2011年12月15日木曜日

九地篇・水と油を混ぜる

_行軍をして、敵領内の見通しが悪い場所まで行けば、たいて
いだが、見通しがいい場所でも散開する。
 自国から遠く、国境を越えて人の手本となるのは「絶地」だ。
 すみずみにまで行き届くのは「衢地(くち)」だ。
 他国に入って見通しが悪いのは「重地」だ。
 他国に入って見通しがいいのは「軽地」だ。
 守りを後ろ盾にし、ゆとりがなく進むのは「囲地」だ。
 望みのないのは「死地」だ。
 そこで、
「散地」だったら、私なら目的を一つにしぼる。
「軽地」だったら、私なら仲間にする。
「争地」だったら、私なら遅れてかけつける。
「交地」だったら、私なら守りに用心する。
「衢地」だったら、私なら結束を固くする。
「重地」だったら、私なら食糧でつなぎとめる。
「ヒ地」だったら、私なら厄介なことを引き受ける。
「囲地」だったら、私なら足りないものを補う。
「死地」だったら、私なら生きようとしない姿を見せる。
 だから、戦争が好むのは、囲まれたら対抗しようとするし、や
むを得ない状態になれば闘うし、かなわないとなれば従うことだ。

※敵の領地に入ったら、まず、領民に侵略しに来たのではない
ことを行動で示さなければいけない。だから、集団でどっと押し
かけては拒絶されるので、散開する。
 そして、一人一人が手本になるような行動をする。
 例えば、吸収合併した会社だと、吸収された方はショックだし、
不満がある。そこに吸収した方が集団でやって来て、自分たち
の経営の仕方を無理やり押しつけて従わせようとしても反発す
るだけで、水と油が混ざらないようにうまくいかない。
 まずは、吸収された方の言い分や経営の仕方をよく理解する。
 吸収されることになったのには、どこかに欠陥があるはずで、
その部分を改善するような提案をする。そして、吸収した方が成
功している方法を見せて気づかせる。
 そこで初めて、どちらからも数人の社員を選んで、プロジェクト
などを組織して、お互いの良い部分を活かすような新しい事業
をさせる。
 吸収した方も欠陥がないとはいえないので、教えを乞うような
姿勢を示せば、会社はもっと発展させることができる。
 九変の術というのは、柔道のように相手の力を利用して、さら
に勢いを増す方法ではないだろうか。

 中国は「模倣している」といわれるが、敵が優秀な武器だから
使っているとしたら、その武器を奪って使うのは合理的だろう。
 そもそも「模倣」という漢字は中国の模倣だし、日本の文化は
アジアの文化を模倣したものだ。
 北朝鮮の拉致を批判するが、日本が豊臣秀吉の時代に朝鮮出兵
で、朝鮮人を拉致して、新しい技術や文化を模倣して、今がある。
それを北朝鮮は模倣しているにすぎない。
 そのことをうやむやにしている限り、拉致された人は帰ってこ
ない。
 日本は、つい最近まで模倣していたが、模倣するものがなくなっ
て、経済活動が停滞している。
 他人を批判する前に、自分の身を正すか、お互いに模倣しあっ
て発展すれば、それもいいのではないだろうか。


およそ客たるの道は、深ければすなわち専らに、浅ければすな
わち散ず。
国を去り境を越えて師するものは絶地なり。
四達するものは衢地(くち)なり。
入ること深きものは重地なり。
入ること浅きものは軽地なり。
固を背にし隘(あい)を前にするものは囲地なり。
徃くところなきものは死地なり。
このゆえに、
散地にはわれまさにその志を一にせんとす。
軽地にはわれまさにこれをして属せしめんとす。
争地にはわれまさにその後に趨(おもむ)かんとす。
交地にはわれまさにその守りを謹まんとす。
衢地にはわれまさにその結びを固くせんとす。
重地にはわれまさにその食を継がんとす。
ヒ地にはわれまさにその塗(みち)に進まんとす。
囲地にはわれまさにその闕(けつ)を塞(ふさ)がんとす。
死地にはわれまさにこれに示すに活きざるをもってせんとす。
ゆえに兵の情、囲まるればすなわち禦(ふせ)ぎ、已(や)むを得
ざればすなわち闘い、過(す)ぐればすなわち従う。

凡爲客之道、深則專、淺則散
去國越境而師者、絶地也
四達者衢地也
入深者重地也
入淺者輕地也
背固前隘者圍地也
無所徃者死地也
是故
散地吾將一其志
輕地吾將使之屬
爭地吾將趨其後
交地吾將謹其守
衢地吾將固其結
重地吾將繼其食
ヒ地吾將進其塗
圍地吾將塞其闕
死地吾將示之以不活
故兵之情、圍則禦、不得已則鬪、過則從

九地篇・将軍の役割

_軍隊に将軍がいることは、静かにして隠し、整えることで治ま
り、兵卒にすら愚か者としか見えず、どこにいるか知られない
ようにする。
 行動は常に変えて、考えも変わったものとし、人には理解で
きないようにする。また、居場所も常に変えて、移動するときは
遠回りをし、人には気をつかわせないようにする。
 将軍と出会ったという者がいたら、高い所に梯子で登らせて、
その梯子を取り去るように、跡を追えなくする。
 将軍が敵国の領地に入って、戦闘する時期を宣告すると、船
を焼き、食事を断って死闘する姿勢を示し、羊の群れが突き進
むようにする。
 突き進んで行き、突き進んで戻っても、どこにいるのか分から
ない。
 全軍の多勢が集まって、守りを固くして留まる。
 これが軍隊の将軍の行動というものだ。
 九地の変化、力をためて一気に出すことの効用、人情の心理
をよく考える必要がある。

※この文章で「よく士卒の耳目を愚(ぐ)にし、これをして知るこ
となからしむ」とあるのを一般的には「(味方の)士卒の耳目を
そらして、軍の作戦計画を知らせないようにする」などと解釈し
ている。
 そもそも昔は携帯電話もEメールもないから、伝言ゲームのよ
うにして知らせるしかなく、間違って伝わる可能性が高い。また、
伝える途中で、情報漏えいする可能性も高い。
 兵数が1万人規模になり、言語も違う民族の集まりになると、
ほとんど不可能だろう。だから、旗やカネ、太鼓を使って伝えて
いた。
 文章が全体的に兵士たちを死にもの狂いにさせるような、一
般的な解釈では、役に立たない。それは、第二次世界大戦の
日本軍が証明している。
 戦争では、将軍が死んだら負けてしまう。だから、将軍はでき
るだけ身を隠す必要があり、影武者がいるのもそのためだ。
 だからといって、将軍は逃げ回っているわけではない。
 兵士たちにとって将軍は大切な人だから、隠して守ろうとする
気にさせる必要がある。だから、兵士たちとの接し方を乳飲み
子や愛する我が子のようにするのだ。
 そのために将軍は、率先して死を覚悟した行動をとり、兵士た
ちを常に気遣う。
 将軍が特別待遇で、ふんぞり返り、鼻で支持するようでは、味
方から殺されるのがおちだ。


軍に将たるのことは、静もって幽、正もって治、よく士卒の耳目
を愚(ぐ)にし、これをして知ることなからしむ。
その事を易(か)え、その謀を革(あらた)め、人をして識ること
なからしめ、その居を易え、その途を迂にし、人をして慮(おも
んぱか)ることを得ざらしむ。
帥(ひき)いてこれと期すれば、高きに登りてその梯(てい)を去
るがごとし。
帥いてこれと深く諸侯の地に入りて、その機を発すれば、舟を
焚(や)き釜を破り、群羊を駆(か)るがごとし。
駆られて往き、駆られて来たるも、之(ゆ)くところを知ることな
し。
三軍の衆を聚(あつ)め、これを険に投ず。
これ軍に将たるの事と謂(い)うなり。
九地の変、屈伸の利、人情の理、察せざるべからず。

將軍之事、靜以幽、正以治、能愚士卒之耳目、使之無知
易其事、革其謀、使人無識、易其居、迂其途、使人不得慮
帥與之期、如登高而去其梯
帥與之深入諸侯之地、而發其機、焚舟破釜、若驅羣羊
驅而往驅而來、莫知所之
聚三軍之衆、投之於險
此謂將軍之事也
九地之變、屈伸之利、人情之理、不可不察

九地篇・敵を味方に

_だから、戦争に慣れた者は、例えば、ことごとく対応する「卒
然」のようだ。
 卒然といえば、常山の蛇がそうだ。
 その首を叩くと、尾が反撃してくる。その尾を叩くと、首が反
撃してくる。その胴体を叩けば、首と尾が一斉に反撃してくる。
 あえて質問するが、
 戦争を卒然のようにすることはできるか。
 もちろん、できます。
 それは、呉国の人と越国の人が、お互いに憎んでいても、船
で二人が、たまたま一緒になって行く時に、嵐に遭い、命の危
険にさらされたら、お互いに助け合う姿は、左右の手のように
なった。
 だから、馬車の馬を連ねて、車輪を固定して止めても、それ
だけでは頼りにはならない。
 勇ましさを同じにして一心不乱にするのは、政治のやり方で
ある。
 男と女のすべてを得るのは、地元の理解である。
 そこで、戦争に慣れた者は、手をつながせて、一人を用いて
いるようにする。
 やむを得ない状態にするからだ。

