2011年11月5日土曜日

軍争篇・迂直の計

 戦争をする手順は、将軍が君主から命令を受け、軍に
よる合議をして、民衆の賛同を集め、心を一つにして生
きたいと思う心を捨てることで、軍同士の利権争いほど
難しいものはない。
 軍同士の利権争いの難しさは、曲がっているものを真
直ぐだと思わせ、災いを利益にみせかけるようなものだ。
 だから、相手の行く道を曲げて遅らせ、相手を誘うの
に利益にみせかけた災いを使い、人の行動をみて、人
よりも先頭を行く。
 これが迂直の計を会得した者の知恵だ。

※軍争というのは、敵と戦うというより、利権を奪い合う
と解釈したほうが分かりやすい。
 もちろん敵とも利権を奪い合うのだが、味方どうしでも
手柄を奪い合ったり、領地や地位を奪い合ったりする。
 味方が全体として勝利することは大事だが、そのため
に自分が犠牲になったのでは意味がない。
 特攻や自爆テロは愚か者の発想だ。
 例えば、他国と連合して敵を攻撃した場合、勝った後
に、領地などをどちらがどれだけ得るのかで、必ず争い
になる。
 こうしたことを防ぐには、戦う前に、身の安全と主導権
を確保しておかなければならない。
 自分はあえて面倒な仕事を請け負い、相手には手柄
が得られそうな仕事を譲る。そうすれば、自分は後方支
援で、相手は最前線で戦うということもある。
 インドのガンジーは、自分が率先して無抵抗不服従の
行動をすることで、民衆を煽動し、武器を持たない集団
にして、軍隊に立ち向かわせた。
 商人が武器と軍資金を提供するだけで、命拾いしてい
るのも迂直の計といえるだろう。
 迂直の計を一般の解釈では「遠回りをしているように
みせかけて、敵よりも速く目的地に行く」としているが、
敵がそのことを不自然と感じたら失敗に終わる。そもそ
も、目的地までの最短距離は、敵でも調べればすぐに
分かることだ。また、自分たちがすばやく行動する必要
があり、疲労する。
 このことは次回の文章でも警告している。
 それより、敵の通る道をわざと遮断して、迂回させる
ほうが無理がない。
 これと同じ発想が豊臣秀吉の「中国大返し」で、織田
信長を殺した明智光秀は、秀吉が安芸の毛利輝元と
戦っていると安心して、戦う準備をしていなかった。とこ
ろが、秀吉は、すでに戻って来ていて、万全の態勢を整
えていた。
 これは秀吉の行動が異常に速かったのではなく、光秀
の行動を遅らせたと解釈したほうがいい。
 秀吉は最初から本能寺の変が起きることを予測してい
たか、自分で工作していたと考えるほうが自然だ。
 ところで「ウサギと亀」の話は、たんに足の速さと考える
より、寿命と考えたほうがいいのではないだろうか。
 ウサギはいくら足が速くても寿命が短く、寿命が長い亀
がゆっくり歩いても、生涯で比べれば亀のほうが長距離
移動できるのではないだろうか。
 織田信長が武田信玄や上杉謙信とあえて戦わなかっ
たのも寿命を計算していたからだろう。
 これも迂直の計といえる。


孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、将、命を君より受け、
軍を合し衆を聚(あつ)め、和を交えて舎(とど)まるに、
軍争より難(かた)きはなし。
軍争の難きは、迂(う)をもって直となし、患をもって利と
なす。
ゆえにその途(みち)を迂にして、これを誘うに利をもって
し、人に後(おく)れて発し、人に先んじて至る。
これ迂直の計を知る者なり。

孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、
交和而舍、莫難於軍爭
軍爭之難者、以迂爲直、以患爲利
故迂其途、而誘之以利、後人發、先人至
此知迂直之計者也