攻城之法、爲不得已
修櫓フンオン、具器械、三月而後成
キョイン又三月而後已
將不勝其忿、而蟻附之、殺士三分之一、
而城不拔者、此攻之災也
故善用兵者、屈人之兵、而非戰也
拔人之城、而非攻也
毀人之國、而非久也
必以全爭於天下
故兵不頓、而利可全
此謀攻之法也

2011年7月2日土曜日

謀攻篇・自滅させる

 戦争では、敵国を自滅させるのがよく、戦って滅亡さ
せるのは最終手段だ。
 軍隊を自滅させるのがよく、戦って軍隊を撃破するの
は最終手段だ。
 遠征軍を自滅させるのがよく、遠征軍を撃破するの
は最終手段だ。
 兵士を自滅させるのがよく、兵士を殺すのは最終手
段だ。
 敵国民のこちらへの不満を自滅させるのがよく、敵
国民を屈服させるのは最終手段だ。
 このことから、むやみに戦って勝つことを目的にして
はいけない。
 戦いを避けて、敵国の兵士や国民をこちらの味方に
つけることを、最優先するべきだ。

※自滅させるのは、相手の弱い部分をついて弱体化
させ、消滅に導くことが必要で、それは力ずくではない
ということだ。
 荒波は消波ブロック で弱めることができ、強風は防
風林で弱めることができる。これ以上の強いものでも
永久に続くわけではなく、いづれは止む。それまで持ち
こたえるだけの備えをしておけばいい。
 モンゴルが大帝国を築いたのも、敵国を戦いで破っ
たのではなく、文化や風習を尊重して国民を味方につ
けることを優先し、それでも反発する国は挑発して誘
い出し、自軍を撤退すると見せかけて目的の場所まで
誘導して、少数の伏兵部隊で反撃して弱体化させて
いった。
 

孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、国を全(まっと)う
するを上となし、国を破るはこれに次ぐ。
軍を全うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ。
旅を全うするを上となし、旅を破るはこれに次ぐ。
卒を全うするを上となし、卒を破るはこれに次ぐ。
伍を全うするを上となし、伍を破るはこれに次ぐ。
このゆえに、百戦百勝は善の善なるものにあらざるな
り。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。

孫子曰、凡用兵之法、全國爲上、破國次之
全軍爲上、破軍次之
全旅爲上、破旅次之
全卒爲上、破卒次之
全伍爲上、破伍次之
是故百戰百勝、非善之善者也
不戰而屈人之兵、善之善者也

2011年6月25日土曜日

作戦篇・内部崩壊

 だから敵の中で不満のある者を味方にする。
 敵の内部で奪い合えば、こちらの利益になる。
 そこで、敵から資材を奪った者は、味方に引き入れ、
優遇して、武器を持たせて送り込む。
 これでこちらは強くなり、敵に勝つことができる。
 人は優勢なほうに集まってくる。
 混乱の長引いた状態を好まない。
 だから戦争に慣れた者は、敵、味方の国民の声をよ
く聴き、国に不満のある者がいないかを注視している。

※徳川家康は関ヶ原の合戦で、豊臣家の内部分裂を
利用して、敵の中で不満のある者を味方に取り込んだ。
 そこまでは良かったが、功名をあせった自分の家臣
の失態で、合戦がこう着状態になった。
 小早川秀秋は、天下を継承するのは家康だという時
代の流れを読んで、東軍に味方し、西軍の中で待機し
ていた内通部隊を利用して、勝利に貢献した。
 ソ連の崩壊やドイツの統一も戦争で決着したのでは
なく、内部の国民からの不満が発端だった。


ゆえに敵を殺す者は怒りなり。
敵の利を取る者は貨なり。
ゆえに車戦に車十乗已上(いじょう)を得れば、そのま
ず得たる者を賞し、そしてその旌旗(せいき)を更(あら
た)め、車は雑(まじ)えてこれに乗らしめ、卒は善くし
てこれを養わしむ。
これを敵に勝ちて強を益すと謂う。
ゆえに兵は勝つことを貴ぶ。
久しきを貴ばず。
ゆえに兵を知るの将は、生民の司命、国家安危の主
なり。

故殺敵者怒也
取敵之利者貨也
故車戰得車十乘已上、賞其先得者、而更其旌旗、
車雜而乘之、卒善而養之
是謂勝敵而益強
故兵貴勝
不貴久
故知兵之將、生民之司命、國家安危之主也

