そこで戦争に慣れた者は、勢いを得るために、人の言
動をとがめない。
だから最適な人を選んで、勢いを増すように煽動させる。
煽動する者は、人を戦いに駆り立てるために、動かな
い木や石が転がるのと同じように煽動していく。
木や石の性質は、安定した場所では静止し、不安定な
場所では動き、地面に接していればいずれ停止し、宙に
浮いていればいつまでも進んで行く。
だからうまく人を戦いに駆り立てた勢いは、宙に浮いた
石が険しい山でも転がって登るような勢いになる。
※弱者が強者に勝つためにはルール無用で挑まなけ
ればならない。そもそもルールは強者に有利なように作
られる。
戦争でルールを作ってもテロリストなどはそのルールを
無視するし、ルールが必要な戦争などしなければいい。
戦争とは人殺しが正当化される行為だ。
ナチスのヒトラーは、攻めようとする国に自国民を住ま
わせ、迫害されているように宣伝した。それを見た国民
は怒りを増し、愛国心に訴えることで、誰もが武器を持っ
て戦うようにしむけた。
カルト教団は、将来の不安を駆り立て、神を利用して
自分たちには超越した能力があるように錯覚させる。
一時的に勢いが増したとしても、それが身勝手なもの
なら、必ず自分に災いをもたらす。
ゆえに善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責(もと)め
ず。
ゆえによく人を択(す)てて勢に任ず。
勢に任ずる者は、その人を戦わしむるや、木石を転ずる
がごとし。
木石の性は、安なればすなわち静に、危なればすなわち
動き、方なればすなわち止まり、円なればすなわち行く。
ゆえに善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仞(せんじん)
の山に転ずるがごときは、勢なり。
故善戰者、求之於勢、不責於人
故能擇人而任勢
任勢者、其戰人也、如轉木石
木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行
故善戰人之勢、如轉圓石於千仞之山者、勢也
2011年9月17日土曜日
2011年9月10日土曜日
勢篇・勢いと時期
激しい水の速さが石を漂わすのは、勢いがあるからだ。
獲物を狙う鳥が疾風のごとく獲物を捕るのは、時期が
合っているからだ。
これと同じように戦争に慣れた者は、民衆に危機的な
状況を訴えて勢いとし、時期を見計らって一気に動く。
勢いは弓をひくように力をためなければならず、時期
は敵の変化をみて兆しを知る必要がある。
多数が入り乱れ、戦いが混乱しても目的を見失っては
いけない。
勝敗がつかず、こう着状態となっても気を緩めてはい
けない。
治まっているものでも乱れ、勇敢なものでも怯えるし、
強いものでも弱い部分がある。
治まったり乱れたりするのは謀略による。
勇敢になったり怯えたりするのは勢いの差による。
強くなったり弱くなるのは外見(体裁)による。
だから敵を動かすことができる者は、こちらが外見を
変化させることで、敵がそれに合わせて行動するように
し、こちらが予測しやすい行動をすれば敵は必ず隙をつ
いてくる。
有利だと思わせて動かし、伏兵で待っていればいい。
※ルアーを使った釣りをする場合、魚の種類や季節、天
候などによってルアーを選ぶ。そしてルアーを巧みに動
かして生きた餌のように見せかけて魚を誘い出し、釣針
にかかったタイミングを見て、ラインを一気に巻き上げる。
釣り上げるまでには、ラインを巻いたり、止めたり、出
したりといった魚との駆け引きがあり、魚を弱らせる。
目的の魚を釣りたいという根気と集中力がルアーを生
きた餌に見せかけることができ、竿の先やラインからくる
振動を感じてタイミングを知ることができる。
目的の魚のいる場所を知ることや餌をまいておびき寄
せることも大事だ。
激水の疾(はや)くして石を漂わすに至るは、勢なり。
鷙鳥(しちょう)の疾くして毀折(きせつ)に至るは、節なり。
このゆえに善く戦う者は、その勢は険にしてその節は短
なり。
勢は弩(ど)をひくがごとく、節は機を発するがごとし。
紛紛紜紜(ふんぷんうんうん)として闘い乱れて、乱すべ
からず。
渾渾沌沌(こんこんとんとん)として形、円(まる)くして、