※ここでは、敵の兵卒や民衆を味方につけて、こちらの兵卒
たちと対立せずに、同じ利益のために戦うようにする大切さが
書かれている。
 それは、たとえ領土を奪っても住民すべてを殺すわけにはい
かないし、奪った後の政治が悪ければ、ふたたび戦争になる
だけだからだ。
 たんなる侵略者ではなく、誰もが平和に暮らすことができる
社会を築くために、やむを得ずおこなう戦争にする。
 敵国のすべての者が自分たちの政治を善いとは思っていな
いはずだから、そうした不満のある者たちを助けるという目的
にすれば、地元の地理に詳しい者の助けを得ることができた
り、支援物資も手に入れやすくなる。
 北方領土にしても日本とロシアで奪い合うという発想では解
決しない。
 現実問題としてロシア人が住んでいるのだから、その人たち
を無視することはできない。
 ロシアは日本と共同で開発したいと考えているのだから、日
本は積極的に協力するべきだ。
 日本の元島民は、ロシア国籍を特別に収得できるようにして、
北方領土に住めるようにすれば、呉越同舟のように、お互いに
理解しあえるだろう。(日本が元島民の多重国籍を認めれば、
北方領土を放棄したことにはならない)
 また、沖縄のアメリカ軍基地問題などは、日本政府が誰に味
方しているのか、まったく分からない。
 アメリカにいい顔をし、沖縄にもいい顔をしているから、問題
がこじれてしまう。
 いっそ、「沖縄を日本から独立させる」と言って、アメリカと沖
縄で交渉するようににおわせれば、沖縄はアメリカ軍を追い出
すことができるが、経済的損失をどうするかという問題が大き
くなる。
 アメリカは、基地の移転費用をどうするのか。沖縄を占領す
ることもできないだろう。
 結局は日本政府に頼らざるをえなくなる。仮に頼られなくても
日本政府は厄介な問題をなくすことができる。
 ようは、沖縄を平和な島にするには何をするべきかを真剣に
考える姿勢を示すことが、沖縄県民の支持を得ることにつなが
るだろう。


故に善く兵を用うる者は、譬(たと)えば率然の如し。
率然とは、常山の蛇なり。
其の首を撃てば則(すなわ)ち、尾、至り、其の尾を撃てば、則
ち、首、至り、其の中を撃てば、則ち、首尾、倶(とも)に至る。
あえて問う、
兵は率然のごとくならしむべきか。
曰く、可なり。
それ呉人と越人と相悪(にく)むも、その舟を同じくして済(わた)
り、風に遇うに当たりては、その相救うや左右の手のごとし。
このゆえに馬を方(なら)べ輪を埋(う)むるも、いまだ恃(たの)
むに足らず。
勇を斉(ひと)しくし一のごとくするは政の道なり。
剛柔みな得るは地の理なり。
ゆえに善く兵を用うる者は、手を携うること一人を使うがごとし。
已(や)むを得ざらしむればなり。

故善用兵者、譬如率然
率然者、常山之蛇也
撃其首則尾至、撃其尾、則首至、撃其中、則首尾倶至
敢問、
兵可使如率然乎
曰、可
夫呉人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、
如左右手
是故方馬埋輪、未足恃也
齋勇若一、政之道也
剛柔皆得、地之理也
故善用兵者、攜手若使一人
不得已也

九地篇・領土保全

_行軍をして、敵領内の見通しが悪い場所まで行けば、たい
てい、迎え撃つ側は慌てる。
 食物などが豊富にある場所に潜んで、全軍の兵糧をまかな
い、警戒をおこたらず静養して活動はせず、意思を統一して
力を溜め、戦争の機会をうかがい、敵が謀略をできないよう
に実態を隠す。
 これをもし、敵を行き場のない状態にしてしまうと、死んでも
逃げようとしない。
 どうして死を恐れようか。
 体力のない知識人でも力を発揮する。
 兵士ならなおさら陥れると恐れがなくなる。
 行き場がなくなれば結束し、見通しが悪ければ連係し、どう
しようもなくなれば戦闘する。
 だから、これらがする戦争は、教えなくても警備し、要求しな
くても持ち寄り、約束しなくても信頼し、指導者がいなくても任
せることができる。
 幸運を頼みとせず、疑念をいだかず、死ぬまで退かない。
 男たちが、余裕のある財産を得ようとしないのは、貨幣が卑
しいと思っているからではない。
 命を惜しまないのは、長寿を卑しいと思っているからではな
い。
 死を覚悟した日には、誰でも座った者は涙を襟に落とし、病
に伏せて戦闘に参加できない者は涙があごを流れる。
 こうした者たちを行き場のない状態にすれば、諸ケイの勇ま
しさになる。

※この文章は一般的には、「味方の将兵を窮地に追い込めば
死にもの狂いで闘う」といった解釈をしている。
 味方の将兵を窮地に追い込んでどうするというのか?
 戦争のたびにそんなことをしていたら将兵の信頼を失うだろ
う。
 孫武が将兵を使い捨てのように考えていたとは思えない。
 それに、敵の領地に侵入した者と領地を守ろうとする者のど
ちらが死にもの狂いになるだろうか?
 進入した者は、帰る場所があるのだから、どんなに窮地に追
い込んでも余裕がある。
 守ろうとする者は、その場所しかないのだから死にもの狂い
になるのは当然だ。
 黒澤明監督の映画「七人の侍」でも、野武士集団に追いつめ
られた農民たちが武士を雇ってまで、自分たちの村を守ろうと
死闘する。
 豊臣秀吉の朝鮮出兵でも、朝鮮では兵士ではなく、民衆が義
勇軍を組織して戦った。
 人は土地に執着する。
 どんなに劣悪な場所でも「住めば都」と言って慣れてしまうぐ
らい土地というのは大切なのだろう。
 だからこそ土地を荒らすような戦争は支持を得られない。
 そもそも土地を荒らしたのでは、後が大変になる。
 「自分たちは土地を荒らしに来たのではなく、土地を豊かにす
るために来たのだ」とアピールすることが、敵領民の支持を得
て有利に展開することができる。
 領土問題も「自分たちの領地だ」と言い争っているうちは解決
しない。
 誰が、その領土を豊かにできるかにかかっている。
 ロシアが北方領土を開発し始めたのは、そのことが分かった
からではないだろうか。


およそ客(かく)たるの道は、深く入ればすなわち専にして、主
人、克(か)たず。
饒野(じょうや)に掠(かす)めて三軍、食足り、謹(つつし)み養
いて労するなく、気を併(あわ)せ力を積み、兵を運(めぐ)らし
計謀して測るべからざるをなす。
これを往くところなきに投ずれば、死すもかつ北(に)げず。
死いずくんぞ得ざらん。
士人、力を尽くさん。
兵士、はなはだ陥(おちい)ればすなわち懼(おそ)れず。
往くところなければすなわち固く、深く入ればすなわち拘(こう)
し、己(や)むを得ざればすなわち闘う。
このゆえに、その兵、修めずして戒め、求めずして得、約せず
して親しみ、令せずして信ず。
祥(しょう)を禁じ、疑を去り、死に至るまで之くところなし。
わが士、余財なきは貨を悪(にく)むにあらず。
余命なきは寿を悪むにあらず。
令、発するの日、士卒の坐する者は涕(なみだ)、襟を霑(うる
お)し、堰臥(えんが)する者は涕、頤(あご)に交わる。
これを往くところなきに投ずれば諸ケイの勇なり。

凡爲客之道、深入則專、主人不克
掠於饒野三軍足食、謹養而勿勞、併氣積力、運兵計謀、
爲不可測
投之無所往、死且不北
死焉不得
士人盡力
兵士甚陷則不懼
無所往則固、深入則拘、不得已則鬪
是故其兵不修而戒、不求而得、不約而親、不令而信
禁祥去疑、至死無所之
吾士無餘財、非惡貨也
無餘命、非惡壽也
令發之日、士卒坐者涕霑襟、偃臥者涕交頤
投之無所往者、諸ケイ之勇也

九地篇・受け流す術

_昔の戦争に慣れた者は、敵に対して、速くても遅くてもかなわ
ないようにさせ、多くても少なくても頼りなくさせ、身分が高い人
も低い人も救いのないようにさせ、金持ちも貧乏人も税を収め
させないようにさせ、兵士たちが離反して集まらないようにさせ、
戦争に参加する部隊が整わないようにさせる。
 勝利に見合えば動き、勝利に見合わなければ留まる。

 では質問するが、
 敵が多勢で部隊が整って来たとしたら、これを迎え撃つには
どうしたらよいか。
 それには、
 まず、敵が喜ぶことをして心を魅了する。すると、交渉ができ
るようになる。
 戦争が好むのは、速さを重視することだ。
 敵が交渉に乗ってきたところで、油断するようにして、警戒を
解いた所を攻撃すればよい。

※ここでは、九変の術を極めれば、こんなことができるという紹
介をしている。
 敵といっても所詮は人間であり、心がある。
 かつては味方だったかもしれないし、将来、味方になる可能性
もある。
 いきなりケンカごしで対応するよりも、美人やお酒などで接待し
て、敵の言い分を聞く。
 こちらに非がないと分かれば、それで終わってしまうかもしれな
い。
 それでも交渉が決裂することを考えて、油断させ、敵の中から
味方になる者を増やしたり、攻撃する気をなくさせたりする。
 自然の場合は、例えば、川の氾濫をダムなどで封じようとする
のではなく、大きな貯水池のような所に誘導して時間稼ぎをし、
複数の小さな川に分散して流れるようにしてやれば、その勢い
を弱めることができる。
 大津波にしても高い堤防を築くより、大津波に飲み込まれても
持ちこたえられるような海底居住施設にしたり、 川に架けた橋
の橋脚のような形状の高層ビルを複数建て、大津波をかわして
いる間に最上階に行く時間稼ぎをする。
 高い堤防を築けば、大津波は跳ね返って他国に被害を与え、
乗り越えた海水はなかなかひいていかなくなる。
 後に禍根を残したのでは意味がない。


