2011年11月26日土曜日

軍争篇・合図の道具

_他民族間との連合軍では、言葉で言い合っても通じな
いので、カネや太鼓でおこなう。また、しぐさでも、お互い
に気づかないので、旗でおこなう。
 カネや太鼓、旗は人の意思疎通を共通にするものだ。
 人の目標が一つに絞られれば、勇者だけで進むこと
はなくなり、おびえる者だけで退くこともなくなる。
 これが民衆の力を引き出す方法だ。
 だから、夜間の戦いではタイマツや太鼓を多用し、昼間
の戦いでは旗を多用するのは、人の意思を変えようとし
ているのだ。

※中国は多民族国家だから、言葉やしぐさなどが違うの
で、共通の合図としてカネや太鼓、旗を使う。
 問題はこれでどういう合図をするかだ。
 普通は味方の軍隊の行動を指示するとされるが、これ
では暗号のような合図にしても敵に行動が知られてしま
う。逆に、敵が孫子を間違って解釈してくれていれば、簡
単に行動が分かる。
 合図を出すとしたら敵の将軍などの目標の位置を知ら
せるのが有効だろう。だだし、これがバレると合図を出し
ている者が攻撃されてしまう。
 第二次世界大戦時、日本は自分たちの行動を暗号を
使って伝えていた。それはすべて、アメリカに傍受され、
行動が手にとるように把握されていた。
 もし、自分たちの行動ではなく、アメリカ軍の行動を伝
えていたら、アメリカは自分たちの行動が知られているこ
とに、脅威を感じただろう。
 アメリカの映画では兵士が目標物にレーザー光線を当
て、そこを戦闘機で攻撃するといった作戦があるので、
使う物が様変わりしている。
 カネや太鼓、旗の別の使い方としては、兵数を多く感じ
させたり、撤退するように見せかけ、伏兵で攻撃すると
いった、かく乱に使える。
 ナチスは勇ましい軍歌と大量の旗を利用して民衆を煽
動した。
 特に夜間はタイマツ行列をおこない、昼間は大量の旗
を使っての行進をおこなった。これは祭りでも同様だ。
 敵だけではなく、味方もかく乱することができるので、騙
されないように注意する必要がある。


軍政に曰く、言うともあい聞えず、ゆえに金鼓を為(つく)
る。視(しめ)すともあい見えず、ゆえに旌旗(せいき)を
為る、と。
それ金鼓・旌旗は人の耳目を一にするゆえんなり。
人すでに専一なれば、すなわち勇者もひとり進むことを
得ず、怯者(きょうじゃ)もひとり退くことを得ず。
これ衆を用うるの法なり。
ゆえに夜戦に火鼓(かこ)多く、昼戦に旌旗多きは、人
の耳目を変うるゆえんなり。

軍政曰、言不相聞、故爲金鼓、視不相見、故爲旌旗
夫金鼓旌旗者、所以一人之耳目也
人既專一、則勇者不得獨進、怯者不得獨退
此用衆之法也
故夜戰多火鼓、晝戰多旌旗、所以變人之耳目也

2011年11月19日土曜日

軍争篇・郷に入る

_だから共に戦う味方(他国など)の計画を尊重しない
者は、一緒に行動することはできない。
 地形の利用方法を理解できない者は、軍を有利に行
動させることができない。
 土地勘のある者を利用できなければ、地元(民衆)の
理解は得られない。
 そこで、戦争は計画の検討から始まり、有利であれば
行動し、共に戦う味方とつかず離れず変化に対応する
ことだ。
 そうするには、風邪のように流行を伝染させ、林靄
(リンアイ。林にたちこめるもや)のように思想を徐々に
浸透させ、火事のようにいたるところで民衆蜂起させ、
山里のように定住し、陰影のようにでしゃばらず、雷が
振動させるように短期間に実行する。
 民衆の団結が強い領地を懐柔するには、民衆を細
分化し、過疎地を発展させるには、利益を分配し、利
権があることを示して誘えば動く。
 その時々に応じた迂直の計を理解している者が勝
利する。
 これが、軍同士の利権争いのやり方だ。

※たとえ、敵国の領地を奪ったとしてもその領地の民
衆が受け入れなければ、いずれ領地を手放すことにな
る。
 同盟国と領地を分配するにしても良い地域が手に入
るとは限らない。
 それを有利にする方法をこの文章は説明しているの
であって、武田信玄で有名な「風林火山」の軍事行動と
解釈しては間違ってしまう。
 武田信玄は戦上手だったかもしれないが、目的はな
にも達成していない。敵の上杉謙信から塩を送られる
ようでは、無様としかいいようがない。
 間違った孫子の解釈の典型といっていいだろう。
 企業が未開拓の地域に進出する場合、他の地域で
流行していることなどを宣伝して注目させる。そのうえ
で試供品などを配布して、口コミなどを徐々に増やして
理解させる。
 要求が高まったところで、本格的に進出して、一気に
広める。ただし、流行はすぐに去るので、定番になるよ
うに質の低下やトラブルにならないように配慮する。
 まるで昔からそこにあるように馴染み深くする。そして
時々、イベントなどで注目を維持する。
 新しいものは拒否反応が強い、そこで民衆の性格な
どをタイプ別に細分化してターゲットを絞る。また、その
地域にすでにある企業などに製造委託して、自分たち
が直接、乗り込んでいかない。こうすることで、その地
域に利権があることを示せば、スムーズに受け入れら
れる。
 ようするに地産地消で、これを実践しているのがコカ・
コーラだ。
 だからコカ・コーラはどこの国でも、その国の産品にな
る。
 日本人はアメリカで流行っていると言えば、すぐに受
け入れる。また、何とか賞受賞と言えば、それが権威
がなくても良い物だと錯覚する。これほど飼い慣らしや
すい民族は他にはいないだろう。