敗るべからず。
乱は治に生じ、怯(きょう)は勇に生じ、弱は彊(きょう)に
生ず。
治乱は数なり。
勇怯(ゆうきょう)は勢なり。
彊弱(きょうじゃく)は形なり。
ゆえに善く敵を動かす者は、これに形すれば敵必ずこれ
に従い、これに予(あた)うれば、敵必ずこれを取る。
利をもってこれを動かし、卒をもってこれを待つ。
激水之疾、至於漂石者、勢也
鷙鳥之疾、至於毀折者、節也
是故善戰者、其勢險、其節短
勢如ヒク弩、節如發機
紛紛紜紜、闘亂而不可亂也
渾渾沌沌、形圓而不可敗也
亂生於治、怯生於勇、弱生於彊
治亂數也
勇怯勢也
彊弱形也
故善動敵者、形之、敵必從之、予之、敵必取之
以利動之、以卒待之
獲物を狙う鳥が疾風のごとく獲物を捕るのは、時期が
合っているからだ。
これと同じように戦争に慣れた者は、民衆に危機的な
状況を訴えて勢いとし、時期を見計らって一気に動く。
勢いは弓をひくように力をためなければならず、時期
は敵の変化をみて兆しを知る必要がある。
多数が入り乱れ、戦いが混乱しても目的を見失っては
いけない。
勝敗がつかず、こう着状態となっても気を緩めてはい
けない。
治まっているものでも乱れ、勇敢なものでも怯えるし、
強いものでも弱い部分がある。
治まったり乱れたりするのは謀略による。
勇敢になったり怯えたりするのは勢いの差による。
強くなったり弱くなるのは外見(体裁)による。
だから敵を動かすことができる者は、こちらが外見を
変化させることで、敵がそれに合わせて行動するように
し、こちらが予測しやすい行動をすれば敵は必ず隙をつ
いてくる。
有利だと思わせて動かし、伏兵で待っていればいい。
※ルアーを使った釣りをする場合、魚の種類や季節、天
候などによってルアーを選ぶ。そしてルアーを巧みに動
かして生きた餌のように見せかけて魚を誘い出し、釣針
にかかったタイミングを見て、ラインを一気に巻き上げる。
釣り上げるまでには、ラインを巻いたり、止めたり、出
したりといった魚との駆け引きがあり、魚を弱らせる。
目的の魚を釣りたいという根気と集中力がルアーを生
きた餌に見せかけることができ、竿の先やラインからくる
振動を感じてタイミングを知ることができる。
目的の魚のいる場所を知ることや餌をまいておびき寄
せることも大事だ。
激水の疾(はや)くして石を漂わすに至るは、勢なり。
鷙鳥(しちょう)の疾くして毀折(きせつ)に至るは、節なり。
このゆえに善く戦う者は、その勢は険にしてその節は短
なり。
勢は弩(ど)をひくがごとく、節は機を発するがごとし。
紛紛紜紜(ふんぷんうんうん)として闘い乱れて、乱すべ
からず。
渾渾沌沌(こんこんとんとん)として形、円(まる)くして、
敗るべからず。
乱は治に生じ、怯(きょう)は勇に生じ、弱は彊(きょう)に
生ず。
治乱は数なり。
勇怯(ゆうきょう)は勢なり。
彊弱(きょうじゃく)は形なり。
ゆえに善く敵を動かす者は、これに形すれば敵必ずこれ
に従い、これに予(あた)うれば、敵必ずこれを取る。
利をもってこれを動かし、卒をもってこれを待つ。
激水之疾、至於漂石者、勢也
鷙鳥之疾、至於毀折者、節也
是故善戰者、其勢險、其節短
勢如ヒク弩、節如發機
紛紛紜紜、闘亂而不可亂也
渾渾沌沌、形圓而不可敗也
亂生於治、怯生於勇、弱生於彊
治亂數也
勇怯勢也
彊弱形也
故善動敵者、形之、敵必從之、予之、敵必取之
以利動之、以卒待之
2011年9月3日土曜日
勢篇・奇法と正法
争う時は、いつもする行動(正法)に見慣れさせて、い
つもはしない行動(奇法)を繰り出すから勝つのだ。
だから奇法に巧みな者は、天地のようにありふれた
行動を繰り返しているように観えるが、江河のように変
化のある行動を次々に繰り出すこともできる。
日月は沈んでもまた昇ってくる。
四季は死をもたらすが、生み出しもする。
音の種類は有限だけど、その組み合わせによって無
限に新しい音が聴こえるように感じる。
色の種類は有限だけど、その組み合わせによって無
限に新しい色が観えるように感じる。
味の種類は有限だけど、その組み合わせによって無
限に新しい味がするように感じる。
争う態勢は奇法と正法しかないけれど、その組み合
わせによって無限に新しい態勢になったように感じる。
