2011年12月15日木曜日

地形篇・教育方法

_兵士たちとの接し方を乳飲み子のようにする。すると一緒
に深い谷にも向かうことができるようになる。
 兵士たちとの接し方を愛する我が子のようにする。すると
一緒に死んでもかまわないと思うようになる。
 厚遇しても役に立てることができず、愛しても指示すること
ができず、反抗を抑えることができなければ、例えば、なつ
いていない子のようなもので、扱うことができない。
 
 自分の兵士たちが攻撃する時を知っていても、敵を攻撃す
る時ではないことを知らなければ、勝てる可能性は半分しか
ない。
 敵を攻撃する時を知っていても、自分の兵士たちが攻撃す
る時ではないことを知らなければ、勝てる可能性は半分しか
ない。
 敵を攻撃する時を知っていて、自分の兵士たちが攻撃する
時を知っていても、地形が戦うことができないことを知らなけ
れば、勝てる可能性は半分しかない。
 だから、戦争を理解している者は、動く時には迷いがなく、
攻めても行き詰ることがない。
 ようするに、相手を知り、自分を知れば勝利する。だから、
危険にさらされることがない。
 自然を知り、地形を知れば勝利する。だから、行き詰らな
い。

※乳飲み子は、泣くことだけですべてを表現する。それを親
は察して、乳を与えたり、おしめを替えたり、病気ではないか
と調べたりする。その親の苦労に対して、乳飲み子は笑顔で
応える。
 ただ泣いているだけとしか感じない親では、まともに育つわ
けがない。
 子供は親の愛情を試す。
 何度も質問したり、反抗したり、逃げたりする。それを受け
入れる寛容さが親にあれば、子供は親に従い、しがみつい
て離れない。
 最近の親は、ただなつかないといって殺してしまう。
 その親も義務教育を受けて育ったはずだ。
 これらは、義務教育の名のもとに子供を親から引き離し、
知識を詰め込むだけの洗脳をして、人を育てるということを
身につける機会を奪っているからだ。
 義務教育をした結果、世の中が良くなったのか?
 今では、義務教育どころか大学を卒業した人も増えている。
それでこの程度の世の中にしかできないのは、欠陥教育とし
か言えない。
 親も自分が義務教育を受けて、その程度の親にしかならな
かったのに、子供に義務教育を薦めるというのは理解できな
い。
 義務教育はやめて、親に教育費を支給し、多様な教育機会
を増やすほうが世の中のためになる。
 ところで、私は子どもの頃、犬に噛まれたらしいのだが、そ
の記憶はまったくない。だが、母親が犬の話になると必ず「お
前は犬に噛まれたことがある」と何度も繰り返し言っていた。
 その結果、私はトラウマになり、噛まれた感覚もないのに犬
嫌いになった。
 どうせなら「お前は、子供の頃から賢かった」とか「お前は、
子供の頃は、よく本を読んでいた」といったことを繰り返し言っ
てくれていたら、もっとましな人間になっていただろう。
 人の言葉には、これだけの力があることを忘れてはならな
い。


卒を視ること嬰児(えいじ)のごとし、ゆえにこれと深谿(しん
けい)に赴くべし。
卒を視ること愛子のごとし、ゆえにこれと倶(とも)に死すべし。
厚くして使うことあたわず、愛して令することあたわず、乱れ
て治むることあたわざれば、譬(たと)えば驕子(きょうし)の
ごとく、用うべからざるなり。

わが卒のもって撃つべきを知るも、敵の撃つべからざるを知
らざるは、勝の半(なか)ばなり。
敵の撃つべきを知るも、わが卒のもって撃つべからざるを知
らざるは、勝の半ばなり。
敵の撃つべきを知り、わが卒のもって撃つべきを知るも、地
形のもって戦うべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。
ゆえに兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。
ゆえに曰く、彼を知り己を知れば、勝、すなわち殆(あや)うか
らず。
天を知り地を知れば、勝、すなわち窮(きわ)まらず。

視卒如嬰兒、故可與之赴深谿
視卒如愛子、故可與之倶死
厚而不能使、愛而不能令、亂而不能治、譬若驕子、
不可用也

知吾卒之可以撃、而不知敵之不可撃、勝之半也
知敵之可撃、而不知吾卒之不可以撃、勝之半也
知敵之可撃、知吾卒之可以撃、而不知地形之不可以戰、
勝之半也
故知兵者、動而不迷、舉而不窮
故曰、知彼知己、勝乃不殆
知天知地、勝乃不窮