2011年12月15日木曜日

行軍篇・人心掌握術

_戦争は多いことが優れているのではない。
 ただ勇ましく攻撃するのではなく、力を集中して敵のもとに
なるもの(指導者や隊長)に対応できるなら、兵士は精鋭だ
けにすればいい。
 ただし、深く考えもせずに、敵を占っただけのような者は、
必ず敵の兵士に生け捕られる。
 兵士たちがまだ信頼していないのに罰を与えれば、従うは
ずがない。
 従わないのだから役に立てることは難しい。
 兵士たちがすでに信頼しているのに罰を与えなければ、こ
れも役に立てることができない。
 だから、命令する時は書状にして、公正を保つには武功に
むくいることだ。
 これで必ず掌握したと言える。
 命令が、地位の高い者にまで徹底されて、それを民衆の手
本にすれば、民衆は従うようになる。
 命令が、地位の高い者には徹底されていないのに、それが
民衆の手本となれば、民衆が従うわけがない。
 命令を地位の高い者にも徹底させる者は、民衆の信頼を
得ることができる。

※織田信長には、うつけ者といった粗暴なイメージがある一
方で、家臣に慕われるカリスマのイメージもある。
 以前にも触れたが、信長自信が命令を聞くタイプではない
ので、家臣を命令に従わせるというのは矛盾がある。
 信長がまず最初にしたのが、豊臣秀吉のような身分の低い
者を家臣にして、手柄をたてれば差別なく褒美を与え出世さ
せることだ。
 身分制度を根底からくつがえしたことで、民衆は支持し、期
待をする。
 身分に関係なく優秀な人材も集まってくる。
 その反面、明智光秀のような身分が高く優秀な者でも失敗
すれば容赦なく罰した。
 光秀のような者でも罰せられるとなれば、末端の兵卒や民
衆は気持ちをひきしめざるおえない。
 その上で、「天下布武」という目標をかかげたことで、命令
をしなくても、全体が目標に向かって集中する。
 信長が本能寺で、光秀に討ち取られることになったのも、
家臣が命令にしばられることがなく、自分で判断し、行動す
ることができたからだろう。
 通説では光秀は、信長の理不尽な叱責に怒りをまして、本
能寺の変を起こしたといわれているが、光秀はあまんじて怒
られ役を引き受けていたのではないだろうか。
 優秀な光秀なら自分が怒られることで、信長の統率に役立
つことは分かるはずだし、怒られている間は、信長を独り占
めしたような優越感もあったのではないかと思う。
 秀吉もよく怒られるようなことをやって信長の注目を集めよ
うとしていたふしがあるからだ。
 光秀は通説とは違う、何かの理由で発作的に信長を殺害
して、その後に光秀の部隊が動いたのではないだろうか。
 少なくとも信長の人心掌握術が間違っていたとは思えない。


兵は多きを益とするにあらざるなり。
ただ武進することなく、もって力を併(あわ)せて敵を料(はか)
るに足らば、人を取らんのみ。
それただ慮(おもんぱか)りなくして敵を易(あなど)る者は、
必ず人に擒(とりこ)にせらる。
卒、いまだ親附せざるにしかもこれを罰すれば、すなわち服
せず。
服せざればすなわち用い難きなり。
卒、すでに親附せるにしかも罰行なわれざれば、すなわち用
うべからざるなり。
ゆえにこれに令するに文をもってし、これを斉(ととの)うるに
武をもってす。
これを必取と謂う。
令、素(もと)より行なわれて、もってその民を教うれば、すな
わち民、服す。
令、素より行なわれずして、もってその民を教うれば、すなわ
ち民、服せず。
令、素より行なわるる者は、衆と相得るなり。

兵非益多也
惟無武進、足以併力料敵、取人而已
夫惟無慮而易敵者、必擒於人
卒未親附而罰之、則不服
不服則難用也
卒已親附而罰不行、則不可用也
故令之以文、齊之以武
是謂必取
令素行以教其民、則民服
令不素行以教其民、則民不服
令素行者、與衆相得也