奇法と正法は元々どちらも同じで、忘れられているか
知られているかの違いだけなので、区別はなく循環して
いるようなものだ。
だれでもそれを使い尽くすということはない。
※コロンブスが「卵を立てられるか?」と聞くと、誰も立
てることができない。そこでコロンブスが卵をテーブル
に叩きつけ少し割って立てると、皆「なんだ、それなら誰
でもできる」と言う。
今ではコロンブスの卵と言えば、誰でもすぐに思いつ
く正法になっているが、コロンブスがした時でも、特別な
ことをしたわけではなく、皆の「卵は丸いから立てられな
い」という固定観念を利用しただけで、これが奇法だ。
エジソンやアインシュタインも新しい発明や発見をした
のではなく、自然界にあったものを利用したり、昔から
ある考え方(理論)を組み合わせただけだ。
ジャッキーチェンがカンフー映画の中で、身近にある
机や椅子を武器として使う。
机や椅子を普通に使えば正法だが、武器として作ら
れたものではない物を武器として使えば奇法になる。
誰もが知ってしまったことが正法で、誰もが忘れたり
気がつかなくなったことが奇法。だから奇法を何度も使っ
ていれば正法になり、忘れられた正法を使えば奇法に
なる。
およそ戦いは、正をもって合し、奇をもって勝つ。
ゆえに善く奇を出だす者は、窮(きわ)まりなきこと天地
のごとく、竭(つ)きざること江河のごとし。
終わりてまた始まるは、日月これなり。
死してまた生ずるは、四時これなり。
声は五に過ぎざるも、五声の変は勝(あ)げて聴くべか
らざるなり。
色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからざ
るなり。
味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗(な)むべか
らざるなり。
戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべか
らざるなり。
奇正のあい生ずることは、循環の端なきがごとし。
たれかよくこれを窮めんや。
凡戰者、以正合、以奇勝
故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河
終而復始、日月是也
死而復生、四時是也
聲不過五、五聲之變、不可勝聽也
色不過五、五色之變、不可勝觀也
味不過五、五味之變、不可勝嘗也
戰勢、不過奇正、奇正之變、不可勝窮也
奇正相生、如循環之無端
孰能窮之
つもはしない行動(奇法)を繰り出すから勝つのだ。
だから奇法に巧みな者は、天地のようにありふれた
行動を繰り返しているように観えるが、江河のように変
化のある行動を次々に繰り出すこともできる。
日月は沈んでもまた昇ってくる。
四季は死をもたらすが、生み出しもする。
音の種類は有限だけど、その組み合わせによって無
限に新しい音が聴こえるように感じる。
色の種類は有限だけど、その組み合わせによって無
限に新しい色が観えるように感じる。
味の種類は有限だけど、その組み合わせによって無
限に新しい味がするように感じる。
争う態勢は奇法と正法しかないけれど、その組み合
わせによって無限に新しい態勢になったように感じる。
奇法と正法は元々どちらも同じで、忘れられているか
知られているかの違いだけなので、区別はなく循環して
いるようなものだ。
だれでもそれを使い尽くすということはない。
※コロンブスが「卵を立てられるか?」と聞くと、誰も立
てることができない。そこでコロンブスが卵をテーブル
に叩きつけ少し割って立てると、皆「なんだ、それなら誰
でもできる」と言う。
今ではコロンブスの卵と言えば、誰でもすぐに思いつ
く正法になっているが、コロンブスがした時でも、特別な
ことをしたわけではなく、皆の「卵は丸いから立てられな
い」という固定観念を利用しただけで、これが奇法だ。
エジソンやアインシュタインも新しい発明や発見をした
のではなく、自然界にあったものを利用したり、昔から
ある考え方(理論)を組み合わせただけだ。
ジャッキーチェンがカンフー映画の中で、身近にある
机や椅子を武器として使う。
机や椅子を普通に使えば正法だが、武器として作ら
