2011年10月29日土曜日

虚実篇・無形の水

 戦争の陣形をつきつめれば、陣形のない状態となる。
 陣形がなければ、間者が深く侵入しても何も分からな
いし、知恵者が作戦をたてることができない。
 陣形がないので、勝利したとしても、誰もそれを理解
できない。
 一人一人は勝利するために行動していることは知っ
ているが、それで勝利しても全体の陣形がないので、ど
のようにして勝ったのかは分からない。
 だから戦いに勝利しても次も同じやり方をすることは
なく、陣形をなくして対応する。

 ようするに戦争の陣形は水のようにするのだ。
 水は全体として高い所から低い所に向かおうとする。
 戦争の陣形がなければ、敵の全体と戦うのではなく、
目標の少数の人に向かう。
 水は地形によって、その水の流れを変え、戦争は敵
の行動によって勝利のしかたを変える。
 だから戦争は常に同じ態勢でいるということはなく、
水は常に同じ所に留まるということはない。
 いつも敵の行動により変化して勝利する者、これを
軍神というのだ。
 例えば、木火土金水の五行のどれかが常に勝つとい
うことがない、春夏秋冬の四時のどれかが常にとどまっ
ているということはない、日は夏と冬で長くなったり、短
くなったりするし、月には満ち欠けがある。

※ここで注意しなければいけないのは、水のように無形
の状態がいいのであって、氷のように固体になるとまっ
たく意味がない。
 水というのは、分子ひとつひとつが自由に動き回れる
状態で、氷は分子が結合して身動きできなくなった状態。
 氷は木や石と同じように彫刻されたり、人の自由に扱
われてしまう。
 大王製紙のような大会社でも、創業一族が会社を私物
化し、社員が間違いを正すこともできない氷の状態にな
る。
 ただし、水には何のルールもなく分子が好き勝手に動
いているというのではない。高いところから低いところへ
向かおうとする。また、器の形になろうとする目標(目的)
が決まっている。そして、五行、四時、日や月のように複
数の目標があれば、その優先順位によって目標を変え
ていく。
 人にあてはめれば、響応するのが水で、協力するのは
氷の状態だ。
 人の行動をみて自分の行動を変えるのが響応で、協
力しあうのは行動が制限されるため氷のようになる。
 以前に「単独行動」のところで記した織田信長の今川
義元1人を殺す2千人の暗殺者というのが水の状態で、
今川義元の規律の整った軍隊というのが氷の状態だ。
 今川義元を討ち取った武将が軍神ということになる。
 三国志の魏の曹操は、赤壁の戦いで、軍船に船酔い
をする兵士が多いので、軍船同士を鎖でつないで揺れ
をなくした。これは氷の状態で、呉に火攻めされ、あっけ
なく大敗した。
 このことから、曹操がすくなくともこの時点では孫子の
真髄を分かっていなかったのだろう。
 こう考えると、孫子を著した孫武の逸話として残ってい
る、「呉の国王の二人の姫を指揮官にして、女性たちだ
けの軍隊をつくる。ところが、指示をしても命令を聞かな
いので、二人の姫を殺した。すると女性たちは一糸乱
れず命令に従った」という話は疑わしい。
 これでは氷にしたのと同じだし、そもそも国王との間
に禍根が残る。
 水が理想というのなら、孫武はまず、女性たちに宝石
を見せて、「今からこれを放り投げる。それを拾った者
に与える」と言って、宝石を女性たちの中に投げ入れる。
 落ちた宝石の近くにいた一人の女性が拾い、よく見る
と本当に高価な宝石で、周りがどよめく。
 これを何度か繰り返すと、おしとやかにしていた女性
たちが次第に目の色を変えて奪い合うようになった。
 女性たちが熱中したところを見計らって孫武が、「こ
れが最後だ」と言って、周りで笑って見ていた将兵たち
の部隊の中に、残っていた宝石をすべて放り込んだ。
 将兵たちが「あっ」と思った瞬間には、女性たちが突
進して来ている。
 後から次々に来る女性たちが押すので、その力は倍
増する。
 武器を持った屈強な将兵たちが、武器も持たない女
性たちになぎ倒され、踏み潰されていく。
 これを見た国王は笑いだした。その国王に孫武は、
「あの女性たちの中に刺客がいれば、国王のお命はな
くなっていたことでしょう」と言った。
 このほうが孫武の逸話にふさわしいと思うのだが。


ゆえに兵を形(あらわ)すの極は、無形に至る。
無形なれば、すなわち深間も窺(うかが)うことあたわ
ず、智者も謀(はか)ることあたわず。
形に因(よ)りて勝を錯(お)くも、衆は知ることあたわず。
人みなわが勝つゆえんの形を知るも、わが勝を制する
ゆえんの形を知ることなし。
ゆえにその戦い勝つや復(くりかえ)さずして、形に無
窮(むきゅう)に応ず。

それ兵の形は水に象(かたど)る。
水の形は高きを避けて下きに趨(おもむ)く。
兵の形は実を避けて虚を撃つ。
水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝ちを制
す。
ゆえに兵に常勢なく、水に常形なし。
よく敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。
ゆえに五行に常勝なく、四時に常位なく、日に短長あり、
月に死生あり。

故形兵之極、至於無形
無形、則深間不能窺、智者不能謀
因形而錯勝於衆、衆不能知
人皆知我所以勝之形、而莫知吾所以制勝之形
故其戰勝不復、而應形於無窮

夫兵形象水
水之形、避高而趨下
兵之形、避實而撃虚
水因地而制流、兵因敵而制勝
故兵無常勢、水無常形
能因敵變化而取勝者、謂之神
故五行無常勝、四時無常位、日有短長、月有死生