いわゆる古(いにしえ)の善く兵を用うる者は、よく敵人をして前
後、相及ばず、衆寡(しゅうか)、相恃(たの)まず、貴賤(きせ
ん)、相救わず、上下、相収めず、卒、離れて集まらず、兵、合
して斉(ととの)わざらしむ。
利に合して動き、利に合せずして止む。

あえて問う、
敵、衆(おお)く整いてまさに来たらんとす。これを待つこといか
ん。
曰く、
まずその愛するところを奪え、すなわち聴かん、と。
兵の情は速やかなるを主とす。
人の及ばざるに乗じ、虞(はか)らざるの道により、その戒めざ
るところを攻むるなり。

所謂古之善用兵者、能使敵人前後不相及、衆寡不相恃、
貴賤不相救、上下不相収、卒離而不集、兵合而不齋
合於利而動、不合於利而止

敢問、
敵衆整而將來、待之若何
曰、
先奪其所愛、則聽矣
兵之情主速
乗人之不及、由不虞之道、攻其所不戒也

九地篇・九つの症状

_戦争をする手順は、「散地」「軽地」「争地」「交地」「衢地(く
ち)」「重地」「ヒ地」「囲地」「死地」がある。
 各国の主君が自ら戦闘に参加しなければいけなくなることを
「散地」という。
 他国に入って見通しがいいことを「軽地」という。
 誰もが奪えば利益になると錯覚することを「争地」という。
 誰もがそこに行かざるおえないことを「交地」という。
 各国が都にするため、まずやって来て民衆の信頼を得ようと
することを「衢地」という。
 他国に入って見通しが悪く、住人が味方しないことを「重地」
という。
 山林、険しい山、狙われやすい湿地帯など、行くのが困難な
場所をあえて行くようなことを「ヒ地」という。
 誘われて入るとゆとりがなく、あとについて戻ろうとすると遠
回りをさせられ、相手は少数でも、こちらの多数を攻撃できる
状態におちいることを「囲地」という。
 早急に戦闘すれば生き残ることができ、早急に戦わないと
助かる望みのないことを「死地」という。
 だから、
「散地」になったら、戦闘をさけ、防御、退却にてっする。
「軽地」になったら、留まってはいけない。
「争地」になったら、攻撃してはいけない。
「交地」になったら、交流を断ってはいけない。
「衢地」になったら、民衆と交わり、心を一つにする。
「重地」になったら、住人を手懐けるか、その地域を奪い取る。
「ヒ地」になったら、あえて突き進む。
「囲地」になったら、考えをめぐらせて裏をかく。
「死地」になったら、戦闘するしかない。

※ここでは、前の九変篇にあった九変の利や九変の術に関
する説明をしているのだと思われる。
 「地」というのは病気の症状のようなものと解釈すれば、分
かりやすいかもしれない。
 病気にはならないにこしたことはないが、それでも避けるこ
とはできない。
 病気を知り、その対処方法を知っていれば、最悪の事態を
避けることができるかもしれない。
 かるい病気ならあえてなって、免疫をつけることもできる。
 毒をもって毒を制するということもある。
 それには症状を的確に判断して、適切な対処方法を選択す
ることだ。


孫子曰く、兵を用いるの法は、散地あり、軽地あり、争地あり、
交地あり、衢地(くち)あり、重地あり、ヒ地あり、囲地あり、死
地あり。
諸侯みずからその地に戦うを散地となす。
人の地に入りて深からざるものを軽地となす。
われ得れば利あり、かれ得るもまた利あるものを争地となす。
われもって往くべく、かれもって来たるべきものを交地となす。
諸侯の地、三属し、先に至れば天下の衆を得べきものを衢地
となす。
人の地に入ること深くして、城邑(じょうゆう)を背にすること多
きものを重地となす。
山林、険阻、狙沢(そたく)、およそ行き難きの道を行くものを
ヒ地となす。
由(よ)りて入るところのもの隘(せま)く、従(よ)りて帰るところ
のもの迂(う)にして、かれ寡(か)にしてもってわれの衆を撃つ
べきものを囲地となす。
疾(と)く戦えば存し、疾く戦わざれば亡ぶるものを死地となす。
このゆえに散地にはすなわち戦うことなかれ。
軽地にはすなわち止まることなかれ。
争地にはすなわち攻むることなかれ。
交地にはすなわち絶つことなかれ。
衢地にはすなわち交わりを合す。
重地にはすなわち掠(かす)む。
ヒ地にはすなわち行く。
囲地にはすなわち謀る。
死地にはすなわち戦う。

孫子曰、用兵之法、有散地、有輕地、有爭地、有交地、
有衢地、有重地、有ヒ地、有圍地、有死地
諸侯自戰其地、爲散地
入人之地而不深者、爲輕地
我得則利、彼得亦利者、爲爭地
我可以往、彼可以來者、爲交地
諸侯之地三屬、先至而得天下之衆者、爲衢地
入人之地深、背城邑多者、爲重地
行山林、險阻、沮澤、凡難行之道者、爲ヒ地
所由入者隘、所從歸者迂、彼寡可以撃吾之衆者、
爲圍地
疾戰則存、不疾戰則亡者、爲死地
是故散地則無戰
輕地則無止
爭地則無攻
交地則無絶
衢地則合交
重地則掠
ヒ地則行
圍地則謀
死地則戰

地形篇・教育方法

_兵士たちとの接し方を乳飲み子のようにする。すると一緒
に深い谷にも向かうことができるようになる。
 兵士たちとの接し方を愛する我が子のようにする。すると
一緒に死んでもかまわないと思うようになる。
 厚遇しても役に立てることができず、愛しても指示すること
ができず、反抗を抑えることができなければ、例えば、なつ
いていない子のようなもので、扱うことができない。
 
 自分の兵士たちが攻撃する時を知っていても、敵を攻撃す
る時ではないことを知らなければ、勝てる可能性は半分しか
ない。
 敵を攻撃する時を知っていても、自分の兵士たちが攻撃す
る時ではないことを知らなければ、勝てる可能性は半分しか
ない。
 敵を攻撃する時を知っていて、自分の兵士たちが攻撃する
時を知っていても、地形が戦うことができないことを知らなけ
れば、勝てる可能性は半分しかない。
 だから、戦争を理解している者は、動く時には迷いがなく、
攻めても行き詰ることがない。
 ようするに、相手を知り、自分を知れば勝利する。だから、
危険にさらされることがない。
 自然を知り、地形を知れば勝利する。だから、行き詰らな
い。

※乳飲み子は、泣くことだけですべてを表現する。それを親
は察して、乳を与えたり、おしめを替えたり、病気ではないか
と調べたりする。その親の苦労に対して、乳飲み子は笑顔で
応える。
 ただ泣いているだけとしか感じない親では、まともに育つわ
けがない。
 子供は親の愛情を試す。
 何度も質問したり、反抗したり、逃げたりする。それを受け
入れる寛容さが親にあれば、子供は親に従い、しがみつい
て離れない。
 最近の親は、ただなつかないといって殺してしまう。
 その親も義務教育を受けて育ったはずだ。
 これらは、義務教育の名のもとに子供を親から引き離し、
知識を詰め込むだけの洗脳をして、人を育てるということを
身につける機会を奪っているからだ。
 義務教育をした結果、世の中が良くなったのか?
 今では、義務教育どころか大学を卒業した人も増えている。
それでこの程度の世の中にしかできないのは、欠陥教育とし
か言えない。
 親も自分が義務教育を受けて、その程度の親にしかならな
かったのに、子供に義務教育を薦めるというのは理解できな
い。
 義務教育はやめて、親に教育費を支給し、多様な教育機会
を増やすほうが世の中のためになる。
 ところで、私は子どもの頃、犬に噛まれたらしいのだが、そ
の記憶はまったくない。だが、母親が犬の話になると必ず「お
前は犬に噛まれたことがある」と何度も繰り返し言っていた。
 その結果、私はトラウマになり、噛まれた感覚もないのに犬
嫌いになった。
 どうせなら「お前は、子供の頃から賢かった」とか「お前は、
子供の頃は、よく本を読んでいた」といったことを繰り返し言っ
てくれていたら、もっとましな人間になっていただろう。
 人の言葉には、これだけの力があることを忘れてはならな
い。


卒を視ること嬰児(えいじ)のごとし、ゆえにこれと深谿(しん
けい)に赴くべし。
卒を視ること愛子のごとし、ゆえにこれと倶(とも)に死すべし。
厚くして使うことあたわず、愛して令することあたわず、乱れ
て治むることあたわざれば、譬(たと)えば驕子(きょうし)の
ごとく、用うべからざるなり。

わが卒のもって撃つべきを知るも、敵の撃つべからざるを知
らざるは、勝の半(なか)ばなり。
敵の撃つべきを知るも、わが卒のもって撃つべからざるを知
らざるは、勝の半ばなり。
敵の撃つべきを知り、わが卒のもって撃つべきを知るも、地
形のもって戦うべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。
ゆえに兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。
ゆえに曰く、彼を知り己を知れば、勝、すなわち殆(あや)うか
らず。
天を知り地を知れば、勝、すなわち窮(きわ)まらず。