れたものではない物を武器として使えば奇法になる。
誰もが知ってしまったことが正法で、誰もが忘れたり
気がつかなくなったことが奇法。だから奇法を何度も使っ
ていれば正法になり、忘れられた正法を使えば奇法に
なる。
およそ戦いは、正をもって合し、奇をもって勝つ。
ゆえに善く奇を出だす者は、窮(きわ)まりなきこと天地
のごとく、竭(つ)きざること江河のごとし。
終わりてまた始まるは、日月これなり。
死してまた生ずるは、四時これなり。
声は五に過ぎざるも、五声の変は勝(あ)げて聴くべか
らざるなり。
色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからざ
るなり。
味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗(な)むべか
らざるなり。
戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべか
らざるなり。
奇正のあい生ずることは、循環の端なきがごとし。
たれかよくこれを窮めんや。
凡戰者、以正合、以奇勝
故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河
終而復始、日月是也
死而復生、四時是也
聲不過五、五聲之變、不可勝聽也
色不過五、五色之變、不可勝觀也
味不過五、五味之變、不可勝嘗也
戰勢、不過奇正、奇正之變、不可勝窮也
奇正相生、如循環之無端
孰能窮之
2011年8月27日土曜日
勢篇・勢いを生む
大衆を治めるのに独りを治めるかのようになるのは、
役割分担をするからだ。
大衆を闘わせるのに独りが闘うかのようになるのは、
行動が大義名分にもとづいているからだ。
軍隊が必ず敵を敗退させるのは、いつもはしない行
動(奇法)といつもする行動(正法)を組み合わせてお
こなうからだ。
戦争をした時、石で卵を打ち砕くように手ごたえがな
くあっけないのは、嘘を見抜き、真実をつくからだ。
※普段は静かな海が大津波になるのは、水の動きが
一つにまとまり、それぞれが影響しあって力を増し、同
じ方向に動くが障害物のない方向にも動いて、弱い部
分を徐々に破壊し、障害物を動かすことでさらに強大
な力となるからだ。
一つにまとまるというのは皆が同じことをするのでは
なく、適材適所で自分の力がもっとも発揮できる役割
につくことだ。だから中には何もしていないように見え
る者もいる。無駄なことをしているように見える者もい
る。
それが意外な発見をしたり、思わぬ相乗効果を生ん
で勢いとなる。
孫子曰く、およそ衆を治むること寡(か)を治むるがご
とくなるは、分数これなり。
衆を闘わしむること寡を闘わしむるがごとくなるは、形
名これなり。
三軍の衆、必ず敵を受けて敗なからしむるべきは、奇
正これなり。
兵の加うるところ、タンをもって卵に投ずるがごとくなる
は、虚実これなり。
孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也
闘衆如闘寡、形名是也
三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也
兵之所加、如以タン投卵者、虚實是也
役割分担をするからだ。
大衆を闘わせるのに独りが闘うかのようになるのは、
行動が大義名分にもとづいているからだ。
軍隊が必ず敵を敗退させるのは、いつもはしない行
動(奇法)といつもする行動(正法)を組み合わせてお
こなうからだ。
戦争をした時、石で卵を打ち砕くように手ごたえがな
くあっけないのは、嘘を見抜き、真実をつくからだ。
※普段は静かな海が大津波になるのは、水の動きが
一つにまとまり、それぞれが影響しあって力を増し、同
じ方向に動くが障害物のない方向にも動いて、弱い部
分を徐々に破壊し、障害物を動かすことでさらに強大
な力となるからだ。
一つにまとまるというのは皆が同じことをするのでは
なく、適材適所で自分の力がもっとも発揮できる役割
につくことだ。だから中には何もしていないように見え
る者もいる。無駄なことをしているように見える者もい
る。
それが意外な発見をしたり、思わぬ相乗効果を生ん
