2011年12月15日木曜日

地形篇・指導者の限界

_戦争には、「走」「弛(し)」「陥(かん)」「崩」「乱」「北」という
ものがある。
 だいたいこの六つは、自然の災いではなく、将軍の過失で
ある。
 勢力が拮抗している時に、一割で全体を攻撃するのを
「走」という。
 兵士たちが強くて、部隊長が弱いのを「弛」という。
 部隊長が強くて、兵士たちが弱いのを「陥」という。
 軍団長が怒りにまかせて命令にそむき、敵に遭遇すると
恨みで自分が率先して戦い、将軍がそうした性格を知らな
いのを「崩」という。
 将軍が弱くて厳しさがなく、教え導くことが下手で、隊長以
下が落ち着かず、戦争をする時もバラバラに散らばるのを
「乱」という。
 将軍が敵の計略を見破れず、少数部隊が大軍に遭遇し
たり、弱い部隊で強い部隊を攻撃したり、戦争で精鋭にな
る者を選び出すことができないのを「北」という。
 この六つは敗北をたどることになる。
 将軍の当たり前の務めだから、検討するべきことだ。

※そもそもこんな者を将軍に選んだのが間違いだろう。
 どんなに優秀な将軍でも、一人の能力には限界がある。
それを任せっきりにすることがやがて腐敗をまねく。
 ここにある六つのことは「水のような軍隊」なら悪いことで
はなくむしろ良いことだ。
 それには農耕民族と遊牧民族の違いを理解しないといけ
ない。
 農耕民族のコミュニケーションは、一人の指導者が意見
を言い、その他大勢はその意見に従うだけだ。
 遊牧民族のコミュニケーションは、誰もが意見をもち、そ
の意見を持ちよって議論をして結論を導く。
 この違いは言語でもよく分かる。
 日本語では、誰という主語がない文章が多いが、英語で
は、誰という主語がやたらと出てくる。
 日本語は一対一の会話か、誰か一人が喋り、その他大
勢は聞くだけで、英語は大勢が一斉に喋るという文化の違
いだろう。
 この2つのコミュニケーションには、どちらも一つの考えに
まとめようとする欠点がある。
 一つの考えにまとめると、その考えが間違っていたら次が
ないお役所仕事のようになる。また、多様性がなく未知のこ
とに対応できない。
 一つの考えにまとめる必要はなく、大勢が提案をして、そ
の提案の優先順位を決めて、すべての提案を生かせば、
遠回りのようだが、必ず良い結果を導き出すことができる。
 「水のような軍隊」も誰かに命令されるのではなく、一人一
人が意見をもちより、その優先順位を決めて、目標を目指
して、多様な行動をすれば、将軍や隊長などは必要なく実
現でき、未知のことにも対応できる。
 大津波でも逃げるという発想だけではなく、その場に留ま
るとう発想もすることで、生き残る可能性は高くなる。実際、
東日本大震災では、自宅に留まったことで助かった人たち
もいる。
 ところで、なぜこんなことが地形篇に書かれているのか疑
問だ。


ゆえに兵には、走なるものあり、弛(し)なるものあり、陥(か
ん)なるものあり、崩なるものあり、乱なるものあり、北なる
ものあり。
およそこの六者は、天地の災いにあらず、将の過ちなり。
それ勢い均しきとき、一をもって十を撃つを走という。
卒、強くして吏(り)、弱きを弛という。
吏、強くして卒、弱きを陥という。
大吏(だいり)、怒りて服さず、敵に遇えばウラミてみずか
ら戦い、将はその能を知らざるを崩という。
将、弱くして厳ならず、教道も明かならずして、吏卒(りそつ)
常なく、兵を陳(つら)ぬること縦横なるを乱という。
将、敵を料(はか)ることあたわず、小をもって衆に合い、弱
をもって強を撃ち、兵に選鋒(せんぽう)なきを北という。
およそこの六者は敗の道なり。
将の至任にして、察せざるべからず。

故兵有走者、有弛者、有陷者、有崩者、有亂者、有北者
凡此六者、非天之災、將之過也
夫勢均、以一撃十曰走
吏強吏弱曰弛
吏強吏弱曰陷
大吏怒而不服、遇敵ウラミ而自戰、将不知其能、曰崩
將弱不嚴、教道不明、吏卒無常、陳兵縱横、曰亂
將不能料敵、以少合衆、以弱撃強、兵無選鋒、曰北
凡此六者、敗之道也
將之至任、不可不察也