2011年8月27日土曜日

勢篇・勢いを生む

 大衆を治めるのに独りを治めるかのようになるのは、
役割分担をするからだ。
 大衆を闘わせるのに独りが闘うかのようになるのは、
行動が大義名分にもとづいているからだ。
 軍隊が必ず敵を敗退させるのは、いつもはしない行
動(奇法)といつもする行動(正法)を組み合わせてお
こなうからだ。
 戦争をした時、石で卵を打ち砕くように手ごたえがな
くあっけないのは、嘘を見抜き、真実をつくからだ。

※普段は静かな海が大津波になるのは、水の動きが
一つにまとまり、それぞれが影響しあって力を増し、同
じ方向に動くが障害物のない方向にも動いて、弱い部
分を徐々に破壊し、障害物を動かすことでさらに強大
な力となるからだ。
 一つにまとまるというのは皆が同じことをするのでは
なく、適材適所で自分の力がもっとも発揮できる役割
につくことだ。だから中には何もしていないように見え
る者もいる。無駄なことをしているように見える者もい
る。
 それが意外な発見をしたり、思わぬ相乗効果を生ん
で勢いとなる。


孫子曰く、およそ衆を治むること寡(か)を治むるがご
とくなるは、分数これなり。
衆を闘わしむること寡を闘わしむるがごとくなるは、形
名これなり。
三軍の衆、必ず敵を受けて敗なからしむるべきは、奇
正これなり。
兵の加うるところ、タンをもって卵に投ずるがごとくなる
は、虚実これなり。

孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也
闘衆如闘寡、形名是也
三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也
兵之所加、如以タン投卵者、虚實是也

2011年8月20日土曜日

形篇・勝負に集中

 戦争に慣れた者は、民意を反映したルールを作る。
 だから内乱が起きず、勝負に集中できる政治になる。
 兵法では、
 一に度合(ころあい)
 二に量知(おしはかって知る)
 三に計数(計算)
 四に称賛(ほどあい。程度)
 五に勝算(まさる)
 戦場には戦うころあいがあり、それはおしはかって
知る必要がある。おしはかって知るには計算が必要
で、計算してちょうど良い程度を知る。ちょうど良い程
度とは敵に勝る程度ということだ。
 だから勝つのは大きい器で少量を計る(余裕がある
適量)ように、敵に勝る程度を知ることであり、負ける
のは小さい器で多量を計る(あふれる過多)ようにちょ
うど良い程度を知らないからだ。(多すぎても少なすぎ
ても良くない)
 民衆を戦いにかりたてて勝つのは、溜まった水を滝
に落とすように、不満や怒りを増長し、ころあいを見て、
目的を絞って一気に放出させる。それは人数の多少
ではなく意思の統一した姿勢である。

※この文章は一般的には「多数で少数を圧倒する」と
いった解釈がされているが、数の上で劣勢で苦境に立
たされたとしても必ず負けるとは限らない。
 ベトナム戦争でアメリカが負けたのは、メディアの力
だといわれている。
 連日のように戦争の様子がニュースで流れ、それは
アメリカ人が勇敢に戦っている姿ではなく、ベトナム人
が逃げまどい、虐殺され、アメリカ兵は戦争の目的が
何なのかも分からず、ゲリラの恐怖におびえる泥沼化
した様子だった。
 アメリカは日本を大量破壊兵器で敗北させたことが、
ベトナムでも通用すると思い込んでいた。
 それが逆に弱い者いじめのように映り、アメリカ国民
の中でも批判が強くなった。
 ただ、アメリカが敗北を認めたことは、日本とは違い、
状況を冷静に見て計算し、決断する勇気があったから
だ。


善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。
ゆえによく勝敗の政をなす。
兵法は、
一に曰く、度。
二に曰く、量。
三に曰く、数。
四に曰く、称。
五に曰く、勝。
地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称
を生じ、称は勝を生ず。
ゆえに勝兵は鎰(いつ)をもって銖(しゅ)を称(はか)
るがごとく、敗兵は銖をもって鎰を称るがごとし。
勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞(せんじん)の
谿(たに)に決するがごときは、形なり。

善用兵者、修道而保法
故能爲勝敗之政
兵法、
一曰度
二曰量
三曰數
四曰稱
五曰勝
地生度、度生量、量生數、數生稱、稱生勝
故勝兵若以鎰稱銖、敗兵若以銖稱鎰
勝者之戰民也、若決積水於千仞之谿者、形也

2011年8月13日土曜日

形篇・勝って当たり前

 誰でも勝てる相手に戦って勝っても褒められない。
 強い敵と戦って誰もがすごいという勝ち方も善いとは
いえない。
 そもそも毛を持ち上げても力持ちではない。
 日や月が見えても目がよく見えるわけではない。
 雷が鳴るのを聞いても耳がよく聞こえるわけではな
い。
 昔の戦争に慣れた者は、戦わざるおえない敵に無
理をせず勝った。
 だから戦争に慣れた者の戦い方は、有名にならず、
勇猛で称えられることもない。
 勝って当たり前なのだ。
 当たり前のように必ず勝つ。
 それは身内からも見放されたような敵に勝つからだ。
 戦争に慣れた者は、敵の中からも味方につくような
状況を保ち、敵の自滅を助長する。
 戦争に勝つのは大義名分があり、多くを味方につけ
て戦争をするからで、負けるのは大義名分もなく身内
からも理解を得られないのに戦争をするからだ。