で勢いとなる。
孫子曰く、およそ衆を治むること寡(か)を治むるがご
とくなるは、分数これなり。
衆を闘わしむること寡を闘わしむるがごとくなるは、形
名これなり。
三軍の衆、必ず敵を受けて敗なからしむるべきは、奇
正これなり。
兵の加うるところ、タンをもって卵に投ずるがごとくなる
は、虚実これなり。
孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也
闘衆如闘寡、形名是也
三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也
兵之所加、如以タン投卵者、虚實是也
2011年8月20日土曜日
形篇・勝負に集中
戦争に慣れた者は、民意を反映したルールを作る。
だから内乱が起きず、勝負に集中できる政治になる。
兵法では、
一に度合(ころあい)
二に量知(おしはかって知る)
三に計数(計算)
四に称賛(ほどあい。程度)
五に勝算(まさる)
戦場には戦うころあいがあり、それはおしはかって
知る必要がある。おしはかって知るには計算が必要
で、計算してちょうど良い程度を知る。ちょうど良い程
度とは敵に勝る程度ということだ。
だから勝つのは大きい器で少量を計る(余裕がある
適量)ように、敵に勝る程度を知ることであり、負ける
のは小さい器で多量を計る(あふれる過多)ようにちょ
うど良い程度を知らないからだ。(多すぎても少なすぎ
ても良くない)
民衆を戦いにかりたてて勝つのは、溜まった水を滝
に落とすように、不満や怒りを増長し、ころあいを見て、
目的を絞って一気に放出させる。それは人数の多少
ではなく意思の統一した姿勢である。
※この文章は一般的には「多数で少数を圧倒する」と
いった解釈がされているが、数の上で劣勢で苦境に立
たされたとしても必ず負けるとは限らない。
ベトナム戦争でアメリカが負けたのは、メディアの力
だといわれている。
連日のように戦争の様子がニュースで流れ、それは
アメリカ人が勇敢に戦っている姿ではなく、ベトナム人
が逃げまどい、虐殺され、アメリカ兵は戦争の目的が
何なのかも分からず、ゲリラの恐怖におびえる泥沼化
した様子だった。
アメリカは日本を大量破壊兵器で敗北させたことが、
ベトナムでも通用すると思い込んでいた。
それが逆に弱い者いじめのように映り、アメリカ国民
の中でも批判が強くなった。
ただ、アメリカが敗北を認めたことは、日本とは違い、
状況を冷静に見て計算し、決断する勇気があったから
だ。
善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。
ゆえによく勝敗の政をなす。
兵法は、
一に曰く、度。
二に曰く、量。
三に曰く、数。
四に曰く、称。
五に曰く、勝。
地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称
を生じ、称は勝を生ず。
ゆえに勝兵は鎰(いつ)をもって銖(しゅ)を称(はか)
るがごとく、敗兵は銖をもって鎰を称るがごとし。
勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞(せんじん)の
谿(たに)に決するがごときは、形なり。
善用兵者、修道而保法
故能爲勝敗之政
兵法、
一曰度
二曰量
三曰數
四曰稱
五曰勝
地生度、度生量、量生數、數生稱、稱生勝
故勝兵若以鎰稱銖、敗兵若以銖稱鎰
勝者之戰民也、若決積水於千仞之谿者、形也
だから内乱が起きず、勝負に集中できる政治になる。
兵法では、
一に度合(ころあい)
二に量知(おしはかって知る)
三に計数(計算)
四に称賛(ほどあい。程度)
五に勝算(まさる)
戦場には戦うころあいがあり、それはおしはかって
知る必要がある。おしはかって知るには計算が必要
で、計算してちょうど良い程度を知る。ちょうど良い程
度とは敵に勝る程度ということだ。
だから勝つのは大きい器で少量を計る(余裕がある
適量)ように、敵に勝る程度を知ることであり、負ける
のは小さい器で多量を計る(あふれる過多)ようにちょ
うど良い程度を知らないからだ。(多すぎても少なすぎ
ても良くない)
民衆を戦いにかりたてて勝つのは、溜まった水を滝