視卒如嬰兒、故可與之赴深谿
視卒如愛子、故可與之倶死
厚而不能使、愛而不能令、亂而不能治、譬若驕子、
不可用也

知吾卒之可以撃、而不知敵之不可撃、勝之半也
知敵之可撃、而不知吾卒之不可以撃、勝之半也
知敵之可撃、知吾卒之可以撃、而不知地形之不可以戰、
勝之半也
故知兵者、動而不迷、舉而不窮
故曰、知彼知己、勝乃不殆
知天知地、勝乃不窮

地形篇・領土に価値はない

_地形は戦争を助長する。
 敵の行動の頃合いをみることで勝利の条件を整え、険し
い山、狭い道、遠くの場所、近い場所などのどこで戦うかを
的確に計画できる者が、優れた将軍になれるのだ。
 このことが分かって戦闘の指揮をとる者が必勝し、分から
ずに戦闘の指揮をとる者は必敗する。
 だから戦闘をするしかない状態で、必勝する条件が整って
いるなら、主君に戦闘をするなと命じられても、必ず戦闘を
するべきだ。
 戦闘をするしかない状態でも、勝つみこみがないのなら、
主君が必ず戦闘するようにと命じても、戦闘する必要はな
い。
 そのため、あえて名誉は求めず、恐れて罪から逃げようと
せず、すべては民衆の意にそった決断で、主君に信頼が集
まるように助けるのが、国家のかけがえの者である。

※領土の奪い合いは醜いだけで、なんの利益にもならない。
 ユダヤ人は過去には、領土のない流浪の民だったが、ナ
チスでも絶滅させることはできなかった。それどころか、世
界の経済はユダヤ人を抜きには成り立たないほどの影響
力を獲得した。
 今はイスラエルを建国したことで、戦争の火種が耐えない
状態が続いている。国民は常に死の危険にさらされ、世界
の支持も失いかけている。
 日本も北方領土や尖閣諸島などの領有権をめぐって各国
と対立している。
 本当に必要な領土なのか?
 今は実効支配していないが、別になんの影響もない。
 仮に日本に戻ったとしても領土保全で、余計な出費が増え
るだけだ。資源が手に入ると考えるのは、醜くせこい考えだ。
 それよりも各国にプレゼントして、友好関係を強固にすれ
ば、そこから得られる利益ははかりしれない。
 日本が占領されると思っている臆病な人もいるが、地震は
多く、放射能汚染するような領土を奪って、周りは海に囲ま
れて逃げることができず、核ミサイルの総攻撃されたら全滅
するような領土を欲しがるような者はいない。
 核武装を公言する都知事もいるが、英雄にでもなれると
思っているのだろうか?
 戦争する者に英雄はいない。ただの人殺しだけだ。
 日本の領土には、なんの価値もない。価値があるのは日
本人そのものだということが分かっていないのだろう。


それ地形は兵の助けなり。
敵を料(はか)りて勝ちを制し、険阨(けんあい)・遠近を計る
は、上将の道なり。
これを知りて戦いを用うる者は必ず勝ち、これを知らずして
戦いを用うる者は必ず敗る。
ゆえに戦道、必ず勝たば、主は戦うなかれというとも、必ず
戦いて可なり。
戦道、勝たずんば、主は必ず戦えというとも、戦うなくして可
なり。
ゆえに進んで名を求めず、退いて罪を避けず、ただ民をこ
れ保ちて利の主に合うは、国の宝なり。

夫地形者、兵之助也
料敵制勝、計險阨遠近、上將之道也
知此而用戰者必勝、不知此而用戰者必敗
故戰道必勝、主曰無戰、必戰可也
戰道不勝、主曰必戰、無戰可也
故進不求名、退不避罪、唯人是保、而利合於主、國之寳也

地形篇・指導者の限界

_戦争には、「走」「弛(し)」「陥(かん)」「崩」「乱」「北」という
ものがある。
 だいたいこの六つは、自然の災いではなく、将軍の過失で
ある。
 勢力が拮抗している時に、一割で全体を攻撃するのを
「走」という。
 兵士たちが強くて、部隊長が弱いのを「弛」という。
 部隊長が強くて、兵士たちが弱いのを「陥」という。
 軍団長が怒りにまかせて命令にそむき、敵に遭遇すると
恨みで自分が率先して戦い、将軍がそうした性格を知らな
いのを「崩」という。
 将軍が弱くて厳しさがなく、教え導くことが下手で、隊長以
下が落ち着かず、戦争をする時もバラバラに散らばるのを
「乱」という。
 将軍が敵の計略を見破れず、少数部隊が大軍に遭遇し
たり、弱い部隊で強い部隊を攻撃したり、戦争で精鋭にな
る者を選び出すことができないのを「北」という。
 この六つは敗北をたどることになる。
 将軍の当たり前の務めだから、検討するべきことだ。

※そもそもこんな者を将軍に選んだのが間違いだろう。
 どんなに優秀な将軍でも、一人の能力には限界がある。
それを任せっきりにすることがやがて腐敗をまねく。
 ここにある六つのことは「水のような軍隊」なら悪いことで
はなくむしろ良いことだ。
 それには農耕民族と遊牧民族の違いを理解しないといけ
ない。
 農耕民族のコミュニケーションは、一人の指導者が意見
を言い、その他大勢はその意見に従うだけだ。
 遊牧民族のコミュニケーションは、誰もが意見をもち、そ
の意見を持ちよって議論をして結論を導く。
 この違いは言語でもよく分かる。
 日本語では、誰という主語がない文章が多いが、英語で
は、誰という主語がやたらと出てくる。
 日本語は一対一の会話か、誰か一人が喋り、その他大
勢は聞くだけで、英語は大勢が一斉に喋るという文化の違
いだろう。
 この2つのコミュニケーションには、どちらも一つの考えに
まとめようとする欠点がある。
 一つの考えにまとめると、その考えが間違っていたら次が
ないお役所仕事のようになる。また、多様性がなく未知のこ
とに対応できない。
 一つの考えにまとめる必要はなく、大勢が提案をして、そ
の提案の優先順位を決めて、すべての提案を生かせば、
遠回りのようだが、必ず良い結果を導き出すことができる。
 「水のような軍隊」も誰かに命令されるのではなく、一人一
人が意見をもちより、その優先順位を決めて、目標を目指
して、多様な行動をすれば、将軍や隊長などは必要なく実
現でき、未知のことにも対応できる。
 大津波でも逃げるという発想だけではなく、その場に留ま
るとう発想もすることで、生き残る可能性は高くなる。実際、
東日本大震災では、自宅に留まったことで助かった人たち
もいる。
 ところで、なぜこんなことが地形篇に書かれているのか疑
問だ。


ゆえに兵には、走なるものあり、弛(し)なるものあり、陥(か
ん)なるものあり、崩なるものあり、乱なるものあり、北なる
ものあり。
およそこの六者は、天地の災いにあらず、将の過ちなり。
それ勢い均しきとき、一をもって十を撃つを走という。
卒、強くして吏(り)、弱きを弛という。
吏、強くして卒、弱きを陥という。
大吏(だいり)、怒りて服さず、敵に遇えばウラミてみずか
ら戦い、将はその能を知らざるを崩という。
将、弱くして厳ならず、教道も明かならずして、吏卒(りそつ)
常なく、兵を陳(つら)ぬること縦横なるを乱という。
将、敵を料(はか)ることあたわず、小をもって衆に合い、弱
をもって強を撃ち、兵に選鋒(せんぽう)なきを北という。
およそこの六者は敗の道なり。
将の至任にして、察せざるべからず。

故兵有走者、有弛者、有陷者、有崩者、有亂者、有北者
凡此六者、非天之災、將之過也
夫勢均、以一撃十曰走
吏強吏弱曰弛
吏強吏弱曰陷
大吏怒而不服、遇敵ウラミ而自戰、将不知其能、曰崩
將弱不嚴、教道不明、吏卒無常、陳兵縱横、曰亂
將不能料敵、以少合衆、以弱撃強、兵無選鋒、曰北
凡此六者、敗之道也
將之至任、不可不察也

地形篇・地形と六曜

_地形には「通」「挂(かい)」「支」「隘(あい)」「険」「遠」とい
うものがある。
 我々が行くことができ、相手も来ることができる隠れるこ
とができない場所を「通」という。
 「通」では、その地域の支持を得ることにつとめ、軍資金
や武器、兵糧などをすべて確保して、相手が補給をできな
くして戦えば、勝利できる。
 行くことができるが、後退が難しい場所を「挂」という。
 「挂」では、敵の備えが整っていない時に、この場所から
出て攻撃すれば勝てるが、敵の備えが整っている時には、
出て攻撃しても勝つことはできない。
 その上、後退ができないので不利だ。
 我々が出て行って不利で、相手も出て行けば不利になる
場所を「支」という。
 「支」では、敵に勝利できると分かっても、出て行ってはい
けない。
 この場所からは退却して、敵が追撃してくるようなら、反
撃すれば勝利できる。
 「隘」では、我々がこの場所に布陣していたら、必ず隙を
見せず守備を固めて敵を待つ。
 もし、敵がこの場所に布陣して、守備を固めていたら誘
いにのってはいけない。
 守備に隙があれば、誘いにのったフリをしてうらをかけ。
 「険」では、我々がこの場所に布陣していたら、必ず、そ
の地域の支持を得ることにつとめて敵を待て。
 もし、敵がこの場所に布陣していたら、退却して誘いに
のってはいけない。
 「遠」では、勢力が拮抗していれば、戦うことは難しく、
戦えば不利になる。
 この六つのものは地形から分かることだ。
 将軍の当たり前の務めとして検討するべきことだ。

