2011年10月22日土曜日

虚実篇・条件を整える

 戦いに適した地で敵を不利な場所に誘える勝利の
可能性が高い地。大義名分が整い、全体の勢いが増
している時、遠方だとしても戦える。
 たんに戦いの地を知っていてもこうした条件が整わ
ず、戦いの勢いがない時、前後左右で収拾のつかな
い状態となる。
 もちろん遠くても近くてもそれは同じことだ。
 そう考えれば、越の兵数が多くても勝敗で有利とは
いえない。
 だから勝利は条件を整えた方にある。
 敵が多いといっても攻撃してくるとはかぎらない。
 そこで、ありとあらゆる策略を考え、それらの利得と
損失を計算し、優先順位を決めておく。行動する時の
大義名分と留まる時の大義名分を考え、それが整うよ
うに工作しておく。戦う地域の地図上や、よく似た場所
で模擬戦闘をおこない、不利な地や有利な地を把握し
ておく。武器商人や食糧業者などに成りすまして、敵と
接触し、軍備の過不足を調べておく。

※この文章で、一般的な解釈の「戦いの地を知り、戦
いの日を知れば、千里を遠征しても会戦できる」を実
行すれば、必ず負ける。
 そもそも攻撃する側は、攻撃目標や攻撃日を知って
いなければ武器や食糧の準備ができず、軍資金も計
算できない。
 知ってて当たり前であり、孫子には単純な解釈をす
ると自滅するような罠が多くみられる。
 おそらく孫武は、敵に孫子が読まれることを前提に
書いていると思われる。(あるいは、あえて読ませて、
敵がこの通りに実行すれば、裏をかいて勝つことがで
きる)
 この文章には、天の時、地の利はあるが人の和が抜
けている。
 現在、普及している孫子は、三国志にある、魏の曹
操が著わした「魏武帝註孫子」が元になっているとい
われている。
 当時の書は、木簡を使っていて、現在のように紙に
印刷して大量に配布するということはなかったが、それ
にしても曹操が敵に知られるようなことをするとは考え
られない。
 曹操が孫子を読んだ時、敵を陥れるのに使えると考
えたのではないだろうか?
 呉の孫権は、孫武の末裔を自称していたので、曹操
の思い通りに利用されている。ところが、蜀の諸葛孔
明は、孫子とは違う、独自の兵法を駆使して挑んでき
たので、曹操は苦戦する。
 結局、三つ巴になって中国統一はどこも果たせなかっ
た。しかし、本当の孫子を知っていた魏の軍師、司馬
仲達は、自分の孫が中国統一をする道筋を作ってい
る。 
 孫子というのは薬にもなれば毒にもなることを知って
おく必要がある。


ゆえに戦いの地を知り、戦いの日を知れば、すなわち
千里にして会戦すべし。
戦いの地を知らず、戦いの日を知らざれば、すなわち
左は右を救うことあたわず、右は左を救うことあたわ
ず、前は後を救うことあたわず、後は前を救うことあた
わず。
しかるをいわんや遠きは数十里、近きは数里なるをや。
われをもってこれを度(はか)るに、越人の兵は多しと
いえども、またなんぞ勝敗に益せんや。
ゆえに曰く、勝はなすべきなり。
敵は衆しといえども、闘うことなからしむべし。
ゆえにこれを策(はか)りて得失の計を知り、これを作
(おこ)して動静の理を知り、これを形(あらわ)して死
生の地を知り、これに角(ふ)れて有余不足のところを
知る。

故知戰之地、知戰之日、則可千里而會戰
不知戰地、不知戰日、則左不能救右、右不能救左、
前不能救後、後不能救前
而況遠者數十里、近者數里乎
以吾度之、越人之兵雖多、亦奚益於勝敗哉
故曰、勝可爲也
敵雖衆、可使無闘
故策之而知得失之計、作之而知動靜之理、
形之而知死生之地、角之而知有餘不足之處