に落とすように、不満や怒りを増長し、ころあいを見て、
目的を絞って一気に放出させる。それは人数の多少
ではなく意思の統一した姿勢である。
※この文章は一般的には「多数で少数を圧倒する」と
いった解釈がされているが、数の上で劣勢で苦境に立
たされたとしても必ず負けるとは限らない。
ベトナム戦争でアメリカが負けたのは、メディアの力
だといわれている。
連日のように戦争の様子がニュースで流れ、それは
アメリカ人が勇敢に戦っている姿ではなく、ベトナム人
が逃げまどい、虐殺され、アメリカ兵は戦争の目的が
何なのかも分からず、ゲリラの恐怖におびえる泥沼化
した様子だった。
アメリカは日本を大量破壊兵器で敗北させたことが、
ベトナムでも通用すると思い込んでいた。
それが逆に弱い者いじめのように映り、アメリカ国民
の中でも批判が強くなった。
ただ、アメリカが敗北を認めたことは、日本とは違い、
状況を冷静に見て計算し、決断する勇気があったから
だ。
善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。
ゆえによく勝敗の政をなす。
兵法は、
一に曰く、度。
二に曰く、量。
三に曰く、数。
四に曰く、称。
五に曰く、勝。
地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称
を生じ、称は勝を生ず。
ゆえに勝兵は鎰(いつ)をもって銖(しゅ)を称(はか)
るがごとく、敗兵は銖をもって鎰を称るがごとし。
勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞(せんじん)の
谿(たに)に決するがごときは、形なり。
善用兵者、修道而保法
故能爲勝敗之政
兵法、
一曰度
二曰量
三曰數
四曰稱
五曰勝
地生度、度生量、量生數、數生稱、稱生勝
故勝兵若以鎰稱銖、敗兵若以銖稱鎰
勝者之戰民也、若決積水於千仞之谿者、形也
2011年8月13日土曜日
形篇・勝って当たり前
誰でも勝てる相手に戦って勝っても褒められない。
強い敵と戦って誰もがすごいという勝ち方も善いとは
いえない。
そもそも毛を持ち上げても力持ちではない。
日や月が見えても目がよく見えるわけではない。
雷が鳴るのを聞いても耳がよく聞こえるわけではな
い。
昔の戦争に慣れた者は、戦わざるおえない敵に無
理をせず勝った。
だから戦争に慣れた者の戦い方は、有名にならず、
勇猛で称えられることもない。
勝って当たり前なのだ。
当たり前のように必ず勝つ。
それは身内からも見放されたような敵に勝つからだ。
戦争に慣れた者は、敵の中からも味方につくような
状況を保ち、敵の自滅を助長する。
戦争に勝つのは大義名分があり、多くを味方につけ
て戦争をするからで、負けるのは大義名分もなく身内
からも理解を得られないのに戦争をするからだ。
※大人が子供に勝っても褒められない。それどころか
非難されるだろう。
自分より強い相手に勝つと、さらに強い相手が挑戦
してくる。
三国志で蜀の諸葛孔明は、奇策を用いて次々と苦
戦を乗り切った。しかし、蜀は弱小国のまま消滅した。
魏の司馬仲達は、これといった戦功は伝わっていな
いし曹操の腰巾着のように思われているが、その孫は
魏を滅ぼして晋を起こし天下統一している。
この二人が戦った時、孔明は陣中で病没した。それ
を知った仲達は攻撃にうってでた。ところが孔明らしき
人物の姿が見えると、仲達はあわてて撤退した。これ
が「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」という故事になっ
ている。
もし仲達が孔明の死んだ軍隊を攻撃していたとしたら
世の中の批判を浴びるだろう。
仲達の目的はすでに達成して戦いに勝利しているの
だから深追いをする必要はない。
むやみに敵をつくらないから必ず勝つのだ。
勝を見ること衆人の知るところに過ぎざるは、善の善
なる者にあらざるなり。
戦い勝ちて天下善しと曰うは、善の善なる者にあらざ
るなり。
ゆえに秋亳(しゅうごう)を挙(あ)ぐるは多力となさず。
日月を見るは明目となさず。
雷霆(らいてい)を聞くは聡耳(そうじ)となさず。