※これは六曜をあてはめてみると面白い。
「通」は先勝で、文字通り先手必勝のことで、午前中は吉、
   午後は凶。
「挂」は先負で、先勝とは逆で、先走ってはいけない。午前
   中は凶、午後は吉。
「支」は友引で、勝負がつかず、誘いにのると死ぬ。午前は
   勝負なしで午後は吉。
「隘」は大安で、何事にも良い。一日中吉。
「険」は赤口で、刃物を持つのは注意。午の刻だけ吉であと
   は大凶。
「遠」は仏滅で、何事にも悪い。一日中凶。
 占いはあくまでも指針であり、参考にはなるが、絶対では
ない。
 地形も同じで、障害物や堀を設けることで、変化させるこ
とができる。


孫子曰く、地形には、通なる者あり、挂(かい)なる者あり、
支なる者あり、隘(あい)なる者あり、険なる者あり、遠なる
者あり。
われもって往くべく、彼もって来たるべきを通という。
通なる形には、まず高陽に居り、糧道を利してもって戦わ
ば、すなわち利あり。
もって往くべく、もって返り難きを挂という。
挂なる形には、敵に備えなければ出でてこれに勝ち、敵も
し備えあらば出でて勝たず。
もって返り難くして、不利なり。
われ出でて不利、彼も出でて不利なるを支という。
支なる形には、敵、われを利すといえども、われ出ずること
なかれ。
引きてこれを去り、敵をして半(なか)ば出でしめてこれを撃
つは利なり。
隘なる形には、われまずこれに居らば、必ずこれを盈(み)
たしてもって敵を待つ。
もし敵まずこれに居り、盈つればすなわち従うことなかれ、
盈たざればすなわちこれに従え。
険なる形には、われまずこれに居らば、必ず高陽に居りて
もって敵を待つ。
もし敵まずこれに居らば、引きてこれを去りて従うことなか
れ。
遠なる形には、勢い均(ひと)しければもって戦いを挑み難
く、戦えばすなわち不利なり。
およそこの六者は地の道なり。
将の至任、察せざるべからず。

孫子曰、地形、有通者、有挂者、有支者、有隘者、有險者、
有遠者
我可以往、彼可以來、曰通
通形者、先居高陽、利糧道以戰則利
可以往、難以返、曰挂
挂形者、敵無備、出而勝之、敵若有備、出而不勝
難以返不利
我出而不利、彼出而不利、曰支
支形者、敵雖利我、我無出也
引而去之、令敵半出而撃之利
隘形者、我先居之、必盈之以待敵
若敵先居之、盈而勿從、不盈而從之
險形者、我先居之、必居高陽以待敵
若敵先居之、引而去之勿從也
遠形者、勢均難以挑戰、戰而不利
凡此六者、地之道也
將之至任、不可不察也

行軍篇・人心掌握術

_戦争は多いことが優れているのではない。
 ただ勇ましく攻撃するのではなく、力を集中して敵のもとに
なるもの(指導者や隊長)に対応できるなら、兵士は精鋭だ
けにすればいい。
 ただし、深く考えもせずに、敵を占っただけのような者は、
必ず敵の兵士に生け捕られる。
 兵士たちがまだ信頼していないのに罰を与えれば、従うは
ずがない。
 従わないのだから役に立てることは難しい。
 兵士たちがすでに信頼しているのに罰を与えなければ、こ
れも役に立てることができない。
 だから、命令する時は書状にして、公正を保つには武功に
むくいることだ。
 これで必ず掌握したと言える。
 命令が、地位の高い者にまで徹底されて、それを民衆の手
本にすれば、民衆は従うようになる。
 命令が、地位の高い者には徹底されていないのに、それが
民衆の手本となれば、民衆が従うわけがない。
 命令を地位の高い者にも徹底させる者は、民衆の信頼を
得ることができる。

※織田信長には、うつけ者といった粗暴なイメージがある一
方で、家臣に慕われるカリスマのイメージもある。
 以前にも触れたが、信長自信が命令を聞くタイプではない
ので、家臣を命令に従わせるというのは矛盾がある。
 信長がまず最初にしたのが、豊臣秀吉のような身分の低い
者を家臣にして、手柄をたてれば差別なく褒美を与え出世さ
せることだ。
 身分制度を根底からくつがえしたことで、民衆は支持し、期
待をする。
 身分に関係なく優秀な人材も集まってくる。
 その反面、明智光秀のような身分が高く優秀な者でも失敗
すれば容赦なく罰した。
 光秀のような者でも罰せられるとなれば、末端の兵卒や民
衆は気持ちをひきしめざるおえない。
 その上で、「天下布武」という目標をかかげたことで、命令
をしなくても、全体が目標に向かって集中する。
 信長が本能寺で、光秀に討ち取られることになったのも、
家臣が命令にしばられることがなく、自分で判断し、行動す
ることができたからだろう。
 通説では光秀は、信長の理不尽な叱責に怒りをまして、本
能寺の変を起こしたといわれているが、光秀はあまんじて怒
られ役を引き受けていたのではないだろうか。
 優秀な光秀なら自分が怒られることで、信長の統率に役立
つことは分かるはずだし、怒られている間は、信長を独り占
めしたような優越感もあったのではないかと思う。
 秀吉もよく怒られるようなことをやって信長の注目を集めよ
うとしていたふしがあるからだ。
 光秀は通説とは違う、何かの理由で発作的に信長を殺害
して、その後に光秀の部隊が動いたのではないだろうか。
 少なくとも信長の人心掌握術が間違っていたとは思えない。


兵は多きを益とするにあらざるなり。
ただ武進することなく、もって力を併(あわ)せて敵を料(はか)
るに足らば、人を取らんのみ。
それただ慮(おもんぱか)りなくして敵を易(あなど)る者は、
必ず人に擒(とりこ)にせらる。
卒、いまだ親附せざるにしかもこれを罰すれば、すなわち服
せず。
服せざればすなわち用い難きなり。
卒、すでに親附せるにしかも罰行なわれざれば、すなわち用
うべからざるなり。
ゆえにこれに令するに文をもってし、これを斉(ととの)うるに
武をもってす。
これを必取と謂う。
令、素(もと)より行なわれて、もってその民を教うれば、すな
わち民、服す。
令、素より行なわれずして、もってその民を教うれば、すなわ
ち民、服せず。
令、素より行なわるる者は、衆と相得るなり。

兵非益多也
惟無武進、足以併力料敵、取人而已
夫惟無慮而易敵者、必擒於人
卒未親附而罰之、則不服
不服則難用也
卒已親附而罰不行、則不可用也
故令之以文、齊之以武
是謂必取
令素行以教其民、則民服
令不素行以教其民、則民不服
令素行者、與衆相得也

行軍篇・政治腐敗

_杖をついて立っているのは、ひもじくて病になっている可能
性がある。
 汲んだ水を確認もせずに飲むのは、水不足になっている
可能性がある。
 有利になっているのに攻撃してこないのは、労作している
可能性がある。
 鳥が降りて群れていると、そこにはいない可能性がある。
 夜に呼びあっているのは、不安で反乱する可能性がある。
 軍に騒ぎがあるのは、将軍に何かあった可能性がある。
 旗があわただしく移動いているのは、計略に変更があった
可能性がある。
 隊長が怒っているのは、疲れている可能性がある。
 馬を殺して肉以外に食べ物がないのは、兵糧がない可能
性がある。
 器やかめをかかげて気勢を上げ、宿営地に戻ろうとしない
のは、決死の覚悟を決めた可能性がある。
 何度も集まって、しずかに相談するのは、民衆の支持を失っ
ている可能性がある。
 ひんぱんに賞を与えると行き詰まる。
 ひんぱんに罰を与えると乱れる。
 勝手に実行しておいて、後で民衆の評判を気にするのは、
怠慢のさいたるものだ。
 来ても任されたことを辞退するのは、責任逃れをしたいか
らだ。
 戦争で怒りをみせて対峙したまま、しばらく戦闘はせず、お
互いに退却できない状態になったら、みずから反省して、必
ず自分たちのおちどをあきらかにすること。

※そもそもこんな状態になったら戦争どころではない。
 自国の場合はすぐに分かるが、敵国については、こんなに
細かく分かるのか疑問。もし分かるとしたら戦うまでもないは
ず。
 政治を一部の者に任せていると、こういった政治腐敗にな
る。
 政治が悪くなるのは国民が政治を知らないからで、その知
らない者が代表を選ぶのは、野球を知らない者が選手のポ
ジションを決めるようなものだ。
 選挙で投票するというのは、立候補した者の連帯保証人に
なるということだが、どれだけの人がそんなことを考えて投票
しているのだろうか?
 ドイツのナチスも今の日本の選挙制度と同じように「民主的
な選挙」によって誕生した。
 自民党がだめで民主党もだめ。今度は橋下(大阪市長)新
党や石原(都知事)新党を選ぶのか?
 この人たちは「核武装論者」なのだが。
 それよりも議員や公務員には辞めてもらい、国民全員がボ
ランティアで政治参加して、政治を学ぶべきだ。
 そうすれば無駄な税金を使う必要がなくなり、税金の徴収
ではなく寄付で運営することもできる。また、無駄な議論をす
る必要もない。
 私は電気製品の修理の仕事をしていたが、故障の原因が
分からない時は、すべての部品を優先順位を決めて、交換し
てみる。
 無駄があるように思われるが、必ず修理できるし、経験を
つむと故障箇所が予測でき、優先順位の早い段階で修理で
きる。
 これを応用すれば、国民全員であらゆる提案をだし、優先
順位を決めて実行して、その結果をもとに修正していけば、
必ず正解にたどりつく。