2011年6月18日土曜日

作戦篇・敵地調達

 戦争に慣れた者は、兵士を疲労させず、食糧は途
絶えさせない。
 指揮者は国から出すが、人材や資材、食糧は敵地
から調達する。
 だから戦争準備がすぐにできる。
 国が衰退するのは無駄に動かすからだ。
 国民からすべてを賄おうとすれば困窮する。
 戦争が国の内部や周辺で起こった場合、消耗戦と
なる。
 国民の財産がほとんど失われてしまう。
 そのため国は財源を失う。
 だから戦争は先手をうって敵地でおこなうようにす
る。
 それだけでも敵は衰退していく。

※この文章はインドア派の発想の重要性を示してい
る。
 世界に名だたる大企業は現地調達が大前提だ。
本社には少人数の頭脳集団しかいない。
 東日本大震災では、救出に自衛隊が動き、食糧、
資材を遠くから運ばなければいけなかった。また、被
災者が避難場所を何度もかえられるという失態もあっ
た。
 昔から津波があることは知られているのなら、なぜ
津波に飲み込まれることを前提とした住宅にしないの
か?
 日本の造船技術を使えば海底でも生活できるような
住宅はできるはずだ。
 カニは潮の満干を前提に巣を作る。
 海底都市を地上に造ってもいいはずだ。観光スポッ
トにもなる。
 食糧も各地域に給食センターを作り、余剰作物など
を集めて備蓄し、平時から弁当を作り、無料で配布し
ていれば、こうした時に困ることはない。
 義援金も電子マネーにすれば、すぐに使えるように
なる。
 「運ぶ、配布する」というアウトドア派の発想では手
遅れになるだけだ。


善く兵を用うる者は、役は再びは籍せず、糧は三たび
は載(さい)せず。
用を国に取り、糧を敵による。
ゆえに軍食足るべきなり。
国の師に貧なるは、遠く輸(いた)せばなり。
遠く輸さば百姓貧し。
師に近き者は貴売(きばい)すればなり。
貴売すればすなわち百姓は財竭(つ)く。
財竭くればすなわち丘役(きゅうえき)に急にして、力
屈し財殫(つ)き、中原のうち、家に虚しく、百姓の費、
十にその七を去る。
公家の費、破車、罷馬(ひば)、甲冑、矢弩(しど)、戟
楯(げきじゅん)、蔽櫓(へいろ)、丘牛(きゅうぎゅう)、
大車、十にその六を去る。
ゆえに智将は務めて敵に食(は)む。
敵の一鍾(しょう)を食むは、わが二十鍾に当たり、キ
カン一石は、わが二十石に当たる。

善用兵者、役不再籍、糧不三載
取用於國、因糧於敵
故軍食可足也
國之貧於師者遠輸
遠輸則百姓貧
近於師者貴賣
貴賣則百姓財竭
財竭則急於丘役、力屈財殫、中原内虚於家、
百姓之費、十去其七
公家之費、破車罷馬、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、
丘牛大車、十去其六
故智將務食於敵
食敵一鍾、當吾二十鍾、キカン一石、當吾二十石

2011年6月11日土曜日

作戦篇・長期戦

 戦争には、兵器や食糧などの調達、事前の工作に
膨大な費用がかかる。
 長期戦や遠征になればなおさらで、兵士も疲労する。
 城を攻めれば、損害は多く、その間、国の守りが手
薄になる。
 こうした戦い方をしていると敵以外にもつけ入る隙を
与えてしまう。
 そうなれば知恵がある者でも対処できなくなる。
 だから戦争は短期戦が基本で、長期戦や遠征を避
ける。
 長期戦で勝ったとしても利益はほとんどない。
 こうした損失を踏まえておかなければ、ただの殺し
合いになるだけで、本来の目的を達成することはでき
ない。

※これは時代や国によって違う場合がある。
 現在のように飛行機や弾道ミサイルによる空爆がで
きれば、城攻めはそんなに難しくない。
 古代中国の城は都市を城壁で囲った城郭都市なの
で城攻めが難しかった。
 日本では織田信長や豊臣秀吉が敵の城の側に城(砦)
を築く、「付城」で、遠征を避け、敵の動きを封じ、短期
戦を何度も繰り返すことで長期戦でも勝ち、天下統一
もできた。
 徳川家康は戦いでは勝っても目的を達成することが
できず、子の秀忠や孫の家光の時代になってようやく
天下を掌握した。こうした長期戦もある。
 この文章は「目先の利益に飛びつかず、その先の損
失も考えよ」といった解釈をしたほうがいい。


孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、馳車(ちしゃ) 千
駟(せんし)、革車(かくしゃ)千乗、帯甲(たいこう)十
万、千里にして糧を饋(おく)るときは、すなわち内外
の費、賓客の用、膠漆(こうしつ)の材、車甲の奉(ほ
う)、日に千金を費して、しかるのちに十万の師、挙が
る。
その戦いを用(おこ)なうや久しければ、すなわち兵を
鈍(つか)らせ鋭を挫(くじ)く。
城を攻むればすなわち力屈き、久しく師を暴(さら)さ
ば、すなわち国用(こくよう)足らず。
それ兵を鈍(つか)らせ鋭を挫き、力を屈くし、貨を殫
(つ)くすときは、すなわち諸侯その弊に乗じて起こる。
智者ありといえども、そのあとを善くすることあたわず。
ゆえに兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧の久しきを睹
(み)ざるなり。
それ兵久しくして国の利する者は、いまだこれあらざ
るなり。
ゆえにことごとく用兵の害を知らざる者は、すなわち
ことごとく用兵の利をも知ることあたわざるなり。

孫子曰、凡用兵之法、馳車千駟、革車千乘、
帶甲十萬、千里饋糧、則内外之費、賓客之用、
膠漆之材、車甲之奉、日費千金、
然後十萬之師舉矣
其用戰也、勝久則鈍兵挫鋭
攻城則力屈、久暴師則國用不足
夫鈍兵挫鋭、屈力殫貨、則諸侯乘其弊而起
雖有智者、不能善其後矣
故兵聞拙速、未睹巧之久也
夫兵久而國利者、未之有也
故不盡知用兵之害者、則不能盡知用兵之利也

2011年6月4日土曜日

計篇・戦争に勝つ者

 だから戦争に勝つのは、最悪の事態を想定して、こ
うした備えを整えているからだ。
 戦争に負けるのは、最悪の事態を想定せず、備えを
万全にしていないからだ。
 最悪の事態を想定して備えていれば勝つことができ
るが、最悪の事態を想定しても備えが不備ならば負け
る。そもそも最悪の事態を想定しなければ意味がない。
 私はこうして結末からさかのぼって勝つ道を探ってい
る。

※これは「相手から得た情報から勝算があるかどうか
を検討する」と解釈されているが、こちらに勝算がなくて
も相手は攻撃してくる。
 そもそも地震が予測できないように、相手の情報を正
確に得ることなどできない場合が多い。
 性善説で対処するのではなく、性悪説で最悪の事態
を想定することで備えを整えることができ、被害がでた
としても最小限で食い止められ、復興がはやくなる。


それいまだ戦わずして廟算(びょうさん)して勝つ者は、
算を得ること多ければなり。
いまだ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得るこ
と少なければなり。
算多きは勝ち、算少なきは勝たず。しかるをいわんや
算なきにおいてをや。
われこれをもってこれを観るに、勝負見(あら)わる。

夫未戰而廟算勝者、得算多也
未戰而廟算不勝者、得算少也
多算勝、少算不勝、而況於無算乎
吾以此觀之、勝負見矣

2011年5月28日土曜日

計篇・相手をかく乱する

 戦争は相手をかく乱することだ。
 だからバカなフリをしたり、役立たずに見せかけたり、
まだ動かないと見せて、すぐに行動したり、餌で誘った
り、相手に考えさせず、普通にして悟られず、引き際を
わきまえ、相手を怒らせたり、優越感を与えたり、楽し
ませて安心させ、信用を得て、こちらの意のままに動か
す。
 こうすることで相手を無防備にさせ、その隙をつく。
 これはルールがあるわけではなく、何をどう使うかは
状況による。

 普段は静かで、人に恵みを与えてくれる海が、津波と
なり、多くの人命を奪うのは、この理屈にかなっている。

※この文章も一般的には「戦争はだましあいである」と
解釈されているが、信用がなくなり、敵を増やすだけで、
大義名分も得られない。
 ちゃかして相手のペースを狂わせる。または味方のフ
リをして足を引っ張る程度と考えたほうがいい。


兵とは詭道(きどう)なり
ゆえに能(のう)なるもこれに不能を示し、用なるもこれ
に不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれ
に近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取
り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒(ど)
にしてこれを撓(みだ)し、卑(ひ)にしてこれを驕(おご)
らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親にしてこれを離す
その無備を攻め、その不意に出(い)ず
これ兵家の勢、先には伝うべからざるなり

兵者詭道也
故能而示之不能、用而示之不用、近而示之遠、
遠而示之近、利而誘之、亂而取之、實而備之、
強而避之、怒而撓之、卑而驕之、佚而勞之、
親而離之
攻其無備、出其不意
此兵家之勢、不可先傳也

