2011年11月12日土曜日

軍争篇・遠征の難しさ

_だから軍同士の利権争いは、利益にもなるが、危険
をともなう。
 軍が目的を忘れて利益を争えば、目的達成はできず、
軍の役割を忘れて利益を争えば、軍需品を載せた荷
車が置き去りにされる。
 だから戦争をそっちのけで進み、昼夜の警戒をおこ
たり、工程を倍の速さで行い、大遠征して利益を争うと、
指導者全員が捕らえられる。
 強い者は先に行き、疲れた者は遅れては、その使え
る手段が十のうち一つしかなくなる。
 中遠征して利益を争うと、重要な指導者が倒される。
その使える手段は半分しかなくなる。
 小遠征して利益を争うと、使える手段は三分の二し
かない。
 そもそも軍に軍需品を載せた荷車がなければ敗れ
るし、兵糧がなければ敗れるし、蓄えがなければ敗れ
る。

※先に「戦争の陣形は水のようにするのが理想で、一
人一人が自由に行動する。ただし、目標(目的)があり、
複数の目標がある場合は優先順位があり、人の行動
をみて自分の行動を変える響応することが大事」と書
いた。
 この文章では、響応がないので、失敗するのであって
規律が大事だと解釈するのは間違いだ。
 他国と連合して敵を攻撃する場合、自分たちは水の
ようにしても、他国は規律を重要と考え、厳しく統率し
ているかもしれない。
 だからといって他国に自分たちの考えを押しつけるの
は無理があるし、できたとしても他国を強くしてしまう可
能性がある。
 こうした場合は、他国の行動に合わせ、他国が目先
の利益に飛びつくようにしむければ、簡単な支援だけ
ですんだり、漁夫の利が得られるかもしれない。
 三国志の「赤壁の戦い」は、魏の軍門に下りそうになっ
た呉に、蜀の諸葛孔明が乗り込み、説得して魏と戦わ
せ、魏に大損害を負わせた。
 勝利した呉にしても、それで勢力が大きくなったわけ
ではなく、弱小の蜀が安泰になるチャンスを得て、三国
が拮抗した。
 モンゴルのチンギス・ハーン(ジンギスカン)は、ユーラ
シア大陸の大半を支配したが、当然、大遠征をすること
になる。
 モンゴル民族は遊牧民族なので、生活そのものが移
動するのに順応していた。そして、他民族との交流も活
発にして、征服した国の風習などは尊重して取り入れた
りもするので、ますます強くなっていった。
 遊牧民族は農耕民族とは違い、基本は単独行動なの
で、規律は必要ない。
 必要なのは、コミュニケーション能力と暗黙のルール
という響応で、常に他の人たちの行動をみて、自分の
行動を決定する。そのため情報収集は欠かせない。
 農耕民族は、支配者の言いなりに行動するので、支
配者が悪ければ(善い支配者は存在しないが)全員が
共倒れとなる。だから遠征するのは難しいのだ。
 現在の日本は農耕民族の集団体制で行き詰まり、政
治腐敗が極まっている。これは当然の成り行きで、家庭
の崩壊、孤立した生活などが弊害のようにいわれてい
るが、ネットなどを活用すれば、個人の意見が発信でき、
協力ではなく響応する遊牧民族的体制にするいいチャ
ンスが訪れていると考えたほうがいい。


ゆえに軍争は利たり、軍争は危たり。
軍を挙げて利を争えばすなわち及ばず、軍を委(す)て
て利を争えばすなわち輜重(しちょう)捐(す)てらる。
このゆえに甲を巻きて趨(はし)り、曰夜処(お)らず、
道を倍して兼行し、百里にして利を争うときは、すなわ
ち三将軍を擒(とりこ)にせらる。
勁(つよ)き者は先だち、疲るる者は後(おく)れ、その
法、十にして一至(いた)る。
五十里にして利を争うときは、すなわち上将軍を蹶(た
お)す。
その法、半(なか)ば至る。
三十里にして利を争うときは、すなわち三分の二至る。
このゆえに軍に輜重なければすなわち亡び、糧食なけ
ればすなわち亡び、委積(いし)なければすなわち亡ぶ。

故軍爭爲利、軍爭爲危
舉軍而爭利、則不及、委軍而爭利、則輜重捐、
是故卷甲而趨、日夜不處、倍道兼行、百里而爭利、
則擒三將軍
勁者先、疲者後、其法十一而至
五十里而爭利、則蹶上將軍
其法半至
三十里而爭利、則三分之二至
是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