古のいわゆる善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。
ゆえに善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし。
ゆえにその戦い勝ちてタガわず。
タガわざる者は、その措(お)くところ必ず勝つ。
すでに敗るる者に勝てばなり。
ゆえに善く戦う者は不敗の地に立ち、しかして敵の敗
を失わざるなり。
このゆえに勝兵はまず勝ちてしかるのちに戦いを求
め、敗兵はまず戦いてしかるのちに勝ちを求む。
見勝不過衆人之所知、非善之善者也
戰勝而天下曰善、非善之善者也
故舉秋毫不爲多力、見日月不爲明目
聞雷霆不爲聰耳
古之所謂善戰者、勝於易勝者也
故善戰者之勝也、無智名、無勇功
故其戰勝不タガ
不タガ者、其所措必勝
勝已敗者也
故善戰者、立於不敗之地、而不失敵之敗也
是故勝兵先勝而後求戰、敗兵先戰而後求勝
強い敵と戦って誰もがすごいという勝ち方も善いとは
いえない。
そもそも毛を持ち上げても力持ちではない。
日や月が見えても目がよく見えるわけではない。
雷が鳴るのを聞いても耳がよく聞こえるわけではな
い。
昔の戦争に慣れた者は、戦わざるおえない敵に無
理をせず勝った。
だから戦争に慣れた者の戦い方は、有名にならず、
勇猛で称えられることもない。
勝って当たり前なのだ。
当たり前のように必ず勝つ。
それは身内からも見放されたような敵に勝つからだ。
戦争に慣れた者は、敵の中からも味方につくような
状況を保ち、敵の自滅を助長する。
戦争に勝つのは大義名分があり、多くを味方につけ
て戦争をするからで、負けるのは大義名分もなく身内
からも理解を得られないのに戦争をするからだ。
※大人が子供に勝っても褒められない。それどころか
非難されるだろう。
自分より強い相手に勝つと、さらに強い相手が挑戦
してくる。
三国志で蜀の諸葛孔明は、奇策を用いて次々と苦
戦を乗り切った。しかし、蜀は弱小国のまま消滅した。
魏の司馬仲達は、これといった戦功は伝わっていな
いし曹操の腰巾着のように思われているが、その孫は
魏を滅ぼして晋を起こし天下統一している。
この二人が戦った時、孔明は陣中で病没した。それ
を知った仲達は攻撃にうってでた。ところが孔明らしき
人物の姿が見えると、仲達はあわてて撤退した。これ
が「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」という故事になっ
ている。
もし仲達が孔明の死んだ軍隊を攻撃していたとしたら
世の中の批判を浴びるだろう。
仲達の目的はすでに達成して戦いに勝利しているの
だから深追いをする必要はない。
むやみに敵をつくらないから必ず勝つのだ。
勝を見ること衆人の知るところに過ぎざるは、善の善
なる者にあらざるなり。
戦い勝ちて天下善しと曰うは、善の善なる者にあらざ
るなり。
ゆえに秋亳(しゅうごう)を挙(あ)ぐるは多力となさず。
日月を見るは明目となさず。
雷霆(らいてい)を聞くは聡耳(そうじ)となさず。
古のいわゆる善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。
ゆえに善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし。
ゆえにその戦い勝ちてタガわず。
タガわざる者は、その措(お)くところ必ず勝つ。
すでに敗るる者に勝てばなり。
ゆえに善く戦う者は不敗の地に立ち、しかして敵の敗
を失わざるなり。
このゆえに勝兵はまず勝ちてしかるのちに戦いを求
め、敗兵はまず戦いてしかるのちに勝ちを求む。
見勝不過衆人之所知、非善之善者也
戰勝而天下曰善、非善之善者也
故舉秋毫不爲多力、見日月不爲明目
聞雷霆不爲聰耳
古之所謂善戰者、勝於易勝者也
故善戰者之勝也、無智名、無勇功
故其戰勝不タガ
不タガ者、其所措必勝
勝已敗者也
故善戰者、立於不敗之地、而不失敵之敗也
是故勝兵先勝而後求戰、敗兵先戰而後求勝
2011年8月6日土曜日
形篇・勝てそうもない態勢
昔の戦争に慣れた者は、まずこちらが勝てそうもない
態勢を見せて誘い、敵が勝てると油断するのを待つ。
こちらが勝てそうもない態勢を見せても勝ちを意識す