ゆえに諸候の謀を知らざる者は、予め交わることあた
わず。
山林・険阻・沮沢(そたく)の形を知らざる者は、軍を行
(や)ることあたわず。
郷導を用いざる者は、地の利を得ることあたわず。
ゆえに兵は詐をもって立ち、利をもって動き、分合を
もって変をなすものなり。
ゆえにその疾きこと風のごとく、その徐(しず)かなるこ
と林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動か
ざること山のごとく、知り難きこと陰のごとく、動くこと雷
震のごとし。
郷を掠(かす)むるには衆を分かち、地を廓(ひろ)むる
には利を分かち、権を懸けて動く。
迂直の計を先知(せんち)する者は勝つ。
これ軍争の法なり。

故不知諸侯之謀者、不能豫交
不知山林險阻沮澤之形者、不能行軍
不用郷導者、不能得地利
故兵以詐立、以利動、以分合爲變者也
故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、
難知如陰、動如雷震
掠郷分衆、廓地分利、懸權而動
先知迂直之計者勝
此軍爭之法也

2011年11月12日土曜日

軍争篇・遠征の難しさ

_だから軍同士の利権争いは、利益にもなるが、危険
をともなう。
 軍が目的を忘れて利益を争えば、目的達成はできず、
軍の役割を忘れて利益を争えば、軍需品を載せた荷
車が置き去りにされる。
 だから戦争をそっちのけで進み、昼夜の警戒をおこ
たり、工程を倍の速さで行い、大遠征して利益を争うと、
指導者全員が捕らえられる。
 強い者は先に行き、疲れた者は遅れては、その使え
る手段が十のうち一つしかなくなる。
 中遠征して利益を争うと、重要な指導者が倒される。
その使える手段は半分しかなくなる。
 小遠征して利益を争うと、使える手段は三分の二し
かない。
 そもそも軍に軍需品を載せた荷車がなければ敗れ
るし、兵糧がなければ敗れるし、蓄えがなければ敗れ
る。

※先に「戦争の陣形は水のようにするのが理想で、一
人一人が自由に行動する。ただし、目標(目的)があり、
複数の目標がある場合は優先順位があり、人の行動
をみて自分の行動を変える響応することが大事」と書
いた。
 この文章では、響応がないので、失敗するのであって
規律が大事だと解釈するのは間違いだ。
 他国と連合して敵を攻撃する場合、自分たちは水の
ようにしても、他国は規律を重要と考え、厳しく統率し
ているかもしれない。
 だからといって他国に自分たちの考えを押しつけるの
は無理があるし、できたとしても他国を強くしてしまう可
能性がある。
 こうした場合は、他国の行動に合わせ、他国が目先
の利益に飛びつくようにしむければ、簡単な支援だけ
ですんだり、漁夫の利が得られるかもしれない。
 三国志の「赤壁の戦い」は、魏の軍門に下りそうになっ
た呉に、蜀の諸葛孔明が乗り込み、説得して魏と戦わ
せ、魏に大損害を負わせた。
 勝利した呉にしても、それで勢力が大きくなったわけ
ではなく、弱小の蜀が安泰になるチャンスを得て、三国
が拮抗した。
 モンゴルのチンギス・ハーン(ジンギスカン)は、ユーラ
シア大陸の大半を支配したが、当然、大遠征をすること
になる。
 モンゴル民族は遊牧民族なので、生活そのものが移
動するのに順応していた。そして、他民族との交流も活
発にして、征服した国の風習などは尊重して取り入れた
りもするので、ますます強くなっていった。
 遊牧民族は農耕民族とは違い、基本は単独行動なの
で、規律は必要ない。
 必要なのは、コミュニケーション能力と暗黙のルール
という響応で、常に他の人たちの行動をみて、自分の
行動を決定する。そのため情報収集は欠かせない。
 農耕民族は、支配者の言いなりに行動するので、支
配者が悪ければ(善い支配者は存在しないが)全員が
共倒れとなる。だから遠征するのは難しいのだ。
 現在の日本は農耕民族の集団体制で行き詰まり、政
治腐敗が極まっている。これは当然の成り行きで、家庭
の崩壊、孤立した生活などが弊害のようにいわれてい
るが、ネットなどを活用すれば、個人の意見が発信でき、
協力ではなく響応する遊牧民族的体制にするいいチャ
ンスが訪れていると考えたほうがいい。