2011年5月21日土曜日

計篇・武器とは

 武器とは、
 1.大義名分を得ること
 2.指導力
 3.行動するタイミング
 4.活動を邪魔しないルール
 5.適材適所
 6.学習能力
 7.決断力

 これらがあれば憂いはない。
 武器を使えば勝てる。
 武器を持っていなければ負ける。
 武器を持っていても使わなければ、力を発揮できない。
 武器を有効に活用することで、5つの備えが生きてくる。

※この文章は一般的には下記のように自分と相手の比
較により勝敗を予測するといった解釈をしている。

 1.君主はどちらが民心を掌握できる賢明さを備えてい
   るか
 2.将軍の能力はどちらが優れているか
 3.天地がもたらす利点はどちらにあるか
 4.軍法や命令はどちらが徹底しているか
 5.兵力はどちらが強大か
 6.兵士はどちらが軍事訓練に習熟しているか
 7.賞罰はどちらが明確に実行されているか

 しかし、自分のほうに不備があり弱いからといって、戦
いを回避できるとはかぎらない。
 敵は、これらを知ったうえで、弱いところをついてくるか
らだ。
 弱者が強者に勝つには、弱者にも使える武器を持つこ
とが重要だ。
 どんなに強力な武器があっても使えなければ意味がな
い。


曰く、主いずれか有道なる、将いずれか有能なる、天地
いずれか得たる、法令いずれか行なわる、兵衆いずれか
強き、士卒いずれか練(なら)いたる、賞罰いずれか明ら
かなると
われこれをもって勝負を知る
将、わが計を聴くときは、これを用うれば必ず勝つ、これ
を留めん
将、わが計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る、
これを去らん
計、利としてもって聴かるれば、すなわちこれが勢をなし
て、もってその外を佐(たす)く
勢とは。利によりて権を制するなり

曰主孰有道、將孰有能、天地孰得、法令孰行、
兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明
吾以此知勝負矣
將聽吾計、用之必勝、留之
將不聽吾計、用之必敗、去之
計利以聽、乃爲之勢、以佐其外
勢者因利而制權也

2011年5月14日土曜日

計篇・5つの備え

 道とは、政治が民意を反映しているか。
 天とは、バランスを保ち、公平であるか。
 地とは、事態の把握が正しくされているか。
 将とは、実行する者に素質、信用があるか。
 法とは、ルールを作る能力があるか。
(民意を反映した政策により、事態に対応した法律を整
備し、公平に運用する。それには信用のおける者があ
たる必要がある)

 この5つの備えを理解している者が勝ち、理解してい
ないものが負ける。だからこの備えを整えるために武器
を使う。そして不備を見つけ、強化しなければ戦えない。


道とは、民をして上(かみ)と意を同じくし、これと死すべ
くこれと生くべくして、危きを畏(おそ)れざるなり
天とは、陰陽・寒暑・時制なり
地とは遠近・険易・広狭・死生なり
将とは、智・信・仁・勇・厳なり
法とは、曲制・官道・主用なり
およそこの五者は、将は聞かざることなきも、これを知る
者は勝ち、知らざる者は勝たず
ゆえにこれを校(くら)ぶるに計をもってして、その情を索
(もと)む

道者令民與上同意也、故可以與之死、可以與之生、
而不畏危
天者陰陽寒暑時制也
地者遠近險易廣狹死生也
將者智信仁勇嚴也
法者曲制官道主用也
凡此五者、將莫不聞、知之者勝、不知者不勝
故校之以計、而索其情

2011年5月7日土曜日

計篇・戦争は国の存亡

 戦争は国の存亡にかかわる外交手段であり、使えば
致命的な損害がでる。しかし、生きるために避けること
ができないこともある。

 自分たちから起こす戦争には、よほどの大義名分が
必要で、かりに大義名分があったとしても犯罪にかわり
はない。
 大震災のように避けることができない、国の存亡にか
かわる事態も戦争と同じだ。

 だから戦争に対処するには5つの備えが必要であり、
実行するには有効な武器が必要だ。

 5つの備えとは、1に道、2に天、3に地、4に将、5に
法だ。


孫子曰(いわ)く、兵とは国の大事なり、死生の地、
存亡の道、察せざるべからざるなり
ゆえにこれを経(はか)るに五事をもってし、これを
校(くら)ぶるに計をもってして、その情を索(もと)む
一に曰く道(みち)、二に曰く天、三に曰く地、四に曰
く将、五に曰く法なり

孫子曰、兵者國之大事、死生之地、存亡之道、
不可不察也
故經之以五事、校之以計、而索其情
一曰道、二曰天、三曰地、四曰將、五曰法