杖つきて立つは、飢うるなり。
汲(く)みてまず飲むは、渇(かつ)するなり。
利を見て進まざるは、労(つか)るるなり。
鳥の集まるは、虚しきなり。
夜呼ぶは、恐るるなり。
軍の擾(みだ)るるは、将の重からざるなり。
旌旗(せいき)の動くは、乱るるなり。
吏(り)の怒るは、倦(う)みたるなり。
馬を粟(ぞく)して肉食するは、軍に糧なきなり。
缶(ふ)を懸けてその舎に返らざるは、窮寇なり。
諄諄翕翕(じゅんじゅんきゅうきゅう)として、徐(おもむろ)に
人と言うは、衆を失うなり。
しばしば賞するは、窘(くる)しむなり。
しばしば罰するは、困(くる)しむなり。
先に暴にして後にその衆を畏(おそ)るるは、不精の至りなり。
来たりて委謝するは、休息を欲するなり。
兵怒りて相迎え、久しくして合せず、また相去らざるは、必ず
謹みてこれを察せよ。

杖而立者、飢也
汲而先飮者、渇也
見利而不進者、勞也
鳥集者、虚也
夜呼者、恐也
軍擾者、將不重也
旌旗動者、亂也
吏怒者、倦也
粟馬肉食、軍無糧也
懸缶不返其舍者、窮寇也
諄諄翕翕、徐與人言者、失衆也
數賞者、窘也
數罰者、困也
先暴而後畏其衆者、不精之至也
來委謝者、欲休息也
兵怒而相迎、久而不合、又不相去、必謹察之

行軍篇・ささいな兆候

_敵が近くにいて静観しているのは、守りの固いことに自信
があるからだ。
 遠くにいて戦いの挑発をするのは、主導権を握ろうとする
ためだ。
 布陣した場所で余裕があるのは、有利だからだ。
 木々が不自然に動くのは、生き物の存在がある。
 草木が放置され、行く手を妨げられるのは、疑ったほうが
いい。
 鳥が突然、逃げるように飛び立つのは、待ち伏せかもしれ
ない。
 獣が逃げまどっているのは、退き帰らせようとしているのか
もしれない。
 土煙が、
 高く勢いがあるのは、馬車が移動しているかもしれない。
 低くて広範囲なのは、歩いているものが移動しているかも
しれない。
 散らばって四方にのびているのは、雑木を集めているかも
しれない。
 少ないが行き来しているようなのは、布陣をしようとしてい
るかもしれない。

 交渉をはぐらかして守備に専念していると言うのは、進軍
してくる可能性がある。
 交渉が強引で、進軍をほのめかすのは、退却する可能性
がある。
 貨物車を前面に配置して警戒しているのは、布陣をしてい
る可能性がある。
 不意に使者がやって来て、和平交渉を申し出るのは、計
略の可能性がある。
 忙しく走り回り、戦車を配置しているのは、覚悟を決めた
可能性がある。
 攻撃して来たり、退却したりを繰り返すのは、誘導しようと
している可能性がある。

※これらはあくまでも憶測で、疑えばきりがない。
 こうしたささいな事にも気をくばり、最終的には自分で調べ
て確かめる。
 戦争すると決めたからには、自分たちが主導権を握って
行動する。
 仮に罠があったとしても、あえてそれにひっかかることで、
有利に展開するように備えておく。


敵近くして静かなるはその険を恃(たの)めばなり。
遠くして戦いを挑むは、人の進むを欲するなり。
その居る所の易なるは、利なればなり。
衆樹の動くは、来たるなり。
衆草の障多きは、疑なり。
鳥の起(た)つは、伏なり。
獣の駭(おどろ)くは、覆なり。
塵高くして鋭きは、車の来たるなり。
卑くして広きは、徒の来たるなり。
散じて条達(じょうたつ)するは、樵採(しょうさい)するなり。
少なくして往来するは、軍を営(いとな)むなり。

辞(ことば)卑くして備えを益すは、進むなり。
辞(ことば)疆(つよ)くして進駆(しんく)するは、退くなり。
軽車まず出(い)でてその側に居るは、陳するなり。
約なくして和を請うは、謀るなり。
奔走して兵車を陳(つら)ぬるは、期するなり。
半進半退するは、誘うなり。

敵近而靜者、恃其險也
遠而挑戰者、欲人之進也
其所居易者、利也
衆樹動者、來也
衆草多障者、疑也
鳥起者、伏也
獸駭者、覆也
塵高而鋭者、車來也
卑而廣者、徒來也
散而條達者、樵採也
少而往來者、營軍也

辭卑而益備者、進也
辭疆而進驅者、退也
輕車先出居其側者、陳也
無約而請和者、謀也
奔走而陳兵車者、期也
半進半退者、誘也

行軍篇・軍の習性

_たいていの軍は高い場所に行こうとし、低い場所は避け、
活動しやすい状態にして勇ましく見せ、身を潜めるのを卑
怯だと考え嫌がる。
 生きることを考えて目先の利益に行き、軍はどんな病に
もならない。
 これで必勝と言っている。
 丘陵や堤防では、必ず活動しやすい場所に行き、それを
守りとする。
 これが戦争で有利になり、地の助けを得られる。
 上流で雨が降って、川の様子が変わっている所を渡りた
い時は、それが穏やかになるのを待つこと。

 向かう場所に、絶壁、くぼんだ地、閉じ込められる地、歩
行困難な地、陥没する地、空き地があれば、必ずすぐに立
ち去って近づかないこと。
 自分たちは遠ざかって、敵をこれらを背後にするように誘
導する。
 軍の行く手に険しく見通しの悪い場所、溝やくぼ地、背の
高い草が生い茂った場所、山林、モヤや霧などで目がかす
むような場所では、必ず用心して探索すること。
 こうした所に伏兵が潜んでいる。

※上記は正法で、奇法では避けるのではなく積極的に利用
する。
 水は高い場所から低い場所に流れるので、必ず高い場所
に行かなければならない。しかし、高い場所にいつまでも留
まることはできない。常に低い場所に行こうとする。
 人もトップを目指すのはいいが、それには敗者を思いやる
必要がある。それは、もともと自分も同じ立場からトップになっ
たのだし、いずれは敗者に戻るからだ。
 利益をもたらすのは大多数の敗者だ。
 利益を貯めこんでいたのでは、いずれ利益を得ることがで
きなくなる。死ねば利益は失われる。
 少しは小病にはなったほうが、大病に気づきやすい。
 地形は人工的に造りかえることができるので、危険な場所
を安全にすることも、安全な場所を危険にすることもできる。
 どちらにしても無関心でいることが問題だ。


およそ軍は高きを好みて下(ひく)きを悪(にく)み、陽を貴
(たっと)びて陰を賎(いや)しむ。
生を養いて実に処(お)り、軍に百疾(ひゃくしつ)なし。
これを必勝と謂う。
丘陵、堤防には必ずその陽に処りてこれを右背にす。
これ兵の利、地の助けなり。
上に雨ふりて水沫(すいまつ)至らば、渉(わた)らんと欲す
る者は、その定まるを待て。

およそ地に絶澗(ぜっかん)、天井、天牢、天羅、天陥(てん
かん)、天隙(てんげき)あらば、必ず亟(すみや)かにこれ
を去りて近づくことなかれ。
われはこれに遠ざかり、敵はこれに近づかせ、われはこれ
を迎え、敵はこれに背(うしろ)にせしめよ。
軍行に険阻、溝井(こうせい)、葭葦(かい)、山林、翳薈(え
いわい)あらば、必ず謹んでこれを覆索(ふくさく)せよ。
これ伏姦(ふくかん)の処る所なり。

凡軍好高而惡下、貴陽而賤陰
養生而處實、軍無百疾
是謂必勝
丘陵堤防、必處其陽而右背之
此兵之利、地之助也
上雨水沫至、欲渉者、待其定也

凡地有絶澗、天井、天牢、天羅、天陷、天隙、必亟去之、
勿近也
吾遠之敵近之、吾迎之敵背之
軍行有險阻、溝井、葭葦、山林、翳薈者、必謹覆索之
此伏姦之所處也

行軍篇・山川沢地

_軍を行かせて敵と対峙する時、
 敵が山を越えたら、こちらは谷に身をよせ、敵の消息を
確認して高い場所に行く。登る時に戦ってはいけない。
 これが山を行く軍だ。
 敵が川を渡れば、こちらは必ず川から遠ざかり、たとえ
親しい者でも川を渡って来たからといって、川の側で迎え
てはいけない。敵が川を渡って向こに行こうとしている途
中を攻撃すれば有利になる。
 戦いを望んでいる者は、川の中で親しい者を迎えるよう
なことはしない。
 敵の消息を確認して、敵より上流に行く。下流で待ちか
まえてはいけない。
 これが川を行く軍だ。
 敵がひらけた沢を行けば、こちらはすぐに去って留まっ
てはいけない。
 もし、こちらの軍がひらけた沢の中にいて、敵が向かっ
てきたら、必ず水草に身をひそめて樹のある場所を背に
すること。
 これがひらけた沢を行く軍だ。
 平地では余裕をもって行き、守りにおもきをおいて、前方
で戦い易い状態にして、後ろは逃げ道を確保しておく。
 これが平地を行く軍だ。
 この四つの行軍が有利となって、黄帝が四帝に勝利した
のだ。