※大人が子供に勝っても褒められない。それどころか
非難されるだろう。
 自分より強い相手に勝つと、さらに強い相手が挑戦
してくる。
 三国志で蜀の諸葛孔明は、奇策を用いて次々と苦
戦を乗り切った。しかし、蜀は弱小国のまま消滅した。
 魏の司馬仲達は、これといった戦功は伝わっていな
いし曹操の腰巾着のように思われているが、その孫は
魏を滅ぼして晋を起こし天下統一している。
 この二人が戦った時、孔明は陣中で病没した。それ
を知った仲達は攻撃にうってでた。ところが孔明らしき
人物の姿が見えると、仲達はあわてて撤退した。これ
が「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」という故事になっ
ている。
 もし仲達が孔明の死んだ軍隊を攻撃していたとしたら
世の中の批判を浴びるだろう。
 仲達の目的はすでに達成して戦いに勝利しているの
だから深追いをする必要はない。
 むやみに敵をつくらないから必ず勝つのだ。


勝を見ること衆人の知るところに過ぎざるは、善の善
なる者にあらざるなり。
戦い勝ちて天下善しと曰うは、善の善なる者にあらざ
るなり。
ゆえに秋亳(しゅうごう)を挙(あ)ぐるは多力となさず。
日月を見るは明目となさず。
雷霆(らいてい)を聞くは聡耳(そうじ)となさず。
古のいわゆる善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。
ゆえに善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし。
ゆえにその戦い勝ちてタガわず。
タガわざる者は、その措(お)くところ必ず勝つ。
すでに敗るる者に勝てばなり。
ゆえに善く戦う者は不敗の地に立ち、しかして敵の敗
を失わざるなり。
このゆえに勝兵はまず勝ちてしかるのちに戦いを求
め、敗兵はまず戦いてしかるのちに勝ちを求む。

見勝不過衆人之所知、非善之善者也
戰勝而天下曰善、非善之善者也
故舉秋毫不爲多力、見日月不爲明目
聞雷霆不爲聰耳
古之所謂善戰者、勝於易勝者也
故善戰者之勝也、無智名、無勇功
故其戰勝不タガ
不タガ者、其所措必勝
勝已敗者也
故善戰者、立於不敗之地、而不失敵之敗也
是故勝兵先勝而後求戰、敗兵先戰而後求勝

2011年8月6日土曜日

形篇・勝てそうもない態勢

 昔の戦争に慣れた者は、まずこちらが勝てそうもない
態勢を見せて誘い、敵が勝てると油断するのを待つ。
 こちらが勝てそうもない態勢を見せても勝ちを意識す
るのは敵しだいだ。
 だから戦争に慣れた者が勝てそうもない態勢にして
も、敵は勝てるとは思えなくなる。
 勝つと分かっても攻められない。
 こちらが勝てそうもない態勢(弱そう)にすると守るこ
とができる。
 こちらが勝てそうな態勢(強そう)にすると攻められる。
 守るのは少人数でできるが、攻めるのは大多数でし
なければならない。
 うまく守る者は本性を見せず、うまく攻める者は威嚇
する。
 だから無理をしなくても勝ちを得るのだ。

※この文章は一般的には「こちらが強固な守りの態勢
にして、敵の守りが崩れるのを待つ」と解釈されている
が、敵が攻めてこなければ戦争にならないし、敵の守
りが崩れるのを待っていては長期戦になる。
 第二次世界大戦で、アメリカは日本にハワイの真珠
湾を攻撃をさせて、大義名分を得ると同時に日本のお
ごりを増徴させた。
 赤ちゃんは弱く無防備だが、誰も殺そうとは思わない。
 強いものには敵が多いが弱いものには味方が多い。
 強さを維持するのは大変だが、弱さを維持するのは
普通にしていればいい。
 弱さを見せるほうが勇気がいる。


孫子曰く、昔の善く戦う者はまず勝つべからざるをなし
て、もって敵の勝つべきを待つ。
勝つべからざるは己にあるも、勝つべきは敵にあり。
ゆえに善く戦う者は、よく勝つべからざるをなすも、敵
をして勝つべからしむることあたわず。
ゆえに曰く、勝は知るべくして、なすべからず、と。
勝つべからざる者は守るなり。
勝つべき者は攻むるなり。
守るはすなわち足らざればなり、攻むるはすなわち余
りあればなり。
善く守る者は九地の下に蔵(かく)れ、善く攻むる者は
九天の上に動く。
ゆえによくみずから保ちて勝を全うするなり。

孫子曰、昔之善戰者、先爲不可勝、以待敵之可勝
不可勝在己、可勝在敵
故善戰者、能爲不可勝、不能使敵之可勝
故曰、勝可知、而不可爲
不可勝者、守也
可勝者、攻也
守則不足、攻則有餘
善守者、藏於九地之下、善攻者、動於九天之上
故能自保而全勝也