るのは敵しだいだ。
だから戦争に慣れた者が勝てそうもない態勢にして
も、敵は勝てるとは思えなくなる。
勝つと分かっても攻められない。
こちらが勝てそうもない態勢(弱そう)にすると守るこ
とができる。
こちらが勝てそうな態勢(強そう)にすると攻められる。
守るのは少人数でできるが、攻めるのは大多数でし
なければならない。
うまく守る者は本性を見せず、うまく攻める者は威嚇
する。
だから無理をしなくても勝ちを得るのだ。
※この文章は一般的には「こちらが強固な守りの態勢
にして、敵の守りが崩れるのを待つ」と解釈されている
が、敵が攻めてこなければ戦争にならないし、敵の守
りが崩れるのを待っていては長期戦になる。
第二次世界大戦で、アメリカは日本にハワイの真珠
湾を攻撃をさせて、大義名分を得ると同時に日本のお
ごりを増徴させた。
赤ちゃんは弱く無防備だが、誰も殺そうとは思わない。
強いものには敵が多いが弱いものには味方が多い。
強さを維持するのは大変だが、弱さを維持するのは
普通にしていればいい。
弱さを見せるほうが勇気がいる。
孫子曰く、昔の善く戦う者はまず勝つべからざるをなし
て、もって敵の勝つべきを待つ。
勝つべからざるは己にあるも、勝つべきは敵にあり。
ゆえに善く戦う者は、よく勝つべからざるをなすも、敵
をして勝つべからしむることあたわず。
ゆえに曰く、勝は知るべくして、なすべからず、と。
勝つべからざる者は守るなり。
勝つべき者は攻むるなり。
守るはすなわち足らざればなり、攻むるはすなわち余
りあればなり。
善く守る者は九地の下に蔵(かく)れ、善く攻むる者は
九天の上に動く。
ゆえによくみずから保ちて勝を全うするなり。
孫子曰、昔之善戰者、先爲不可勝、以待敵之可勝
不可勝在己、可勝在敵
故善戰者、能爲不可勝、不能使敵之可勝
故曰、勝可知、而不可爲
不可勝者、守也
可勝者、攻也
守則不足、攻則有餘
善守者、藏於九地之下、善攻者、動於九天之上
故能自保而全勝也
態勢を見せて誘い、敵が勝てると油断するのを待つ。
こちらが勝てそうもない態勢を見せても勝ちを意識す
るのは敵しだいだ。
だから戦争に慣れた者が勝てそうもない態勢にして
も、敵は勝てるとは思えなくなる。
勝つと分かっても攻められない。
こちらが勝てそうもない態勢(弱そう)にすると守るこ
とができる。
こちらが勝てそうな態勢(強そう)にすると攻められる。
守るのは少人数でできるが、攻めるのは大多数でし
なければならない。
うまく守る者は本性を見せず、うまく攻める者は威嚇
する。
だから無理をしなくても勝ちを得るのだ。
※この文章は一般的には「こちらが強固な守りの態勢
にして、敵の守りが崩れるのを待つ」と解釈されている
が、敵が攻めてこなければ戦争にならないし、敵の守
りが崩れるのを待っていては長期戦になる。
第二次世界大戦で、アメリカは日本にハワイの真珠
湾を攻撃をさせて、大義名分を得ると同時に日本のお
ごりを増徴させた。
赤ちゃんは弱く無防備だが、誰も殺そうとは思わない。
強いものには敵が多いが弱いものには味方が多い。
強さを維持するのは大変だが、弱さを維持するのは
普通にしていればいい。
弱さを見せるほうが勇気がいる。
孫子曰く、昔の善く戦う者はまず勝つべからざるをなし
て、もって敵の勝つべきを待つ。
勝つべからざるは己にあるも、勝つべきは敵にあり。
ゆえに善く戦う者は、よく勝つべからざるをなすも、敵
をして勝つべからしむることあたわず。
ゆえに曰く、勝は知るべくして、なすべからず、と。
勝つべからざる者は守るなり。
勝つべき者は攻むるなり。
守るはすなわち足らざればなり、攻むるはすなわち余
りあればなり。
善く守る者は九地の下に蔵(かく)れ、善く攻むる者は
九天の上に動く。
ゆえによくみずから保ちて勝を全うするなり。
孫子曰、昔之善戰者、先爲不可勝、以待敵之可勝
不可勝在己、可勝在敵
故善戰者、能爲不可勝、不能使敵之可勝
故曰、勝可知、而不可爲
不可勝者、守也
可勝者、攻也
守則不足、攻則有餘
善守者、藏於九地之下、善攻者、動於九天之上
故能自保而全勝也
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