※風水では前を玄武、後ろを朱雀、右を青龍、左を白虎
とし、中でも青龍と白虎が重要で、青龍のほうが守りに有
利とされている。(四神は方角で固定されているわけでは
ない)
 玄武は川上で朱雀が川下なので、川の流れを見れば、
青龍と白虎は分かり易い。
 沢や平地では分かりにくいので、青龍が守りを意味する
ことから、守りを重要と考えるのだろう。
 戦う場合は、反時計回りに移動するような戦い方がよい。


孫子曰く、およそ軍を処(お)き敵を相(み)るに、
山を越ゆれば谷に依(よ)り、生を視(み)て高きに処り、
隆(たか)きに戦うに登ることなかれ。
これ山に処るの軍なり。
水を絶(わた)れば必ず水に遠ざかり、客、水を絶りて来た
らば、これを水の内に迎うるなく、半(なか)ば済(わた)らし
めてこれを撃つは利あり。
戦わんと欲する者は、水に附きて客を迎うることなかれ。
生を視て高きに処り、水流を迎うることなかれ。
これ水上に処るの軍なり。
斥沢(せきたく)を絶(こ)ゆれば、ただ亟(すみや)かに去っ
て留まることなかれ。
もし軍を斥沢の中に交うれば、必ず水草に依りて衆樹を背
にせよ。
これ斥沢に処るの軍なり。
平陸には易きに処りて高きを右背にし、死を前にして生を
後にせよ。
これ平陸に処るの軍なり。
およそこの四軍の利は、黄帝の四帝に勝ちしゆえんなり。

孫子曰、凡處軍相敵、絶山依谷、視生處高、戰隆無登
此處山之軍也
絶水必遠水、客絶水而來、勿迎之於水内、
令半濟而撃之利
欲戰者、無附於水而迎客
視生處高、無迎水流
此處水上之軍也
絶斥澤、惟亟去無留
若交軍於斥澤之中、必依水草、而背衆樹
此處斥澤之軍也
平陸處易、而右背高、前死後生
此處平陸之軍也
凡此四軍之利、黄帝之所以勝四帝也

九変篇・将軍の心得

_なお、将軍には五つの危うさがある。
 敵を必死にさせると殺される。
 敵を必ず生かすようでは、生け捕られる。
 敵の怒りを招くと、軽く見られる。
 敵の心を正しく清いままにしておくと、恥をかかされる。
 敵が民衆を愛しんだままにしておくと、わずらわされる。
 この五つは将軍の過失によるもので、戦争をする時の
障害になる。
 軍勢が敵のほうにいき、将軍が殺されるのは、必ず五
つの危うさがあるからだ。
 よく注意しておくことだ。

※一般的には将軍の性格と解釈されているが、それでは
意味が分からなくなる。
 戦争をする時には、
 自分たちが死を覚悟して必死になるのはあたりまえで、
敵を必死にすれば、簡単には勝てなくなる。
 自分たちが生きようとすれば、戦いに敗れて殺されるだ
ろう。敵を生かせば、その恩義から生け捕りにされる可能
性がある。(国にとっては情報が漏れたり、敵を有利にして
しまう)
 自分たちの怒りは力となるが、敵を怒らせるようでは、勢
いづかせてしまう。
 自分たちの心が正しく清ければ、敵は攻撃しずらいが、
敵の心が正しく清いのに攻撃すれば、物笑いになるだろう。
 自分たちが民衆を愛しんでいれば、国が一丸となって戦え
るが、敵が民衆を愛しんでいると、勝って占領したとしても民
衆は言うことを聞かない。
 将軍は、戦争をする前にこういったことに対処しておき、戦
争中も心をくばる必要がある。


ゆえに将に五危あり。
必死は殺さるべきなり、
必生は虜(とりこ)にさるべきなり、
忿速(ふんそく)は侮(あなど)らるべきなり、
廉潔は辱(はずかし)めらるべきなり、
愛民は煩(わずら)わさるべきなり。
およそこの五者は将の過ちなり、兵を用うるの災いなり。
軍を覆(くつがえ)し将を殺すは必ず五危をもってす。
察せざるべからざるなり。

故將有五危
必死可殺也、
必生可虜也、
忿速可侮也、
廉潔可辱也、
愛民可煩也
凡此五者、將之過也、用兵之災也
覆軍殺將、必以五危
不可不察也

九変篇・利害は一体

_そこで、知恵のある者は深く考えて、必ず利害を集める。
 利益になる考えを集めて、その欠点をあかす。
 損害になる考えを集めて、その心配な点の解決策をしめ
す。
 だから、人々を勢いよく立ち上がらせるのには損害を話
し、人々に役割をあたえるのには報いることを話し、人々
をうながすのには利益を話す。

 このことから、戦争をする手順は、向こうから来ないこと
を期待するのではなく、こちらの持てる力で待機しているこ
とに期待する。
 向こうから攻めてこないことを期待するのではなく、こちら
の攻めてきても無駄になることに期待をする。

※どんなに知恵のある者でも利益だけを得て、損害をなく
すということはできない。それは、利益と損害、成功と失敗
はコインの裏表の関係にあるからだ。
 損害や失敗を恐れていては利益や成功を得ることはでき
ない。
 利益や成功に喜んでいては、必ず損害や失敗をする。
 そこで、知恵のない者はどうすればいいか?
 ありとあらゆる案をしぼりだし、その優先順位を決めて、
すべてやってみる。
 優先順位の決め方によっては、利益や成功は最後になる
かもしれないが、確実にたどりつくことができる。
 実行した結果によって、新しい案が出たり、優先順位を見
直せば、より早く利益や成功に近づく。
 利益や成功を得ても、そこで終わりではなく、利益が増え
すぎたら、成功しすぎたら周りにどんな悪影響があるかを考
える。
 利益だけを追求すれば公害になるし、刃物で料理ができ
るが人殺しもできる。
 自然現象(人為的なことも)はどんなことが起きるか分から
ない。すべてのことに対応はできないが、なにも起こらないと
考えるお役所仕事では命がいくつあってもたりない。
 過去の歴史や他国で起きたことなどの情報を集め、それを
シミュレーションしてゲームのように体験して対応方法を考え
ておくことはできる。
 これが九変の術といえなくもない。


このゆえに智者の慮は必ず利害に雑(まじ)う。
利に雑えて務め信ぶべきなり。
害に雑えて患(うれ)い解くべきなり。
このゆえに諸侯を屈するものは害をもってし、諸侯を役す
るものは業をもってし、諸侯を趨(はし)らすものは利をもっ
てす。

ゆえに兵を用うるの法は、その来たらざるを恃(たの)むな
く、われのもって待つあるを恃むなり。
その攻めざるを恃むなく、われの攻むべからざるところある
を恃むなり。

是故智者之慮、必雜於利害
雜於利、而務可信也
雜於害、而患可解也
是故屈諸侯者以害、役諸侯者以業、趨諸侯者以利

故用兵之法、無恃其不來、恃吾有以待也
無恃其不攻、恃吾有所不可攻也

九変篇・行動パターン

_戦争をする手順は、将軍が君主から命令を受け、軍に
よる合議をして、民衆の賛同を集め、
 破壊しなければいけない地に、居つかず、
 交差点のような地では、交わりを結び、
 中央から遠く離れた地には、とどまらず、
 囲まれた地では、考えをめぐらせ、
 助かる望みのない地では、戦う。
 泥道に頼らない。
 軍隊は攻撃しない。
 城は攻めない。
 領地を奪い合わない。
 君主の命令は受けない。

 そこで、将軍が九変の利に精通していれば、戦争の兆し
が分かる。
 将軍が九変の利に精通していなければ、地形を理解で
きても、地の利を得ることができない。
 戦争を治めたのに九変の術を知らなければ、上記の五
つの利害を知っていても人を活用できない。

※この文章は人の行動パターンを五つにしぼって言ってい
るのではないだろうか。
 開墾しなければいけないような土地には、なかなか人は
集まらない。だから、泥道のままで頼りにならない。
 ゴールドラッシュは金が発見されて人が集まるのであっ
て、道路を整備しても、その場所に魅力がなければ人は集
まらない。
 人々が行き交うような場所では、交易がおこなわれる。
だから、軍隊は攻撃しずらい。
 仮に占領しても大勢の人が行きかうようになり、元と同じ
ことになる。
 遠隔地では、人の入れ替わりがひんぱんになる。だから、
こんな場所にある城は攻める必要はない。
 仮に城を奪っても守ることができず、保守管理の損失が
増える。
 隔離されて見えない場所では、人はよからぬことを考え
る。だから、こんな領地は奪い合わない。
 政治家が料亭で話し合っても腐敗政治になり、刑務所で
は更正できない。
 悪事が芽生えるので、内部崩壊のもとになる。
 失望すれば、人は争う。だから、君主の命令は受けない。
 死ぬとなれば、法律などかまってられない。