ゆえに軍争は利たり、軍争は危たり。
軍を挙げて利を争えばすなわち及ばず、軍を委(す)て
て利を争えばすなわち輜重(しちょう)捐(す)てらる。
このゆえに甲を巻きて趨(はし)り、曰夜処(お)らず、
道を倍して兼行し、百里にして利を争うときは、すなわ
ち三将軍を擒(とりこ)にせらる。
勁(つよ)き者は先だち、疲るる者は後(おく)れ、その
法、十にして一至(いた)る。
五十里にして利を争うときは、すなわち上将軍を蹶(た
お)す。
その法、半(なか)ば至る。
三十里にして利を争うときは、すなわち三分の二至る。
このゆえに軍に輜重なければすなわち亡び、糧食なけ
ればすなわち亡び、委積(いし)なければすなわち亡ぶ。

故軍爭爲利、軍爭爲危
舉軍而爭利、則不及、委軍而爭利、則輜重捐、
是故卷甲而趨、日夜不處、倍道兼行、百里而爭利、
則擒三將軍
勁者先、疲者後、其法十一而至
五十里而爭利、則蹶上將軍
其法半至
三十里而爭利、則三分之二至
是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡

2011年11月5日土曜日

軍争篇・迂直の計

 戦争をする手順は、将軍が君主から命令を受け、軍に
よる合議をして、民衆の賛同を集め、心を一つにして生
きたいと思う心を捨てることで、軍同士の利権争いほど
難しいものはない。
 軍同士の利権争いの難しさは、曲がっているものを真
直ぐだと思わせ、災いを利益にみせかけるようなものだ。
 だから、相手の行く道を曲げて遅らせ、相手を誘うの
に利益にみせかけた災いを使い、人の行動をみて、人
よりも先頭を行く。
 これが迂直の計を会得した者の知恵だ。

※軍争というのは、敵と戦うというより、利権を奪い合う
と解釈したほうが分かりやすい。
 もちろん敵とも利権を奪い合うのだが、味方どうしでも
手柄を奪い合ったり、領地や地位を奪い合ったりする。
 味方が全体として勝利することは大事だが、そのため
に自分が犠牲になったのでは意味がない。
 特攻や自爆テロは愚か者の発想だ。
 例えば、他国と連合して敵を攻撃した場合、勝った後
に、領地などをどちらがどれだけ得るのかで、必ず争い
になる。
 こうしたことを防ぐには、戦う前に、身の安全と主導権
を確保しておかなければならない。
 自分はあえて面倒な仕事を請け負い、相手には手柄
が得られそうな仕事を譲る。そうすれば、自分は後方支
援で、相手は最前線で戦うということもある。
 インドのガンジーは、自分が率先して無抵抗不服従の
行動をすることで、民衆を煽動し、武器を持たない集団
にして、軍隊に立ち向かわせた。
 商人が武器と軍資金を提供するだけで、命拾いしてい
るのも迂直の計といえるだろう。
 迂直の計を一般の解釈では「遠回りをしているように
みせかけて、敵よりも速く目的地に行く」としているが、
敵がそのことを不自然と感じたら失敗に終わる。そもそ
も、目的地までの最短距離は、敵でも調べればすぐに
分かることだ。また、自分たちがすばやく行動する必要
があり、疲労する。
 このことは次回の文章でも警告している。
 それより、敵の通る道をわざと遮断して、迂回させる
ほうが無理がない。
 これと同じ発想が豊臣秀吉の「中国大返し」で、織田
信長を殺した明智光秀は、秀吉が安芸の毛利輝元と
戦っていると安心して、戦う準備をしていなかった。とこ
ろが、秀吉は、すでに戻って来ていて、万全の態勢を整
えていた。
 これは秀吉の行動が異常に速かったのではなく、光秀
の行動を遅らせたと解釈したほうがいい。
 秀吉は最初から本能寺の変が起きることを予測してい
たか、自分で工作していたと考えるほうが自然だ。
 ところで「ウサギと亀」の話は、たんに足の速さと考える
より、寿命と考えたほうがいいのではないだろうか。
 ウサギはいくら足が速くても寿命が短く、寿命が長い亀
がゆっくり歩いても、生涯で比べれば亀のほうが長距離
移動できるのではないだろうか。
 織田信長が武田信玄や上杉謙信とあえて戦わなかっ
たのも寿命を計算していたからだろう。
 これも迂直の計といえる。


孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、将、命を君より受け、
軍を合し衆を聚(あつ)め、和を交えて舎(とど)まるに、
軍争より難(かた)きはなし。
軍争の難きは、迂(う)をもって直となし、患をもって利と
なす。
ゆえにその途(みち)を迂にして、これを誘うに利をもって
し、人に後(おく)れて発し、人に先んじて至る。
これ迂直の計を知る者なり。

孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、
交和而舍、莫難於軍爭
軍爭之難者、以迂爲直、以患爲利
故迂其途、而誘之以利、後人發、先人至
此知迂直之計者也