 これらを九変の術を使ってうまく利用すれば、人を思いの
ままに活用することができる。
 なお、九変の利や九変の術に関しては、ここに説明はな
く、後にある九地篇で説明されていると思われる。


孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、将、命を君に受け、
軍を合し衆を聚(あつ)め、
ヒ地(ひち)には舍(やど)ることなく、
衢地(くち)には交わり合し、
絶地には留まることなく、
囲地にはすなわち謀(はか)り、
死地にはすなわち戦う。
塗(みち)に由(よ)らざる所あり。
軍に撃たざる所あり。
城に攻めざる所あり。
地に争わざる所あり。
君命に受けざる所あり。

ゆえに将、九変の利に通ずれば、兵を用うることを知る。
将、九変の利に通ぜざれば、地形を知るといえども、地の
利を得ることあたわず。
兵を治めて九変の術を知らざれば、五利を知るといえども、
人の用を得ることあたわず。

孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、
ヒ地無舍、
衢地交合、
絶地無留、
圍地則謀、
死地則戰、
塗有所不由、
軍有所不撃、
城有所不攻、
地有所不爭、
君命有所不受

故將通於九變之利者、知用兵矣
將不通於九變之利者、雖知地形、不能得地之利矣
治兵不知九變之術、雖知五利、不能得人之用矣

2011年12月10日土曜日

軍争篇・戦争手順

_戦争をする手順では、
 高い丘に向かってはならない。
 丘を背にするには、逆らってはならない。
 偽って逃げるには、従ってはならない。
 優れた兵士をとがめてはならない。
 おとりの兵士に食べさせてはならない。
 帰ろうとする者を引き止めてはならない。
 囲まれた者は必ず突破しようとする。
 苦しんで他国に侵入する時は、後から追いかけては
ならない。
 これが戦争をする手順だ。

※一般的には、敵の状態によりどう対処するかといっ
た解釈をされているが、敵の利益になるとしか思えな
い。
 高い丘にいる敵を攻めてはならないのではなく、囲
んで兵糧攻めすればいいから向かって行かない。逆
に自分たちが高い丘に行くと兵糧攻めされる。
 人間関係でいえば、自分より地位が高い者には、は
むかわず、落ちぶれるのを待つ。
 丘を背にする敵を攻撃してはならないのではなく、い
ずれ攻撃してくるので、あえて攻撃する必要はなく、正
面に布陣しない。または、丘を越えて背後から攻撃す
る。
 自分たちが丘を背にしたい場合は、敵を追いかけ回
すのではなく、自分たちが背にした丘の前に敵をおび
きよせる。
 人間関係でいえば、相手に後ろ盾がいる場合は、後
ろ盾になっている者を引き離す。自分たちの後ろ盾は、
相手ともっとも対立している者にする。
 偽って逃げる敵というのは、偽っているのか、本当に
逃げているのか分からない。
 本当に逃げているようにみせるには、誰の命令にも
従わず、四方八方に逃げることだ。
 人間関係でいえば、約束してやぶれば、友達はいな
くなっていく。(悪友とは縁が切れる)
 優れた兵士を攻撃してはならないのではなく、優れた
兵士が多少の失敗をしてもとがめてはならない。ただし、
怒られ役には優れた兵士のほうがいい。
 人間関係でいえば、短所には目をつむり、長所を伸
ばす。善悪の両方を評価する。
 おとりの兵士というのは、おとりなのか分からない。
 本当のおとりにするには、食べさせず、敵に寝返って
不平不満を訴えに行くようにする。そうすれば、敵の兵
数は増えるが、兵糧は減る。
 人間関係でいえば、役に立たない者は相手に押しつ
ける。
 帰国途上の敵を攻撃してはならないのではなく、大義
名分があるのなら、禍根を残さないために全滅させる。
 味方の中で、故郷に帰ろうと臆病になっている者がい
たら勢いがなくなるので、引き止めず、帰らせる。
 人間関係にも同じことがいえる。
 敵を包囲したら逃げ道を開ける必要はない。ただし、
無謀な攻撃を仕掛けてくるので、こちらから攻撃する必
要はなく、守りを固めて弱っていくのを待つ。
 自分たちが包囲されたら、弱い部分をみつけ、一点
に集中して攻撃をし、突破する。
 人間関係でいえば、どんな困難にも必ず逃げ道はあ
る。なにも行動しないのがいちばんダメ。
 窮地に追いこんだ敵を攻撃してはならないのではなく、
いずれ疲れて勢いがなくなるので追い回さずに待つ。
 自分たちが苦しい状態で他国に侵入する場合は、後
から追いかけて行くと背後を攻撃されるので、先頭に立っ
て向かって行く。
 人間関係でいえば、行動するのなら率先してやるほう
が、多くの利益を得ることができる。


ゆえに兵を用うるの法は、
高陵には向かうことなかれ、
丘を背にするには逆(むか)うことなかれ、
佯(いつわ)り北(に)ぐるには従うことなかれ、
鋭卒には攻むることなかれ、
餌兵(じへい)には食らうことなかれ、
帰師には遏(とど)むることなかれ、
囲師には必ず闕(か)き、
窮寇(きゅうこう)には追ることなかれ。
これ兵を用うるの法なり。

故用兵之法、
高陵勿向、
背丘勿逆、
佯北勿從、
鋭卒勿攻、
餌兵勿食、
歸師勿遏、
圍師必闕、
窮寇勿迫
此用兵之法也

2011年12月3日土曜日

軍争篇・大衆操作

_そこで軍隊で気勢を奪い、将軍は意思を奪うようにす
る。
 そもそも朝の気は鋭く、昼の気は怠惰で、夕暮れの気
は帰順する
 だから戦争に慣れた者は、鋭い気を避けて、怠惰や
帰順の時に攻撃する。
 これが気を治める者のやり方だ。
 治まった姿を見せることで、乱れたものが治まるのを
待ち、静まった姿を見せることで、やかましいものが静
かになるのを待つ。
 これが意思を治める者のやり方だ。
 近いと思わせて遠回りをするのを待ち、なまけている
ようにみせて労作するのを待ち、満足できると思わせ飢
えるのを待つ。
 これが力を治める者のやり方だ。
 整然と旗を掲げた軍隊を待つことはなく、勇ましい隊
列を攻撃することはない。
 これが変を治めるやり方だ。

※ナチスのヒトラーは、夕暮れ時に演説会を開き、大量
の旗を持った軍隊の行進や勇ましい軍歌を流すことで、
民衆の気勢を高めた。
 そして、ヒトラーが演説する時は、集まった聴衆が騒い
でいる時は、黙って静まるのを待った。
 そこで最初は落ち着いた口調で話し、次第に荒々しい
口調で勇ましい言葉を並べたてる。
 人は真似をしたくなる生き物だから、聴衆は共感して
いく。
 そして、自分たちを常に被害者の立場におき、本当と
は逆の情報をうえつける。
 正々堂々としているので、誰も疑いを持たなくなる。
 現在でも詐欺師がよく使う手口だ。
 恐ろしいのは、騙された者に自覚がなく、騙す側の味
方になり、その連鎖でもっと多くの者が騙されていく。
 事件として明るみになっても騙された者は被害者だと
いうことを認めないか、被害者意識だけで加害者意識
がない。
 詐欺事件は、騙された者を逮捕しない限り、詐欺師の
資金源を断つことはできないし、被害の拡大を防ぐこと
はできない。
 戦争で戦った兵士たちを英霊と言って、敗戦の責任を
国民に押し付けている政治も同じだ。
 戦争をしていなければ、この国の外交は優位にたつ
ことができ、アメリカと対等の関係になれた。先祖は本
当に英霊になっただろう。
 かりに諸外国から戦争をせざるおえない状態に追い
込まれていたとしても、それこそ大義名分を得るチャン
スになったはずだ。
 今度は、東日本大震災や原発事故の責任を増税や
値上げというかたちで国民に押し付けている。
 これらは、「該当者なし」が選択できず、公務員に投票
権のある「イカサマ選挙」に何の疑いもなく投票している
国民がいる限り、公認詐欺師に騙され続け、政治は良く
ならない。
 日本人の騙されやすいのは、義務教育の洗脳とあい
さつ運動にみられる。
 学校の教育には、人を育てるという目的はなく、従順に
命令を聞き、公務員に疑問をもたないように洗脳するこ
とにある。
 「あいさつ」というのは、合言葉と同じで、見知らぬ相手
でも、あいさつをしてきたら仲間だと思うようになる。
 だから、詐欺師はあいさつをしながら笑顔でやってくる。


ゆえに三軍には気を奪うべく、将軍には心を奪うべし。
このゆえに朝の気は鋭、昼の気は惰、暮の気は帰。
ゆえに善く兵を用うる者は、その鋭気を避けてその惰
帰(だき)を撃つ。
これ気を治むる者なり。
治をもって乱を待ち、静をもって譁(か)を待つ。
これ心を治むる者なり。
近きをもって遠きを待ち、佚(いつ)をもって労を待ち、
飽(ほう)をもって饑(き)を待つ。
これ力を治むる者なり。
正々の旗を邀(むか)うることなく、堂々の陳(じん)を撃
つことなし。
これ変を治むるものなり。

故三軍可奪氣、將軍可奪心
是故朝氣鋭、晝氣惰、暮氣歸
故善用兵者、避其鋭氣、撃其惰歸
此治氣者也
以治待亂、以靜待譁
此治心者也
以近待遠、以佚待勞、以飽待饑
此治力者也
無邀正正之旗、勿撃堂堂之陳
此治變者也